朝廷に反旗を翻した「平将門の乱」は、その後訪れる武士の時代に多大な影響を与えたといいます。関東を支配した将門は、自ら新しい天皇になると名乗りましたが、それほどまでに野望を抱いていた人物だったのでしょうか。この記事では、そんな平安時代の一大事件の概要と原因、そしてその後の世に与えた影響と、おすすめの関連本をご紹介していきます。
朝廷に刃を向けて挑んだ「平将門の乱」の主謀者である将門は何を考え、何を望んだのでしょうか。
平将門は桓武天皇の血筋をひいていましたが、出世の見込みがないまま京の藤原忠平(ふじわらのただひら)の兵として仕えていました。その後、父の良将(よしまさ)が亡くなると、親族同士の領土をめぐる争いに巻き込まれていきます。
将門の祖父である高望(たかもち)は上総国(今の千葉県)の国司として赴任していました。国司とは、朝廷から派遣された行政官のことですが、当時は彼らの裁量権が大きくやりたい放題。高望も、任期が終わったにも関わらずその土地に居残り、小武士を集めて財力と武力を蓄えていました。
そして良将が亡くなり将門の代になったのこときっかけに、親族間で領土の奪いあいが始まってしまったのです。
この争いのなかで将門は叔父を殺害。そして朝廷とも争うようになります。歴史の資料からはっきりわかっているのは、将門が関東一円の国司を攻め、印綬という朝廷が国司に与えた証明書を奪う行為を続けた、ということです。
領土争いに勝利した彼は、関東を制圧。独自の国司を任命し、朝廷に対してますます反旗を翻していきました。
やがて将門は、菅原道真からのお告げがあったとして、自らを「新皇」と名乗るようになります。これは自分が天皇になるという宣言であり、朝廷としては決して認めることのできない狂気の沙汰でしかありませんでした。
将門の勢力は強大で、同時期に起きた瀬戸内海の藤原純友の乱もあり、脅威を感じた朝廷は将門軍を朝敵とし、討伐を命じるのです。ちなみに「平将門の乱」と「藤原純友の乱」はあわせて「承平天慶の乱(じょうへいてんぎょうのらん)」と呼ばれています。
940年、朝廷は藤原忠文(ふじわらのただぶみ)を征東大将軍に任命。同時に近隣諸国の武士にも将門討伐を命じ、そこに平貞盛と藤原秀郷が立ちあがりました。
将門軍は苦戦を強いられ、自らの本拠地である猿島郡(茨城県)に敵を誘い込もうとしますが、貞盛、秀郷の連合軍はこれにはのらず、焼き討ちをかけて相手を追い込む作戦に出ます。
多い時には手勢5000人もいた将門軍ですが、もはや400人足らずになってしまいました。将門は貞盛と秀郷らに討たれ、平安京で晒し首にされてしまいます。関東を独立させてからわずか2ヶ月で、将門の天下は終わりを迎えました。
平将門の乱が起きた原因は明確にはわかっていませんが、親族同士の幾度となく続く領地をめぐる争いが発端だといわれています。
平真樹(たいらのまき)と源護(みなもとのまもる)の土地の境界線問題で、将門は平真樹に頼まれて源護を襲撃しますが、このときに源護の3人の息子や義理の息子である平国香などを討ち取りました。源護の訴えで朝廷から呼び出されますが、朱雀天皇の元服による大赦で無罪となっています。
おそらくこの頃から朝廷との因縁が深まったと思われ、この事件が「平将門の乱」の始まりとみられているのです。
また親族間の対立が続くある日、藤原玄明(ふじわらのはるあき)が常陸の国司と対立して追われる身となり、将門を頼って訪ねてきました。常陸の国司は玄明の引き渡しを要求しますが、将門がこれを拒んだために争いとなり、ついに彼はその国司を倒してしまいます。
1度国司を倒してしまった将門は、これまでの朝廷に対する不満が爆発したかのように歯止めがきかなくなり、次々と国司を倒してついには関東制圧を成しとげてしまったのです。
つまり、土地の権利をめぐる抗争や相続争い、また他の氏族の争いに関わったことが結果的に国司を倒すことに繋がり、朝敵とみなされ、後戻りができなくなったという見方が一般的です。
自らを新皇と名乗った将門は、後の世の武将たちに大きな影響を与えたといわれています。
律令制が揺るぎはじめた時代背景もありましたが、武士が朝廷に脅威を与えることができることを証明した一連の事件は、源氏による鎌倉幕府を代表とした武家政権の時代を後押ししたといわれています。
新皇を宣言するという大胆な行動は、武士たちに勇気を与え、自分たちも天皇や天皇に代わる政権を持つことができるかもしれないという希望を持たせました。
また、将門にまつわる怨霊の伝説は人々を長きにわたり恐れさせていました。風水を信じる徳川家康は将門の霊を抑えることで江戸を災いから守れると考え、彼の首や体、鎧、兜などを納め、その神社7つを北斗七星の形に配置したのです。
平将門は日本の三大怨霊として恐れられており、現在に至るまで数々の伝説が残されていますが、彼の人生における激しい無念が人々の記憶に残された結果だと推測されます。
平将門の乱について、将門の人物像や周囲との人間関係、朝廷との関わり、朝敵になった理由、乱を起こすに至った経緯などが詳しく解説されています。
将門は悪役や怖いイメージがありますが、本書ではむしろ英雄的な人間味のある人物だったとして紹介しているのです。
作者は国立歴史民俗博物館の名誉教授を務めた経験があり、考古学や地理学などの知見から検証して全貌に迫っていきます。
- 著者
- 福田 豊彦
- 出版日
- 1981-09-21
武士の時代へと向かう道筋をつくり、次世代の武将たちに大きな影響を与えた人物として平将門に焦点を当てた作品です。
なぜ武士が登場したのか、朝廷の税はどのような仕組みであったのかなどがきちんと解説してあり、さらに彼の強さの秘密は製鉄技術や馬に注目したところにあるとしています。
基本的な説明をしながら、独自の視点の考察もしっかり書かれている作品です。
歴史上の人物にスポットを当て、中高生の日常的な学習から大学受験にも使えることをコンセプトにした「学習まんが」シリーズです。
天皇制がゆらぎを見せはじめ、貴族が実権を握り、勢力を拡大するため親族で土地を取り合う武士たち。その拡大する対立のなかで、ついに国府へも反逆することになった平将門の運命を描いていきます。
- 著者
- 出版日
本作での平将門は、横暴な領主から民を思い民を守るヒーロー的な存在として描かれ、その栄光と悲劇が展開されていきます。都のしきたりに戸惑う姿や、馬を愛する優しい姿をみることができるでしょう。
漫画としてのビジュアルの力を活かし、将門の内面や周りの人々との関わりを表現しながら、当時の地方の政治や反乱への経緯などをきちんと説明しているので、彼の人生とその時代をわかりやすく知ることができる一冊です。
海音寺潮五郎の時代小説です。
愛する女性とは官位なき者という理由で離され、京でも苛酷な運命におかれる将門でしたが、父の死をきっかけに同族同士の領土争奪戦へと巻き込まれていきます。将門は道に迷いますが、それでも運命に抗いながら親族との戦いに勝機を見出していくのです。
平貞盛との因縁も深まりを見せながら、やがては関東一円に目を向けていく将門は、あの「平将門の乱」へと1歩ずつ近づいていくのでした。
- 著者
- 海音寺 潮五郎
- 出版日
単に歴史を追うだけでなく、男女のドラマを織りまぜながら、時代に翻弄されていく平将門の姿を描いている作品です。
登場人物の描写がリアルであり、たとえば親族と対立の場面では時に激しく感情的に書かれていきます。
平貞盛とのぶつかり合いも迫力ある見せ場として何度も登場し、ページごとに読者を引き込む筆者の真骨頂を感じることができます。
平将門は日本の三大怨霊のひとりとなっているほどなので、とてつもなく野心があり恐ろしい人物だと思われがちですが、歴史家たちは作中で彼を優しい人物として書いていることが多くあります。将門については同じ事柄であっても資料によって異なる内容がたくさんあるので、これから解明されていく新事実が出てくるかもしれません。