人間の味覚は不思議だ。同じ味付けでも塩辛いと感じる人もいれば、薄味だと言う人もいる。私は甘いものが大好きなので、甘いものを全く受け付けないという人は甘いものを口に入れたときにどんな気持ちがするのだろうと思う。
ただ思い返してみれば、幼い頃は生クリームが苦手で、食べると必ず頭痛を起こしていた。今は生クリームだけ口いっぱい頬張りたいくらい好きになったのだが、もしかしたら生クリームが昔より美味しくなっているだけで、当時食べていたであろう、やたらと甘くて油分の多いものを食べると、また頭痛を起こすのかもしれない。
そういえばプリンも苦手だった。母は気を使ってか、卵たっぷりの少々高級である、小さな瓶に入ったプリンを私に食べさせていた。私は、あの卵の濃厚な香りと、カラメルの苦さがだめだった。しかし幼稚園のイベントで、初めてスーパーで売られている安価なプリンを口にして、そのプルプルとした食感と甘ったるさに感動し、見事にプリン嫌いを克服した。あれから30年近く経った今ではどう考えても瓶入りプリンの方が好みだけど。
辛いものも同じで、辛さに慣れれば慣れるほど、より刺激的なものを求めるようになった。酸味にしても同様だろう。時と供に味覚は変化している。いや、そんなのは当たり前のことだ。
味覚はその状況や、食卓を共にする人でも変わる。好きな人と食べるごはんは美味しい。緊張しながら食べるごはんは味がしない。真昼間に太陽と風を感じながら飲むビールの爽快感ったら、この上なく幸せに感じるけれど、真夜中に部屋でひとりぼっちで飲むビールは苦く、虚しい味がする。生きていく上で必要不可欠な「食べる」という行為。私は食べることが好きなので、せっかくならリラックスできる人と、心地よい空間で、気兼ねなく美味しいものが食べたい。
しかし、そんなことを言っていられないのが「食レポ」である。食べるレポート。食事のレポート。カメラの前で美味しそうに食べ、さらに味や食感の説明や感想を述べなければならない。
テレビで見ている限りはそれほど違和感のない光景に見えるだろうが、いざ現場になると、静まり返った空間でたくさんのスタッフさんやお店の人に関係者、それに照明などの機材と大きなカメラに囲まれながら食事をし、一人で一喜一憂しながらペラペラとしゃべるそれは異様だとも言えよう。仕事を始めた頃は、そうした自分の滑稽さに耐えられず、はにかみながら「おいしいです」とつぶやくのが精一杯だった。当時のマネージャーにコテンパンに叱られ、それを見ていた音声スタッフの方に慰めてもらったりもしたが、10年もするとさすがに慣れた。ただ、この“慣れ”が一番厄介なのだ。
30そこそこの女が、いかにもグルメっぽいコメントをこなれた口調で話すことに一体誰が興味あるのだろうと、いつも悩む。それに加えて、“慣れ”は“飽き”につながる。
食レポをするという仕事自体に飽きたわけではなく、同じようなコメントしかできない自分に飽きてきてしまった。例えばハンバーグを食べたとき。「ジューシー!!」「……肉汁が!」「ふわふわ~」など、言えることはほとんど決まっている。よほど奇をてらったハンバーグなら別だが、どんなに美味しいハンバーグでも、コメントには限界があるのだ。ある番組では、この「ジューシー」という言葉を多用しすぎて、ジューシー禁止令が発令された。
その時は自分の語彙力のなさに愕然とし、食レポに使えそうな言葉をネットや本で探し回ってみたこともあるが、所詮パクリに過ぎない上に、思ってもないことを口走ったりしそうなので、それもやめた。
そして最近では、食レポのあるべき姿を完全に見失っている。自分のコメントに飽きるどころか、似たような言葉を繰り返す自分がもはや恥ずかしくすら感じるようになってきてしまった。そこで、今まであまり使わなかった言葉も使っていこうと、比喩やら何やらで料理を表現しているうちに結局料理そのものの味が全く伝わらないようになった。そんなことでは元も子もないので、またストレートな表現方法に戻さねば…と思っているのだが、何が正解なのかもよくわからない。
つまり、私はとても困っている。このまま行くと、失業してしまいそうだ。しかもこの場でこんなことを書いてしまったばっかりに、これから先、何を言っても説得力に欠けるのではなかろうか。やってしまった。自分で自分の首をしめてしまった。
ただひとつ、わかってもらいたいのが大体のものが本当に美味しいということだ。テレビを見てくれた知り合いや親戚によく聞かれる、「あれ、ほんまに美味しかったんですか?」。ありがいことに、情報番組や旅番組などで、B級グルメから高級料理、謎の珍味に至るまで、実に様々なものを食べさせてもらった。そんな中で、この質問には本当によく出会う。答えは難しいようでいて簡単だ。
大体、美味しい。美味しいものとして紹介されているものに関して言えば、9割以上の確率で美味しい。たまに「なんだこりゃ?」みたいなものもあるにはあるが、それは自分の口には合わなかったというだけの話で、スタッフさんがテレビで何を紹介しようかと一生懸命に探してきてくれたものにほぼハズレはない。しかし、食レポをするときは全神経を舌に集中させて、味を探し出そうとしているので、後から食べてみると全然ちがった味に感じることもある。味覚とは一体何なのだろうか。
そもそも味覚を言葉で表現することなど、本当にできるのだろうか。美味しいものは、美味しい。ただそれだけで伝わるような気もしてきた。明日も食レポの仕事がある。感じたままに表現してみよう。たぶん、怒られるけど。
- 著者
- 村上 春樹
- 出版日
- 2015-12-04
この本だけに限らず、村上春樹氏の本には魅力的な食事がたくさん出てきます。それも、とてもシンプルなお料理。難しい表現などせず、ただそれを食べたというだけのことなのに何だかとても美味しそうで、いつも何だか羨ましく感じます。アイスティーとマルゲリータのピッツァ。ツナサラダのサンドウィッチとコーヒー。ミートローフとポテトサラダ、それにビール。味の説明なんてなくても、この食べ合わせを想像するだけで、お腹が空いてくるのです。
- 著者
- 安倍 夜郎
- 出版日
美味しそうな漫画といえばこちら。深夜食堂が近所にあれば、週の半分以上は入り浸ってしまいそうです。第一夜に出てくる赤いタコさんウインナーと甘い玉子焼きだけでもう心をつかまれてしまいました。深夜に読むのはある意味危険です。
小塚舞子の徒然読書
毎月更新!小塚舞子が日々の思うこととおすすめの本を紹介していきます。