「朝鮮」と書かれた魚を釣ろうとしている日本と中国、その2人を橋の上から眺めているロシア……きっと誰もが見たことがある風刺画「漁夫の利」。その風刺画を描いたビゴーの人生に迫ります!
ジョルジュ・フェルディナン・ビゴーは、1860年4月にフランスのパリで生まれました。官吏の父と画家の母の間で育ち、母の影響を受けて幼いころから絵を描き始めます。
12歳頃にエコール・デ・ボザールという美術学校に入学し、そこでジャン=レオン・ジェロームやカロリュス・デュランから絵について学びました。しかし、父が8歳のときに亡くなっていたため家計を助ける必要があり、4年で退学して挿絵の仕事を始めます。
ジャポニスムが流行していた当時のフランス。仕事を通して知り合ったエミール・ゾラなどからジャポニスムについて知る機会を得ます。また、1878年のパリ万国博覧会で浮世絵に出会い、興味を持ったそうです。
その後も日本への興味は尽きることなく、ビゴーは1881年末に日本へ渡航。在日フランス人の伝手を使い、日本の陸軍士官学校で絵画の講師として2年間雇われました。その後は日本の外国人居留地に住む外国人向けに絵を描くことで生計を立てます。
また、中江兆民の仏学塾でフランス語教師としても働きました。1887年にビゴーは風刺漫画雑誌『トバエ』を創刊し、居留フランス人向けに日本の政治を風刺した漫画を多数発表します。中江兆民らの協力により、『トバエ』の漫画には日本語のキャプションもつけられていました。
日本の不平等条約改正を機に1899年に日本を離れた彼は、フランスに帰国後も挿絵・漫画・ポスターなどの画家として活動しました。
1:幼いころから報道画家のような活動をしていた
1871年3月、パリでは普仏戦争敗北の講和に反対し、労働者階級を中心とする民衆によってパリ・コミューンが樹立されました。当時11歳だったビゴーは、政府軍によってこのパリ・コミューンが鎮圧される間の戦闘・殺戮シーンをスケッチして回ったそうです。
2:背が低かった
ビゴーの身長は、欧米人としては低い160㎝でした。このおかげで日本人の中に入り込みやすく、日本人と同じ目線で絵の構図をとることができたのではないかと言われています。
3:最初の奥さんは日本人だった
1894年、34歳だったビゴーは士族の佐野清の三女・マスと結婚します。マスは彼より17歳年下でした。1899年に彼が帰国する前に離婚していますが、マスとの間に長男モーリスをもうけています。
4:黒田清輝と大喧嘩した
ビゴーはフランスから帰国して間もない画家、黒田清輝に注目し交流を持ちます。しかし、フランスの最新流派を学んできた黒田とフランスを離れて長いビゴーの絵画に対する考えは大きく異なり、大喧嘩をして絶縁するに至りました。
5:写真撮影も多く行った
新聞社の特派員として自然災害を取材するなかで、写真の必要性を感じたビゴーは写真の技術も身につけます。日清戦争にイギリスの新聞社の特派員として陸軍に従軍した際には写真機を持参し、約200点の写真を撮影しました。
6:自宅に日本風の庭園をつくった
日本から帰国しても、なお日本に愛着を持っていたビゴーは、フランスの出版社に向けた挿絵で、日本の昔話をモチーフにした作品も発表しています。それだけでなく、晩年には竹を取り寄せて自宅に日本風の庭園を造りました。
7:漢字のサインをつかっていた
フランスでの作品の出版の際に、ビゴーは時々「美好」または「美郷」と、漢字のサインを使っていました。
8:遊郭に出入りしていた
日本の庶民の生活を描いた画集を自費出版しているビゴー。日本人の生活や社会を知るため、外国人居留地ではなく日本人の住む街区に住んでいました。その一環として、遊郭にも出入りしていたそうです。
明治維新後、近代化の道をたどる日本。当時日本に暮らした日本人たちはどのように生き、その姿は外国人の目にどのように映ったのでしょうか?
移りゆく景色と人々を、ビゴーは描き続けました。
- 著者
- 清水 勲
- 出版日
- 2001-09-10
「漁夫の利」や「ノルマントン号事件」などの風刺画で有名なビゴー。名前は知らなくてもこれらの風刺画を目にしたことがある人は多いでしょう。
彼が日本に滞在した間に描いた作品を100点厳選し、紹介・解説したのがこの本です。政治的な風刺画も掲載されていますが、日常のシーンを描いたものも多く取り上げられています。
ビゴーの作品は、写真がほとんどない時代の庶民の生活が描かれた貴重な資料です。外国人の目から見たからこそわかる当時の日本人の「日常」や愛おしさ、おかしさを垣間見ることができます。
『ビゴーが見た日本人』より、さらに日本人の日常にフォーカスしたビゴーの作品・解説集。
彼がいかに日本に馴染んでいたかがわかる作品です。
- 著者
- 出版日
- 1986-05-16
本書には、「兵士の一日」「芸者の一日」「娼婦の一日」「女中の一日」など全部で8つの章があり、それぞれのタイトルにある人物の一日に密着取材したような絵が60点掲載されています。
ビゴーがいかに日本人の日常を眺めていたのか、その視点のユニークさにハッとさせられると同時に、彼ののぞき見のうまさにも驚かされるでしょう。
風刺画とは、人物や社会などに対する遠回しな批判を絵に表したものです。風刺画にされることで読み取りやすくなることもありますが、逆に風刺画が描かれない・描かれにくいということから読み取れる歴史もあります。
本書からは近代史の流れとともに、風刺画が果たした役割も知ることができます。
- 著者
- 清水 勲
- 出版日
- 2015-07-23
5章からなる本書は年代ごとに章が分けられていて、日本の近代史を追っていくのに最適です。
明治維新以降、国内の動きが活発になり、さらに開国によって当時の列強各国との国際関係も絡んでくる日本近代史。文字だけではイメージも湧きづらく、学生時代に苦戦した人も多いのではないでしょうか?
本書はそんな時代を、風刺画を通して読み解きます。文字だけでは伝わらない当時の様子が風刺画に現れていて、イメージしやすくなっているのです。レストランや鉄道といった日常風景から、西郷隆盛が風刺されにくかった理由まで、歴史を楽しむ要素がふんだんに盛り込まれています。
風刺画家として有名なビゴーが、報道画も手掛けていたのはご存知ですか?
ビゴーが普段とは違う立場から切り取った「日本」が見られる一冊です。
- 著者
- 清水 勲
- 出版日
- 2006-12-08
1章の「皮肉られた日本」からは、おなじみの風刺画について理解を深めることができます。また、「女たちの日本」「男たちの日本」「庶民の日本」の章で描かれた風俗画とその解説からは、ビゴーが見た日本の習慣や風俗について学ぶことができるでしょう。
しかし、注目してほしいのは「写実の日本」という、報道画を描いた章です。ビゴーは風刺画家として有名ですが、実は報道にも多く携わっています。清水勲は、先にご紹介した『ビゴーが見た日本人』や『風刺画で読み解く近代史』の著者でもありますが、それらではビゴーの「戦争報道画」については多く触れられていません。
帝国主義の中で対外拡張を続けた当時の日本の最前線を見ることができます。
産業革命以降の世界史を俯瞰することができるムック本です。歴史ごとにユニークな風刺画を添えられていますので、目で楽しみながら歴史の勉強ができます。
- 著者
- 茨木正治
- 出版日
- 2016-09-13
日本に関する風刺画だけでなく、産業革命以降に広まった世界の風刺画を掲載・解説しています。風刺画の理解には当時の時代背景を知ることも必須ですが、それらの背景についても丁寧に説明されているので、一つずつ理解してくことができます。
各年代・各国の象徴的な事件や戦争ごとに風刺画を掲載しているので、世界史の復習にもピッタリです。暗記ばかりで楽しくない歴史の授業のイメージを変えることができるかもしれません。
いかがでしたか?ビゴーの作品をはじめとした多くの風刺画は、描かれた時代の歴史を知るよいきっかけになりそうですね!