5分で分かる十字軍!簡単にわかりやすく遠征の目的と流れを解説!

更新:2021.11.11

約200年という長い歳月をかけておこなわれたキリスト教による聖地奪還「十字軍の遠征」。この長い攻防によって、キリスト教とイスラム教の双方はあらゆる分野で強く影響をしあい、その後の国家形成に大きな変化を起こすきっかけとなりました。

ブックカルテ リンク

十字軍とは

十字軍とは、11世紀末から13世紀にかけて、キリスト教徒が聖地エルサレムをイスラム教徒から奪還するためにおこなった、遠征の時の軍を指します。

約200年という期間に7回もの遠征がおこなわれ、その間に「聖地奪還」という当初の宗教的目的はさまざまな形に変化をし、多くの悲劇を生むことになりました。

キリスト教とイスラム教という2つの宗教は、この長い交わりによってその後の政治、社会、経済、文化などに大きな影響を与え合うことになります。

十字軍遠征の目的

11世紀、トルコ系のイスラム王朝セルジューク朝が勢力を増しアナトリア半島(現在のトルコ一部)を占領するなど、東ローマ帝国を脅かしていました。そこで、東ローマ皇帝のアレクシオス1世は、ローマ教皇ウルバヌス2世に援軍を要請します。

援軍要請とはいえ、ローマ教皇にとっては自分の地位を知らしめる絶好のチャンスでした。というのも当時、東ローマ帝国はローマ皇帝とローマ教皇の間に権力争いがあったのです。

そこで、自らの権力を知らしめるためローマ教皇は、「我々の聖地エルサレムを奪還するのだ」という大義名分を打ち立てて、十字軍を編成します。

エルサレムといえば、キリスト教の創始者イエス・キリストが教えを説き、磔の刑に処された後、復活した聖なる地。そして、イスラム教にとっては創始者ムハンマドが一夜にして昇天を旅した地です。

つまり両宗教にとって、非常に重要な聖地でした。よって「聖なる土地を奪還する」という大義名分は、ローマ教皇が民衆の注目を自らに集中させ、指導力を示す絶好の機会だったのです。

また十字軍遠征の参加者には、異例の免償(罪の償いを免除すること)が与えられるということも、騎士たちの意欲を駆り立てました。

全7回の十字軍遠征

第1回十字軍遠征(1096年〜1099年)

第1回十字軍は、フランス諸侯と神聖ローマ帝国の諸侯たちを中心に組織されました。遠征軍による虐殺・強姦や、諸侯間での内部対立などがあり混乱を極めましたが、彼らは見事エルサレム奪還に成功します。

そしてシリアを中心とした中東域にエルサレム王国、およびその周辺域に十字軍国家を建国しました。またこの頃、軍内にはおのおのの規律や目的を持った宗教騎士団が組織されます。なかでも有名なのが、テンプル騎士団やヨハネ騎士団とされています。

第2回十字軍遠征(1147年〜1148年)

しばらくの間、キリスト教とイスラム教が中東に共存する状態が続きましたが、1144年頃からイスラム勢力が再び盛り返しはじめ、いくつかの十字軍国家が占領されてしまいます。

これによって1147年、ローマ教皇エウゲニウス3世の呼びかけによって、フランス王ルイ7世やローマ皇帝コンラート3世らが中心となって、第2回の遠征が決行されました。

しかし当時の十字軍は、おのおのの騎士団によって権力争いがあり統率が行き届いておらず、小アジアなどの地域でイスラム勢力に敗北。第2回遠征は失敗に終わりました。

第3回十字軍遠征(1189年〜1192年)

1187年、とうとうイスラム勢力アイユーブ朝の英雄サラディンが、エルサレム王国を陥落。その後もサラディンの快進撃は続き、十字軍国家すべてが彼の軍によって落とされてしまいました。

これを受けて、ローマ教皇グレゴリウス8世は、再度遠征を呼びかけます。この頃にはイギリスも参加しました。

まずローマ皇帝フリードリヒ1世が出陣するも、途中地点キリキアで溺死。続きフランス王フィリップ2世、イギリス国王リチャード1世の両軍が遠征し、アッコンを奪還します。

しかしエルサレム再奪還を前に、こともあろうかイギリスとフランスの間で対立が生まれ、フランス軍が途中撤退。残されたイギリス軍は、イスラム勢力のサラディンと休戦協定に踏み切ります。この協定によって、キリスト教側にも巡礼の目的であればエルサレムを訪れることが認められました。

第4回十字軍遠征(1202年〜1204年)

この頃になると、聖地奪還という当初の目的は逸脱し、彼らの目的はイスラムとの領地争いに発展していきます。ローマ教皇インノケンティウス3世は、イスラム勢力の中心地エジプト占拠を目的に、遠征を呼びかけました。

しかし肝心の軍事費が足らず、なんと彼らは同じキリスト教の土地である、ハンガリーと、東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルを征服し、戦費を調達します。その後、コンスタンティノープルにはラテン帝国が建国。結局エジプト遠征はなされずに終わりました。

またこの頃には「少年十字軍」という悲劇的な運動も巻き起こります。1212年に神のお告げを聞いたというフランスの少年によって組織され、12歳以下の少年少女たちが地中海を渡りました。

しかし、彼らの多くが遠征途中のアレクサンドリアで奴隷に売り飛ばされてしまいます。一説によると少なくとも700人が奴隷としてその地に残されてしまったといわれているほどです。また実際は少年少女だけでなく、大人を含む一般市民も加わっていたといわれています。

第5回十字軍遠征(1218年〜1221年)

ローマ教皇ホノリウス3世の号令によってハンガリー王アンドラーシュ2世、オーストリア公レオポルト6世、エルサレム王国の国王ジャン・ド・ブリエンヌらが中心となって、イスラムの本拠地エジプトの攻略を目指しました。

しかし首都カイロ陥落を目前にして、キリスト教側の内部分裂が生まれ、失敗。ローマ帝国フリードリヒ2世が援軍を送りますが、エジプト軍を破ることはできずに終わりました。

第6回十字軍遠征(1248年〜1249年)

1244年エルサレムがイスラムによって陥落され、2000人を超えるキリスト教徒が殺戮されたことを契機に、フランス国王ルイ9世を中心に第6回遠征が決行されました。

イスラム勢力の中心地エジプトへ遠征するものの、首都カイロに到着する前の「マンスーラの戦い」でサラディン2世に敗北します。ルイ9世自身も囚われの身になり、莫大な賠償金によって釈放されました。

第7回、最後の十字軍遠征

長きに渡って続いた十字軍の最後の遠征が、1270年におこなわれます。この頃には、民衆たちの情熱はもはや消えてしまっていたものの、フランス王ルイ9世は第6回の失敗に対するリベンジの思いもあり、自らが旗を振って遠征に挑みました。
 

しかし、アフリカ北部チュニス付近でチフスが大流行。ルイ9世自身もチフスに感染して死亡し、彼らは撤退を余儀なくされたのです。これによって最後の十字軍は幕を閉じました。

なお遠征の回数には諸説あり、破門された元皇帝フリードリヒによる私的な遠征として1228年の遠征を数えて、計8回とする場合もあります。
 

十字軍がもたらした影響

十字軍遠征は膨大な数の犠牲者、そして莫大な財政支出をもたらしました。しかし悲しい結果ばかりでもなかったようです。

たび重なる遠征とともに、今まで権力を有していた教皇、諸侯、騎士の力が徐々に失われ、遠征を指揮した国王の力が高まりはじめます。これによって、西ヨーロッパはそれまでの中世封建社会が崩壊し、絶対王政への時代へと発展していきました。

また、彼らが経由したイタリア、フィレンツェなどの都市を中心に、商業が発展していきます。イスラム各国と西ヨーロッパによる東方貿易が活発化し、貨幣経済が急激に発展していくきっかけとなったといわれています。

イスラムの視点から十字軍を知る。歴史の新たな側面を見せてくれる一冊

一般的に十字軍遠征はキリスト教徒からの視点を中心に描かれることが多いですが、本書はイスラム教徒の視点で歴史的事実について綴っているのが特徴です。

イスラム教徒にとって、キリスト教徒はどのような存在だったのかということや、エルサレムの位置付けについてしっかりと描かれています。

著者
アミン マアルーフ
出版日
2001-02-01

イスラム教は、同じ宗教とはいえ実態は他民族によって繋がった1宗教であるため、民族によって多少捉え方が違うことや、ひとつにまとまることの難しさなどをあらためて知ることができます。
 

アラビア語からの翻訳の関係で、多少読みづらい箇所もありますが、とてもユニークな一冊です。

豊富なカラー絵図によって十字軍遠征の想像を駆り立てる一冊

聖地奪還のために組織された十字軍。その遠征前夜の様子からはじまり、第1回遠征の成功からラテン帝国形成までの様子、その後イスラム教の英雄サラディンが成し遂げた猛攻、ラテン帝国の衰退……と、キリスト教だけではなくイスラム側の立場にも立ちながらバランスよく歴史的事実を描いています。

著者
ジョルジュ・タート
出版日
1993-09-01

端的な文章で、十字軍の全体像を包括的に理解するために分かりやすく解説しています。
 

特にイスラム教のなかでも私たちにとって複雑で分かりにくい、スンニ派などいくつかの宗派についても説明されているので、単に2つの宗教の対立ということだけでなく、実態はもっと複雑であったことを知ることができます。

またカラーの絵図を豊富に使っているので、初心者にも理解しやすい一冊です。

第一次遠征の結集から結末までを、大スケールで描いた一冊

「神がそれを望んでおられる」というローマ教皇の号令によって、キリスト教徒は十字軍を組織します。第一回は7人の領主を中心に組織されました。

もともと欧州各地に領土を持つ彼らは、時に対立し合いながらも、最終目標である「聖地奪還」に向けて心をひとつにして難事を乗り越えていきます。

そんな第一回十字軍の結成から遠征、そしてその後の国家を設立するまでのストーリーを情感豊かに描いた一冊です。

著者
塩野 七生
出版日

何回かの遠征のなかでも特に激しい攻防がくり広げられたと言われる第一回遠征について、著者らしく情熱豊かに、なおかつユーモアたっぷりの文章で描かれています。

キリスト教とイスラム教の対立背景だけでなく、その周辺国家であるトルコやエジプト、イスラエル、イランなどの立ち位置まで、図表などを使いながら分かりやすく説明しているので、より大きな視点から理解する事ができるでしょう。

コンパクトにポイントを凝縮した一冊

数万人という大軍によって組織された十字軍。彼らはどんな思いで聖地奪還を目指したのでしょうか。

結成されるまでの経緯、回を重ねるごとに当初の宗教的理由が変化していった背景、そして悲劇的な少年十字軍……それらの通説をしっかりと解説しています。

著者
八塚 春児
出版日
2008-02-25

コンパクトながら、知っておくべきポイントを押さえて余すところなく描き切った一冊です。

筆者の憶測や推測ではなく、あくまでも通説に則って著されているので、西欧史学習者にもおすすめとなっています。

十字軍騎士団たちの心情にまで食い込んでいく、上級者の必読書

聖地奪還という大きな宿命を与えられた十字軍の騎士団たち。彼らは戦士であり、なおかつ修道士として厳しい規律をもって組織されていました。

そんな彼らの生活や考え方について、本書では綴っています。また遠征の主役だったテンプル騎士団と聖ヨハネ騎士団にも焦点を当て、それぞれの騎士団が結成されまったく異なる結末に至るまでの栄枯盛衰についても記しています。

著者
橋口 倫介
出版日
1994-06-06

教科書からはなかなか知ることのできない騎士団たちの実際の生活状況や、彼らが守りぬいた規律について描かれているのが新鮮でしょう。当時の彼らの心情を臨場感をもって感じることができます。

豊富な史料に基づいて描かれているので信頼がおける内容で、綺麗な文章表現も読んでいて気持ちがよいです。十字軍についてさらに深く知りたい方におすすめの一冊です。

200年という長い歳月のなかでくり広げられた、十字軍という2つの宗教の激しい交わり。さまざまな思惑と目論みによって変化していったこの遠征は、その後のヨーロッパとイスラム文化双方の政治、社会、文化、経済などの側面に大きな影響を与えていったのです。おすすめした書籍をとおして、より深く理解していってくださいね。

  • twitter
  • facebook
  • line
  • hatena
もっと見る もっと見る