5分でわかる平安京!おすすめの本も交えてご紹介

更新:2021.11.10

約千年に渡り日本の首都として機能した平安京。しかし、その遷都は暗殺や祟りという恐ろしいキーワードで彩られていました。今回は、「千年の都」の成り立ちについて深く知ることのできる本をご紹介していきます。

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平安京とは

現在の京都市街地にあった平安京は、桓武天皇によって794年に長岡京から遷都された後、明治初期までの約1100年間、日本の首都でした。

長岡京の前の平城京を踏襲したうえで唐の長安城の要素を取り入れて造られていることから、平安城とも呼ばれていました。都の中央に大内裏、そこから中心に向かって朱雀大路が通り、その左右に左京・右京が置かれています。都市を囲む城壁は羅城門の左右を除いては造られませんでした。

平安京の読み方は「へいあんきょう」、もしくは訓読みで「たいらのみやこ」。また、漢詩文では、「洛陽」「長安」と称されることもあり、それをもとにして「洛中」「上洛」などの言葉が生まれました。

桓武天皇について

 

平安京に遷都をおこなった桓武天皇は、それを含む2度の遷都や行政の大改革をおこなうなど、活発な政治、行政活動を行った異例の天皇でした。

彼がいったいどんな人物だったのかをみていきましょう。

1:天皇になるはずではなかった

当時は、天武天皇の血を引く一族が皇位を継いでおり、天智天皇系だった桓武天皇の父(光仁天皇)自身も天皇になるとは考えられていませんでした。しかし、政変によりその父が即位することとなります。

それでも、桓武天皇の母は身分が低かったため、異母弟が皇太子の候補としてあげられていました。その時、桓武天皇自身は官僚として働いていました。その弟が政争によって座を追われたため、桓武天皇が皇太子となり、その後即位をすることとなったのです。

2:旧勢力との決別のために長岡京へ遷都

平城京は、天武天皇系の天皇によって作られた都でした。天智天皇系である桓武天皇が気分一新の意味を込めて、また平城京において勢力を増していた寺社勢力の政治関与からの切り離しのために、遷都を実行したのです。

3:領地拡大のために蝦夷征討

桓武天皇は東北地方平定のために、3度に渡り蝦夷征討(えみしせいとう)をおこなっています。3回目の遠征では、坂上田村麻呂を征夷大将軍として送り、平定しました。これにより、領地を拡大するのです。

東北にあった金鉱脈が狙いだったともいわれており、国家財安定と自身の権威づけが目的だったともされています。

4:官僚だった経験を生かして行政の大改革

桓武天皇は、官僚、学者になるための教育を受け、皇太子となる前は官僚として働いていました。

天皇となった後、兵役制の見直し(健児制)や労役半減、田畑整理期間の変更、国司や郡司を減らして勘解由使(かげゆし)を設置するなど、行政の改革をおこないました。

 

なぜ平安京に遷都したのか?

桓武天皇は784年に長岡京を造営、遷都をおこないますが、その責任者だった藤原種継が暗殺されてしまいます。

その首謀者として大伴継人ら複数名が捕らえられ、処罰されました。そこで桓武天皇の弟であり皇太子だった早良親王に対しても疑いがかけられ、廃太子のうえ、流罪となります。親王は島流し中に餓死しました。

その後、桓武天皇の妻たちや母が相次いで亡くなり、息子の平城天皇(安殿親王)も重病にかかります。周囲では早良親王の祟りだという噂が立ちました。

祟りを恐れた桓武天皇は早良親王の墓を供養しますが、祟りは収まらず、都に疫病が流行り、洪水などの災害も相次ぎます。親王への鎮魂の儀を何度も執りおこない、祟道天皇と追称しました。

桓武天皇は、こうした不幸を断ち切るために、長岡京から平安京への遷都をおこなったのです。

決して平安ではなかった「平安時代」の実情とは

桓武天皇が行った2度の遷都、そしてそれに関するさまざまな政争。それらは決してドラマチックなフィクションなどではなく、史実なのです。では、当時それを下支えした財政、官制とはどんなものだったのでしょうか。

著者
川尻 秋生
出版日
2011-06-22

本書では、史料や古文書などを取り入れながら歴史を解説していくため、当時の社会構造・財政状況などを知ることができます。

また、桓武天皇という人物像、そして彼のおこなった行政改革と遷都という大事業が成しとげられた背景が記されているため、この変動の時代について深く理解することのできるでしょう。

平安京が築かれた平安時代の歴史的意義がわかる一冊

一見優雅に思われる平安時代の裏側には、疫病、災害、政争、そして蝦夷(えみし)との戦いがありました。

奈良時代から続く貴族による時代。それが少しずつ終焉に近づいていく過程とは、一体どんなものだったのでしょうか。

著者
北山 茂夫
出版日
2004-08-01

 

さまざまな史料や図を用いながら、光仁・桓武天皇の時代から平将門の乱に至るまで、読みやすい文章で伝えています。

奈良時代に作られた律令体制が崩壊していく過程が丁寧に描かれており、平安時代がどんな時代だったのか、そして日本の歴史の中でどんな意味を持つものだったのかを知ることができます。

奈良時代から平安時代、そしてその後の武士の時代への歴史の流れをつかむのにおすすめの一冊です。

 

桓武天皇の誕生から崩御まで、その人生に迫る

桓武天皇の波乱万丈な人生が、始まりから終わりまで活き活きと描かれています。彼が平安京遷都に込めた思いとは、そして強靭な精神力で成しとげたさまざまな行政改革の根底にあったものとは一体何だったのでしょうか。

著者
井上 満郎
出版日
2013-11-20

偉業を成しとげた桓武天皇の足跡を丁寧にたどっており、その人生について深く知ることができます。桓武天皇の実像に迫り、さまざまな角度から彼に近づくことができるでしょう。

また、ゆかりの地についても紹介されており、古都の素晴らしいガイドブックとしても楽しめる一冊です。

平安京不要論!?その理由とは

果たして、住民にとって平安京は住みやすい都だったのでしょうか?これまで誰もが考えもしなかった視点で、本質に切り込みます。

著者
桃崎 有一郎
出版日
2016-11-21

膨大な資料と史実に基づいた検証のもと、「平安京は大きすぎた」「さまざまな無駄があった」とする本書。そこからは当時の朝廷が抱いた理想と現実を見ることができます。

また、「無駄のある平安京」を有効活用していく過程も読みごたえがあり、知的好奇心をくすぐられる一冊です。

世界的に有名な観光地である京都は「千年の都」として知られています。その始まりは、決して平安なものではありませんでした。その時代を知ることのできる本を片手に京都を歩いてみると、きっとこれまでとは違った古都の顔を覗けるのではないでしょうか。

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