1929年に起きた世界恐慌は、経済史上の問題だけにとどまらず、第二次世界大戦のきっかけをつくったともいえる大事件でした。この記事では、なぜ恐慌が起きてしまったのか、その原因と、各国がとった対応や対策、その後の影響をわかりやすく説明していきます。あわせておすすめの本もご紹介するので、気になる方はご覧ください。
「恐慌」とは、それまで問題のなかった経済が急速に悪くなり、不況という状況を超え、経済が破たんしてしまう状態をいいます。この経済的な恐慌が世界規模で起きたのが、「世界恐慌」です。
一般的には1929年に起きたものを指し、これは「世界大恐慌」とも呼ばれています。
世界中の経済が悪い状態になった1929年の世界恐慌ですが、その発端はアメリカの経済悪化です。
少し時間を戻して、大恐慌が起きる前の1914年から1918年、ヨーロッパを主戦場として第一次世界大戦が勃発していました。戦時中は、それまでヨーロッパで作っていた工業製品や農作物を、アメリカで作るようになります。
余剰分を輸出することで、アメリカの景気は右肩上がりになりました。そして第一次大戦後も、疲弊していたヨーロッパはその役割を担うことができず、アメリカは世界経済の中心であり続けたのです。
1920年代に入ってからはアメリカ国内の都市化が進み、住宅需要、道路整備、自動車産業にも追い風が吹いて、大変な好景気となっていきました。そしてさらにお金を増やそうと、アメリカ企業の株に手を出す人が増えたのです。
この株を買う動きは、アメリカ人の投資家だけでなく、世界中に広がっていきました。戦争で疲弊している国の株を買うよりも、調子の良いアメリカの株を買ったほうが儲かるように思うのは、ある意味当然です。
しかしそのころ、アメリカ国内では、過剰な生産力による「商品の売れ残り」が生じていました。どんどんモノを作っても低所得者は購入することができず、さらにヨーロッパの国々の経済も持ち直してきたため、工業製品も農作物も少しずつ売れなくなっていたのです。
売れない商品をつくる会社の株を持っていても、仕方ありません。
1929年10月24日、後にBlack Thursday(暗黒の木曜日)と呼ばれるようになるこの日、ウォール街のニューヨーク証券取引所で株価の大暴落が起こります。
不安を感じた国民は銀行から預金を引き出し、銀行は倒産。銀行が融資していた企業も倒産、企業に仕事をもらっていた工場も倒産……とドミノ倒しのように影響が広がりました。1日に何人もの自殺者がでて、失業率が25%にまでのぼります。
アメリカはすでに世界経済へ強大な影響力をもっていたため、この大恐慌は世界中を混乱の渦に陥れたのです。
なんとか自国の経済を立て直さなくてはいけないアメリカは、1933年に大統領に就任したフランクリン・ルーズベルトのもと、「ニューディール政策」を実施します。
それまでアメリカは、政府の市場への介入を限定的にした自由主義的な経済政策をとっていましたが、ここからは政府が積極的に市場に介入する方針へ転換します。
Relief(救済)
Reconstruction(復興)
Reform(改革)
という3つのRを目標に掲げて、具体的には次の対策をとりました。
まず全国のすべての銀行を一時閉鎖し、政府が経営の内情を調査しました。危機的状況にあった銀行を支援、再編することを約束したのです。
その後政府の管理下で再開させ、通貨のコントロールをしていきました。
反トラスト法を撤廃し、カルテルという企業連合を推奨。企業を政府の監視下に置いて、生産量の調整をしました。その一方で、労働者の最低賃金を保証し、彼らの団結権や団体交渉権を認めています。
農業の生産量を制限し、作りすぎて余ってしまった分は政府が買い取るようにして、農作物の価格の安定を図りました。
30を超える数のダムの建設を中心とした、大規模な公共事業を立ち上げ、大量に出た失業者を雇用しました。
第一次世界大戦で戦勝国となっていた日本ですが、その後1923年に起きた関東大震災や、いくつかの恐慌を経験し、国としては疲弊していました。
そんな時にアメリカの大恐慌のあおりを受け、株の暴落や企業の倒産が相次ぎ、大量の失業者が出たのです。
とくに日本は生糸をアメリカに頼って輸出していましたが、これも危機的状況に陥りました。生糸を生産していた農家では、あまりの不況から子供を身売りさせることもあったそうです。
加えて、このころイギリスやフランスはブロック経済という政策をとって、身内以外の国を貿易から締め出すようになりました。資源に乏しく植民地も少ない日本にとって、輸出相手がいなくなったことは大変な打撃です。
1931年、当時の政府は金の輸出禁止を決定して正貨の流出を抑えます。1932年に農山漁村経済更生運動などの政策を実施して、農村の負債整理を図りました。同年、おおむね景気は回復したといわれてます。
この2つの国は「ブロック経済」という政策をおこないました。ブロック経済とは、自国が所有している植民地をブロックのように使って高い関税で取り囲み、他国からの安い輸入品が入ってこないようにする政策のことです。自国と植民地の間では関税同盟を結び、関税を安くして、内部の経済交流を盛んにしました。
イギリスのブロック経済は、別名「ポンド・ブロック」「スターリング・ブロック」、フランスのブロック経済は、別名「フラン・ブロック」とも呼びます。
しかしこの政策は、植民地を持っていない国、ブロックからはじき出された国に大きな影響を与えました。それが日本、ドイツ、イタリアです。この三国は後に同盟を結び、第二次世界大戦に突入します。
世界恐慌の影響で国内が不況に陥り、ブロック経済からもはじき出されてしまったイタリアとドイツでは、「ファシズム」という体制、思想が台頭していきます。
ファシズムの定義はさまざまありますが、独裁の一種ともいわれていて、イタリアでは国家ファシスト党のムッソリーニが、ドイツではナチスのヒトラーが中心となって構築されていきました。
景気が悪く疲弊していた国民たちは、過激に国を引っ張っていく新しい英雄に期待をします。そして自国に抱いていた不満を国外に向けるようになり、ここに日本が加わって、三国は第二次世界大戦に向かっていくのです。
大国アメリカや、植民地を多くもつイギリスやフランスは、自国圏内の貿易だけでも経済を回復させることができました。
一方、日本やドイツ、イタリアのように資源や植民地の少ない国では「植民地を得るために侵攻すべき」「軍事に力を入れれば軍事産業が盛りあがり、仕事ができる」という空気が高まります。
また日本では当時の政治に対する不信感もありました。1931年、日本は満州侵略を実行に移し、「満州事変」が始まります。ドイツではヒトラーが、イタリアではムッソリーニがファシスト体制を作りあげ、三国の間では軍国主義の風が吹き、世界の国々との対立が深まっていったのです。
アメリカが引き起こした世界恐慌は、いくつもの国の運命を狂わせ、世界史上2度目の世界大戦という歴史的事件を引き起こすことになってしまいました。
各国がさまざまな経済的影響を受けて対応に追われるなか、唯一といっていいほどまったく影響を受けなかったのがソ連です。
1917年の「ロシア革命」を発端として、1922年に成立したソヴィエト連邦。恐慌時は、1928年からスターリン指導のもとおこなわれていた「五カ年計画」の真っ最中でした。
これは計画経済のひとつで、生産・流通・配給のすべてを国家が統制するものです。農業の集団化や工業化に重点を置いていました。つまり、資本主義国家では「市場」が物価を決めますが、社会主義国家だたソ連では「国」が物価を決めていたのです。
また、諸外国との貿易もしていませんでした。
ソ連は、世界が苦しんでいたこの時期に唯一高い介在成長を遂げ、世界恐慌の翌年である1930年にはGDPで世界第2位に踊りでています。
- 著者
- 秋元 英一
- 出版日
- 2009-02-11
本書は当時のアメリカを考察し、豊富な資料にもとづきながら世界恐慌をわかりやすく解説した文庫本。著者の秋元英一は、アメリカ経済史を専門とする経済学者です。
経済に関係する本というと、淡々と用語や事例が羅列されるようなものもありますが、本書は当時のエピソードや新聞記事などを用いながら、ドラマティックに大恐慌時のアメリカを描き出しています。特に庶民の姿が記されているのが印象的です。
大変読みやすく、また物語として読んでも面白いので、当時のアメリカについてざっと知りたいなら本書をおすすめします。
- 著者
- ライアカット アハメド
- 出版日
- 2013-09-12
本書は世界恐慌が起こる引き金のひとつになった銀行の破たんや、当時の国際金融関連の動きに焦点を当てています。
タイトルにある4人とは、アメリカのニューヨーク連銀総裁、イングランド銀行総裁、フランス銀行総裁、そしてドイツの中央銀行であるライヒスバンク総裁を指します。
彼らが当時どんな判断をし、それが世界恐慌へどのような影響を与えたのかが詳細に記述されていて、影響力のある人間の決断が歴史をつくっていくということがよく分かる一冊です。
上下巻で構成されており、かなり読みごたえがあります。2010年には、卓越した報道や文学に与えられるピュリッツァー賞を受賞しました。
- 著者
- ジョン・K・ガルブレイス
- 出版日
- 2008-09-25
本書の初版は1955年と、かなり古い作品です。それでも本文を読めば、現代でも役に立つ本であることがわかるでしょう。大恐慌後も経済が悪化するたびに増刷されてきた本書は、今の経済を考えるうえでも非常に有用な作品です。
著者は前書きで「好景気には必ず終わりがあり、それはいつも突然だ」という内容のことを述べています。いつ不況が来るか予測はできなくても、いずれ来る終わりを見通していれば、世界恐慌の時ほどひどくなる事態を避けることができるかもしれません。
歴史からいかに学ぶかは、私たちの力量にかかっています。好景気に沸いているときも、経済が低迷し不況のときも、本書の存在を忘れずにいたいものです。
- 著者
- チャールズ P.キンドルバーガー
- 出版日
こちらも出版が古く1982年に発売された作品ですが、現代においても当てはまるところが多く、手に取っておきたい一冊です。
大恐慌が起こってから10年間の経済をまとめ、丁寧に解説しています。
大恐慌が発生して以降の出来事や政策など、広く網羅的にまとめられています。世界恐慌について全体的に把握した後、より詳しく勉強したい方におすすめです。
次の大恐慌がいつ起きてもおかしくないような見通しのきかない時代。もしものために本書で大恐慌と経済を勉強しておくに越したことはありません。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とはビスマルクの名言です。まだ経験したことがない出来事が起きたとき、真っ先に対応し生き残ることができるのは歴史から学んだ人でしょう。先の見えない今だからこそ、ぜひ世界恐慌という歴史を見直してみてください。