幾多のSF小説のうち、1ページ目から心を奪われる作品がどれほどあるだろう。生物学者である著者がネタをSNSでつぶやいたことがきっかけになって誕生した初作は、圧倒的な設定で読者を翻弄し、かつ、科学的なアプローチが具現化したとも言える、傑作。
近未来。「本州が横浜駅に覆い尽くされている」--- この舞台設定だけをネタに、色々と語り尽くしたい鉄道ファンは、日本に何千人いるだろうか。いや、鉄道ファンだけでなく、また、横浜駅に行ったことのない読者にも、「本州全体がエキナカになっていたとしたら」という舞台設定は、自分の知る世界の延長にやすやすと侵食してくるに違いない。自己増殖する横浜駅、そして横浜駅が青函トンネルを抜けて北海道へと進出するのを直前で食い止める「JR北日本」の人々。横浜駅の外で育った主人公が、青春18切符を持って、横浜駅に初めて一歩を踏み入れる。
- 著者
- 柞刈湯葉
- 出版日
- 2016-12-24
このような圧倒的な設定でスタートする『横浜駅SF』。著者の柞刈湯葉氏がTwitterにネタを投稿したことから書き上げられた本書は、昨年からネット上で話題をさらい、「カクヨムWeb小説コンテスト大賞」を受賞、昨年暮れに紙媒体が出版された。僕も、知人からその頃『横浜駅SF』の存在を教えられて、カクヨムで読みふけった一人である。深夜までぶっ続けでSFを読みふけった恍惚感は、久しぶりだった。
SFだけでなくどんな小説も、読み方は読者の自由であるが、本書にはどうしても、あるくすぐったい「意識」がつきまとう。『横浜駅SF』には、自分がいつも使っている「Suica」や「自動改札」が(その未来発展形として)登場して大暴れするので、どんな風に現在のそれらの姿と『横浜駅SF』の中で描かれている姿が矛盾なく時間発展でつながるのだろう、との意識が、常に頭のバックグラウンドを流れるのである。大変心地いい。「横浜駅が自己増殖する」という圧倒的設定だけでも楽しいのに、それが連続的に自分の生活の世界線とつながってくる感覚が、たまらないのである。はては、手元の定期入れに入っているSuicaを見て、これを体にインストールする時代が来るんだろうな、と想像してしまう。
著者の柞刈湯葉氏は生物学者、との「著者紹介」を見て、腑に落ちた、というか、さらに素晴らしいことだと思った。このような圧倒的な設定のSFは、大きな科学的発見に類似性がある、と感じていたからだった。
科学の発見の経緯には幾つかの種類があると思われるが、大きな発見のうち、圧倒的な世界観が提示されているものもある。アインシュタインの特殊相対性理論もそのうちの一つと言えるかもしれない。まず大胆な仮説が提唱され、そしてその後、非常に緻密な検証により、その仮説が確認され理論として確立していく、そのような科学革命があるのだ。仮説が非常に大胆な場合、現在認められている理論(それは数々の実験を説明するのである)との整合性の検証は、十分に緻密である必要があるのだ。
- 著者
- 柞刈湯葉
- 出版日
- 2017-08-10
今年8月に出版された『横浜駅SF 全国版』では、横浜駅に覆われた本州を常識としながら、日本各地で苦悩する人たちのそれぞれの世界線が緻密に記述されている。僕は全国版を舐めるように読んで、まるで大論文の補遺のようだと感じた。それは、論文に必要であり、緻密な計算や拡張が提示されている部分なのである。
- 著者
- 新川 権兵衛
- 出版日
- 2017-08-10
たくさんの人に読まれる傑作小説は、それぞれの人の中に異なる心象を残すのだから、そのビジュアリゼーションには、落胆する人が多いのも当然だろう。マンガ版を手に取った僕は、落胆することを予想してしまっていた。しかし、マンガで描かれている光景は、違和感なく自分に浸透していった。自分の普段の世界がそのまま拡張されたような開放感が残ってしまったのである。
科学でもこのようなビジュアリゼーションが大きな意義を持ちうるのでは、とも思ったのだが、その手法や対象となる科学をどのように選ぶべきなのかは、私にはまだわからない。
圧倒的な設定は、自分を、がんじがらめの現在から即座に開放してくれる。しかし、開放されるためには、そこに自分を浸透させてくれる緻密な「現実っぽさ」がないと不可能だろう。SFとサイエンスは、もちろん異なるものである。しかしそれらが類似している点にこそ、真実が隠れているような気がしてならない。