藩を廃して県に置き換える、それは明治政府が実質的に政権を握るための大きな1歩でしたが、危険な賭けでもありました。やらなければ政府が壊滅するという危機に迫られるなか、大久保利通、西郷隆盛、木戸孝允ら明治維新の立役者たちは苦悶の決断を下したのです。 この記事では「廃藩置県」とその前段である「版籍奉還」について、なぜおこなわれたのか理由や目的をわかりやすく解説し、さらにおすすめの関連本をご紹介していきます。
1869年7月、明治政府は「版籍奉還(はんせきほうかん)」を開始します。
当時、倒幕により江戸幕府から明治政府の時代になったとはいえ、300年近く続いた幕府の体制を変えていくことは容易ではありませんでした。明治政府の各藩に対する権力はまだまだ脆弱で、政府が政治の実権を握る必要があったのです。
版籍奉還とは、各藩が治めている領土や領民の戸籍を、天皇に返還させる政策のこと。これまでの藩主だった者は、地方行政官の役職である「知藩事」に任命されます。これには、政府が各藩を法的に統制するという狙いが込められていました。
政府は各藩の反発が起きないよう、慎重に話を進めていきます。まず政府関係者の多い薩摩藩、長州藩、土佐藩、肥前藩の版籍奉還を先行しておこないました。彼らが領土や領民を天皇に返還すると、それ以外の小さい藩もこれに従います。
なかには明治維新に伴う戦いによって領民を統治する力が無くなっていた藩もあり、彼らは喜んで返還の勧めに応じました。
しかしこの版籍奉還は、中央集権化の改革の1歩にはなったものの、実質各藩を治めているのは「知藩事」と名前が変わった元藩主。あまり大きな変化はありませんでした。
そのため政府は、中央の力をより強固なものにしようと、「廃藩置県」に踏み切るのです。
1871年8月29日、政府は東京にいる知藩事(元藩主)を皇居に集め、重大な発表をおこないます。
全国の藩を廃止して、中央が管理する県と府に置き換える「廃藩置県(はいはんちけん)」が発令されたのです。これは版籍奉還に続き、明治政府の中央集権化という方針をはっきりと示したものでした。
しかし反発は版籍奉還以上のものが予想されました。重要な関係各所への根回しを徹底するも、各藩には直前まで隠していたといいます。
特に薩摩藩の島津久光は廃藩には反対だったため、西郷隆盛と大久保利通は彼に直前まで計画を知らせず、また最悪の事態を考え軍備もしながら実行の日を迎えました。久光は悔しさのあまり、大量の花火を打ち上げたという逸話が残っています。
話を戻して、この頃の明治政府の実情は、実際の政治や政策は明治政府がおこなっていても、絶対的な命令の部分では天皇の力に頼らざるを得ない状態でした。
政府が目指すのは「政府による中央集権」だったので、藩の制度を廃止することは、新しい国づくりに欠かせないものだったのです。
知藩事たちは全員失職させられましたが、そのかわりに貴族階級をつくり、元藩主の家系は新しい身分層である「華族」になっていきます。そして知藩事に代わる存在として、中央政府から「知事」が派遣されました。
明治維新、大政奉還、王政復古の大号令など、改革派の目的のひとつは、古い幕藩体制からの脱却です。大政奉還で将軍の地位と制度をなきものとし、王政復古の大号令で天皇中心の政治を宣言をしましたが、これらがきっかけとなって「戊辰戦争」のような悲劇も引き起こされてしまいました。
新しく明治政府が立ち上がって以降も、地方では藩主による統治が続いています。これでは結局江戸幕府のころと変わりません。徳川の持っていた領地が天皇の領地になっただけだったのです。
しかも各藩とも以前ほどの権威や力がないので、民衆の不安や不満は高まっていつ暴動が起きてもおかしくない状況でした。
反乱による最悪の事態を避けたかった明治政府は、政治の実権を握るには古い体制を壊すのが不可欠で、そのために各藩とどのような関係を築いていくべきなのかが最重要課題だったのです。
「廃藩置県」は単純な区画整理ではなく、中央集権化を目指す政治的な意味と、税収や土地管理という国の財政確保の課題を解決する大事な手立てでした。
1871年に実行された当初、府県の数は3府302県もありました。その後何度か府県合併がおこなわれ、1889年には47道府県まで調整されます。東京市と東京府が合併され東京都になったのは1943年のことです。
江戸時代にあった約300もの藩は、どうやって最終的に47都道府県に統合されていったのでしょうか。
また、明治政府が藩主・武士・庶民を巻き込みながらも果たしたかった中央集権化の政策とは何だったのでしょうか。
いくつかの藩に注目して、廃藩置県にともなう各藩の諸事情を物語として描写していきます。藩ごとにさまざまなエピソードがあり、「廃藩」という衝撃的な一大事にどう向き合っていったのかが描かれています。
専門雑誌「歴史読本」の連載ものに加筆して単行本化されており、連載時よりも内容が濃くなっているので、1度読んだ方でも新しい発見ができるはずです。
- 著者
- 高野 澄
- 出版日
タイトルにもあるように、物語調なつくりは読みやすさを感じさせ、難しい内容を優しく伝えてくれます。各藩についてまるでガイドブックのように詳しく丁寧に書かれているので、馴染みやすい作風です。
著者は、歴史小説作家の高野澄。幕末と明治時代に特化した作品を数多く執筆しています。本作は廃藩置県という明治政府の大きな政策をテーマにしていますが、硬くなりすぎないように作者のセンスで面白く味付けされているのが特徴。
連載ものなだけに、各章で盛りあがる部分がしっかり作られているので、読み進めやすい構成になっています。
明治政府が発足してまだ間もない頃に、なぜここまでして新制度を強行しなければならなかったのでしょうか。それには、当時の社会情勢と明治政府の緊迫した状況など、いくつかの要因がありました。
西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允ら薩摩、長州藩の指導者によって極秘に計画され、実行された大政策。権力を剥奪された元藩主たちは、どうしたのでしょうか?知られざる実態に迫ります。
- 著者
- 勝田 政治
- 出版日
- 2014-10-25
著者は、廃藩置県は最初から計画されていたものではなく、当初は版籍奉還によって知藩事の改革を考えていたと解説しています。まだ力をあまり持っていない明治政府としては、藩を温存しながらの改革を視野に入れていたことになります。
しかし薩長が軍備を強化したことによって、事態は急展開を見せていきました。
倒幕後の日本を動かしていく明治政府が、常に各藩の存在に頭を痛めていたということがよくわかり、あらゆる策を講じながらも廃藩置県という奥の手を使うしかなかった経緯が描かれています。
この制度が成立した理由を深く知るとともに、当時の政府関係者たちの苦悩がわかる一冊です。
廃藩置県は大久保利通や木戸孝允らが考案した、早くもバラバラになりかけていた明治政府を救うための大きな賭けでした。一刻も早く中央集権国家を誕生させるために、天皇の詔書によって強行する決断を下します。
この唐突な策は、藩主、公家、士族を驚愕させただけでなく、各藩の民も巻き込んでいきました。彼らが抱えた大きな不安は、やがて一揆に発展していくのです。
日本が西洋化へ向かうきっかけになった中央集権国家の道程と、現代にも通じる「県」へのシステムをどのように生み出してきたのかなど、激動の明治時代初期を描いています。
- 著者
- 勝田 政治
- 出版日
新政府ができたばかりの複雑な情勢のなか、日本を藩から県に統一しなければならなかった理由がしっかりと書かれています。明治維新を起こした人たちにとっては、倒幕の後が本当の意味で大変だったことがよくわかるでしょう。
廃藩置県は必要に迫られたことだったのかもしれませんが、この新しい政策が受け入れられるまでの道のりは険しいものでした。
本書では、各藩やそこに暮らす人々の暴動の危険性に頭を悩ませながらも、必死に明治政府を守ろうとした人々の姿が描かれています。
倒幕後の各藩の状況と藩主たちの動揺、明治政府の成り立ちから版籍奉還の実施、中央集権化への道程、廃藩置県の強行から府県制が成立するまでの政治局面……
初期の明治政府について余すことなく書かれている作品です。
まさに抜き打ちともいうべき制度の強行は、明治政府としてもかなりの覚悟のうえでの決断でした。政府の主要メンバーが何を考え、どう実行していったのか、また中央集権化とは何かを考えさせられる一冊です。
- 著者
- 松尾 正人
- 出版日
客観的な視点で、かつ史実に基づいて書かれている作品であり、明治政府の歩んできた中央集権国家になるまでの苦悶の道程がよくわかります。当時の時代背景についての説明や藩の廃止に至るまでの経緯が順序よく解説されている作品です。
シンプルにまとめられており内容も濃いので、版籍奉還や廃藩置県について、しっかり整理しながら理解したい人に適切な一冊だといえるでしょう。
いかがでしたでしょうか。廃藩置県という、ひとつの政策に隠された社会派ドラマを本の世界を通じて感じてみませんか?おすすめの一冊を手にとってみてくださいね。