川中島の戦いを簡単に解説!勝敗結果、場所、一騎打ちや車懸りの陣など

更新:2021.11.10

大河ドラマやゲームなどでもしばしば題材となり、ファンも多い「川中島の戦い」。戦いの概要、結果、一騎打ちや車懸りの陣などの逸話をわかりやすく解説し、あわせておすすめの関連本も紹介していきます。

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川中島の戦いとは。簡単に説明。

 

戦国時代をモチーフにした作品にもよく取り上げられ、高い人気を誇る川中島の戦い。1553年から1564年の間に起きた、甲斐の武将・武田信玄と、越後の武将・上杉謙信の5回にわたる合戦を指します。

もともとは、北信濃の支配権をめぐり武田信玄と村上義清が抗争をくり広げていました。敗れた村上が越後の上杉謙信に助けを求めたことがきっかけになったのです。

戦いのなかで、お互いを生涯の敵かつ無二のライバルと認めあった彼らの戦いは、いくつかの謎を残しつつ、今なお多くの人に語り継がれて研究が続けられています。

川中島の戦い全5回の場所、両軍兵力、勝敗結果

 

1553年から1564年にかけて、全部で5回おこなわれた合戦。武田軍の主な戦力は20000人あまり。臣下には山本勘助など名だたる武将がいました。

対する上杉軍の戦力は13000人ほど。これだけの戦力差がありながらも武田軍と渡りあった上杉謙信は、カリスマ的な才能があったのかもしれません。

第1次合戦

1553年に千曲川沿いでおこなわれました。「布施の戦い」、「更科八幡の戦い」ともいいます。それぞれの兵力は武田軍10000人、上杉軍8000人。

村上義清に求められて旗揚げした上杉軍は武田軍の先鋒を破り、荒砥城を落とし、青柳城を攻めました。武田軍は援軍を派遣したものの決戦は避け、それを受けて上杉軍も撤退し、合戦は収束します。

第2次合戦

1555年におこなわれ、「犀川の戦い」ともいわれています。武田軍は第1次合戦の時より兵力を2000人ほど増やしてこの戦いに臨んでいました。このとき両軍は200日という長きに渡って対陣し、膠着状態が続きました。

武田信玄と同盟を結ぶ駿河の今川義元の仲介により和睦が成立し、両軍は撤退します。

第3次合戦

1557年におこなわれ、「上野原の戦い」とも呼ばれています。

両軍ともに戦力を増強し、上杉軍は10000人、武田軍においては23000人で臨んでいました。武田信玄が上杉謙信に一目置き、慎重に構えたことがうかがえます。

上杉軍は北信濃に勢力を拡大する武田軍への反撃を進め、武田領深くまで進撃するのですが、武田軍はまたも決戦を避け、これを受けた上杉軍も撤退しています。

第4次合戦

さて、川中島の戦いのなかでもっとも激烈であったとされるのが、1561年の 第4次合戦です。

これまでの合戦よりも規模が大きくなったこの戦いで、武田軍の兵力は本隊に8000人、さらに上杉軍を挟み撃ちにする「啄木鳥(きつつき)戦法」のための別働隊には12000人いたと伝えられています。

それに対して上杉軍の兵力は13000人ほどといわれています。

戦力的にはやはり上杉軍が劣勢ですが、武田軍の作戦を先読みし、乱戦に持ち込んで武田軍を圧倒しました。しかしなんとか持ちこたえた武田軍に挟み撃ちにされた上杉軍は撤退し、この戦いも引き分けとなります。

両軍の損害は、武田軍が4000人あまり、上杉軍は3000人あまりとなっており、壮絶さが伝わってきます。

第5次合戦

最終決戦となった1564年の第5次合戦に関しては、詳細な情報が残されていません。

上杉謙信が出兵し、それを受けた武田信玄も塩崎城に布陣しますが、両者にらみ合いの状態が2ヶ月間にわたって続きました。

その結果両軍は撤退し、これ以降川中島における上杉と武田の衝突はありませんでした。

明確な勝敗こそ出てはいませんが、かねてより奪い合っていた北信濃は武田信玄が制圧したので、実質的な勝者は武田信玄だと考えられます。

川中島の戦い最大の激戦、第4次合戦について

 

川中島の戦いと聞いて多くの方が思い浮かべるのは、その激戦の様子ではないでしょうか。しかし先述のとおり、全5回にわたる戦いのなかで唯一、そしてもっとも激しくぶつかったのが第4次合戦であり、その他の合戦時は小競り合いか膠着状態でした。

互いに隙を与えず、慎重に出方をうかがう状況での緊張感は、想像もつきません。

ではその第4次合戦は、なぜ激しいものになったのでしょうか。

この時期上杉謙信は、幕府の要職である関東管領の上杉憲政(のりまさ)から、関東管領職と上杉家の家督の譲渡を申し入れられていました。その後正式に関東管領職に就任した謙信は、関東制圧の大義名分を得ることになります。

多くの大名が上杉側につき、彼と対立する北条氏康が籠城している小田原城の包囲に成功しました。

ここで北条氏康は、同盟を組んでいる武田信玄に救援を要請。これを受けた信玄が北信濃に進軍し、川中島に海津城を築きます。背後を脅かされた謙信は包囲を解いて、一時撤退しました。

謙信が関東制圧をするためには、背後の信越国境の地盤を固めることは急務であり、信玄の築いた海津城を攻略することは必須だったのです。

こうして第4次合戦がはじまりました。

しかし開戦後もにらみ合いは続きます。両軍は裏の裏を読みあって衝突し、激闘となります。多くの犠牲者を出し、両軍痛み分けとなったこの第4次合戦ですが、後に双方が勝利を主張し、明確な勝敗はつかないまま収束しました。

川中島の戦いでの一騎討ち、車懸りの陣は史実だったのか

 

第4次合戦における有名な逸話に、 武田信玄と上杉謙信の旗本同士による「一騎討ち」と、武田軍を瞠目させた上杉軍の「車懸りの陣」という波状攻撃があります。

古くから多くの歴史学者によって研究が進められていますが、どちらの真実も婉曲されて伝えられているのではないかと考えられています。

まず車懸りの陣に関してですが、多くの人が想像する陣形は、車輪状になった陣形でぐるぐると回りながら、常に新手で敵と対峙する波状攻撃が一般的ではないでしょうか。

ですが江戸時代に残された軍学書『軍法侍用集』においては、車懸りの陣は数ある陣形のうちのひとつの形としてのみ紹介されており、そこに上杉謙信の名は記されていないのです。

また武田軍の戦術や戦略について記された軍記物語『甲陽軍鑑』では、乱戦に持ち込み旗本を攻めるための戦術のひとつだと述べられています。

上杉側の軍学書『北越軍談』には「一手切の秘術」と記されていて、これらをみる限りでは車懸りは陣形ではなく、あくまで謙信の用いた戦術を指すのではないかと考えられています。

そして、この車懸りに乗じておこなわれたと伝えられているのが、武田信玄と上杉謙信の一騎討ち。こちらも史実では一騎討ちはしていないのではないかという説が有力です。

というのも、『甲陽軍鑑』には本陣に切り込んできた謙信の太刀を、床几から立ちあがった信玄が軍扇で受けたとありますが、『北越軍談』には一騎討ちがあったのは御幣川だったとされているのです。

また天海僧正による一騎討ちの目撃談もありますが、これは信玄本人が否定。謙信と戦っていたのは影武者だと反論しました。

このようなさまざまな史料から鑑みて、武田信玄や上杉謙信が己の太刀で応戦した状況は考えられても、2人が直接対峙したことは考えにくいでしょう。

川中島の戦いにおける軍師、山本勘助の生きざまに引き込まれる!

幾度も映像化された川中島の戦いを題材にした代表的な歴史小説です。武田の軍師、山本勘助に焦点をあて、その中で川中島合戦の波乱を描いています。

著者
井上 靖
出版日
2005-11-16

武田家の重臣、山本勘助を主人公とし、その半生をドラマチックに描いています。

史実にのっとった歴史小説ですが、どろどろとした人間ドラマや、側室や息子との交流など、人間臭さも感じとることができる内容で、王道の戦国小説とはひと味違うものになっています。

武田信玄の波乱に満ちた生涯を描く

1988年のNHK大河ドラマ「武田信玄」の原作となった小説です。

「風の巻」「林の巻」「火の巻き」「山の巻」の4巻からなっており、全編をとおして激動の時代を生きた武田信玄の生涯を描いたものとなっています。

著者
新田 次郎
出版日
2005-04-10

出生から無念の最期までを、全4巻というボリュームで描いています。読めば読むほど信玄の偉大さ、かっこよさが伝わり、より一層彼の最期の瞬間は切なくなってしまうでしょう。

読後には、もし信玄が志半ばにこの世を去ることがなければ......そんなたらればを想像してしまいそうになります。

激動の時代を生きた上杉謙信の半生とは

何度も映像化され、ゲーム化もした作品です。

上杉謙信の少年時代から川中島の戦いに至るまでが描かれています。

著者
海音寺潮五郎
出版日
2004-03-12

不遇の少年時代を過ごしながらも、義に生き、めきめきと頭角を現した上杉謙信の半生を、丁寧にそして軽妙に描いています。

蔑ろにされていた少年が成長し活躍するさまは、ヒーローそのものです。その生きざまにぐっと引き込まれ、彼のその後をもっと知りたい、と興味が湧くことうけあいです。

これまでになかった「川中島の戦い」

川中島の激動に揺れた須田満親という武将にスポットをあてた作品です。

あまりメジャーな武将ではありませんが、また新しい観点から川中島を描いています。

著者
伊東 潤
出版日
2016-03-08

さまざまな思惑によって分断されてしまった須田家という、これまでになかった切り口で描いている作品です。

川中島の戦いへ至るまでの、知られざるもうひとつの歴史を知ることができます。

いかがでしたか?知れば知るほど謎が深まる川中島の戦い、そして武田信玄と上杉謙信という2人の名将でした。新しい発見のたびにロマンが溢れる戦国の世界に、皆様もぜひ足を踏み入れてみてください。

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