『寿司ガール』ではお寿司が女の子の姿になって化けて現れます。ハマチだったり、穴子だったり、いくらの軍艦だったり……何かしら問題を抱えている人にはその姿が見えるようです。寿司ガールたちと出会った人々はその後どのような人生を送っているのでしょうか。
「寿司ガール」とは、寿司のネタを頭に乗せている女の子たちのこと。本作は彼女たちとの出会いを描いたオムニバス形式のファンタジーコミックです。
彼女らは回転ずしで回っていたり、カウンターに出てきたり、お惣菜パックに入っていたりと、お寿司のある場所ならどこにでも現れます。寿司ガールに出会った人の反応も、びっくりして声をあげたり、構わず口にいれたり、抵抗なく受け入れたりとさまざまです。
彼女たちはすべての人に見えているわけではありませんが、それが逆に現実感を醸し出し、もしかしたら寿司ガールは実在するのかも、と思わせてくれます。
全3巻で完結する『寿司ガール』。今回は、各巻のおすすめエピソードについて、ネタバレを含みながらご紹介していきましょう。
- 著者
- 安田 弘之
- 出版日
- 2011-10-08
問題や悩みを抱えた人の前に現れる寿司ガール。実際に問題を解決してくれるわけでも、ヒントを与えてくれるわけでもありませんが、彼女たちに出会った人々は確かな何かを得ることができるようです。
ショートストーリーでくり広げられるファンタジーコミックで、くすっと笑えるものから、ほろりときてしまうものまで、さまざまなエピソードがあります。
小学生時代にいじめられていた女の子は、「遠い異国へ行きたい」と練炭を買います。もちろんその使い方は知っており、時がくるまでは押し入れにしまっていました。特に生きがいもなくただ淡々と過ごしていたある日、家族と回転寿司にいった彼女は、そこで寿司ガールに出会うのです。
まるでクレオパトラのような装いの気高い寿司ガールの姿は、女の子の目にとても魅力的に映ったようで、彼女は女王様の身の回りを整えるためにたくさんのアイテムを工作するようになります。椅子、棚、ベッドなど、女王様の趣味に合うものができるまで何度でも作り続け、気に入ってもらえた時には大いに喜びました。
女王様のためにせっせと小物を作る毎日に生きがいを感じはじめた女の子は、「練炭」のことなどすっかり忘れていきました。しかしある日、突然女王様は消えてしまったのです。
唯一の生きがいが無くなってしまった女の子は悲しみにくれますが、寿司ガールとの出会いは彼女に「全力でやることの大切さ」を気付かせたのでした。
いじめなどを理由に、小学生にして自殺まで考えていた女の子。その顔は絶望の色に染まっていましたが、女王様のためにものづくりに励むようになってからは、非常に生き生きとした表情を見せるようになりました。その後の女の子の成長した姿に注目です。
涼子は「暇」が嫌いで、隙間なくスケジュールが埋まっていないと落ち着かない、睡眠は3時間あれば大丈夫という活発な女性。そんな彼女が回転寿司でご飯を食べていると、頭に甘エビを乗せた平安貴族のような寿司ガールがやってきました。
涼子は寿司ガールを「式部様」と呼び、液晶テレビやコスメ、ダンス、食べ物など21世紀の楽しみ方を教えますが、促されるまま忙しなく動き回った式部様は、途中でバテて倒れこんでしまいます。
涼子には自分のペースを相手に押し付ける癖があり、過去に付き合ってきた男性たちにも同じことをしてきたようです。式部様のことを行きつけのバーのマスターに相談すると、「甘海老式部姫には姫なりの楽しみ方がある」と苦言を呈されてしまいました。
平安時代の楽しみ方といってもピンとこない涼子は、とりあえず電気を消して、「何もしない」という方法をとります。ただただ時間が流れるだけの空間にいる涼子は、退屈に押しつぶされそうになります。しかし、元気になった式部様を見ると心が洗われたようになり、夜に浮かぶ月を一緒に眺めたのでした。
精力的に活動することは大切で、涼子のようにハキハキと動ける人は周囲から憧れられることもあるでしょう。しかし彼女は多忙を望んだことにより、「じっくりと向き合う」というもひとつの楽しみ方をなおざりにしてしまっていたようです。式部様と月を見上げた夜は、そんな彼女に新しい価値観を植えつけたのではないでしょうか。
- 著者
- 安田 弘之
- 出版日
- 2012-06-08
ある公園の桜の木の下で少女が自殺をしました。遺書にはたったひと言、「人間やめたくなった」と。
桜の季節になると花見客の前に姿を見せる「少女の幽霊」の前に現れたのは、花見客が残していった「ホタテのお寿司」と「カッパ巻き」でした。少女が幽霊だからかホタテちゃんとは話せるようで、おしゃべりをしながら生前を振り返ります。
少女は公園の桜の木の事を「桜田さん」と呼んでおり、死ぬときは桜田さんの下で死にたいとずっと思っていました。嫌なことがあった時、寂しい時、悲しい時、彼女はいつも桜田さんの下で過ごしていたのです。
いつものように桜田さんの下にいたとき、1匹の猫と出会いました。少女はその猫を「猫田さん」と呼んで可愛がりましたが、ある日矢に刺されて死んでいるのを見つけてしまいます。いたずらで放った矢で猫はこの世を去ったのだと知った彼女は、遺書を残して桜田さんにロープをかけたのでした。
少女は、ホタテちゃんとカッパちゃんにしばらく一緒に遊ぼうと声をかけますが、ホタテちゃんは「次はちゃんと食べてほしいから」と言ってお別れしようとします。その時、ホタテちゃんが少女に投げかけた言葉がとても深いものとなっておりますので、ぜひ注目して読んでみてください。
「人間」や「社会」の暗い部分を感じさせるこのエピソードは、軽率で心無い行動が、取り返しのつかない事態を生むこともあるということを読者の胸に訴えます。
しかし、重たいばかりではありません。次の年の桜の季節からは、花見客の間で「幽霊が出た」という話は聞かないようです。これがどういうことなのか想像してみると、きっと心が温かくなるでしょう。
ある公園に、おじいさんとおばあさんがいました。夫婦でも友達でもない2人は、公園のベンチの端っこに座り、口喧嘩ばかりしています。暑い日も、風が強い日も、寒い日も、ベンチに座ってとにかくお互いの悪口を言い続けました。
ある日、おじいさんが寿司詰めを持ってきておばあさんに声をかけると、相変わらず文句は言いますが一緒に食べ始めます。次におばあさんが桶に入ったお寿司を持ってきて、これまたおじいさんは文句を言いますが、やはり一緒に食べます。
それからも何度か寿司が間に入りましたが、2人が仲良くなることはなく、月日だけが流れていきました。
そしていつからか、おばあさんが公園に来なくなる日が多くなりました。おじいさんは雨の日も晴れの日も待ち続けましたが、一向に来る気配がありません。すると、おばあさんの娘だと名乗るひとりの女性が来て、おじいさんに寿司を渡します。
「公園にいる、感じの悪いじじいにお寿司を渡せ」との遺言があったそうなのです。
結婚していたことにちょっとショックを受けたようなおじいさんが、家に帰ってお寿司を開けると、そこにはなんとシメサバを頭に乗せた美少女が。驚くおじいさんにシメサバちゃんが放った第一声は、こんなものでした。「まだ生きていたのかくそじじい」。
まったく素直になれない、似た者同士の2人が微笑ましいこのお話。イヤなら公園に来なくてもよいはずなのに、毎日のように同じベンチに座って口論する2人は、確かに夫婦でも友達でもありませんでしたが、特別な存在になっていたのではないでしょうか。
ケンカ仲間が再び現れてくれて、おじいさんも嬉しそうです。
- 著者
- 安田 弘之
- 出版日
- 2013-03-09
小さな女の子の隣の家に住んでいるのは、ひとりのおばあちゃん。その家は古く、庭も草も伸びっぱなしのせいで、女の子の家にはよく虫が飛んできます。それをよく思わないのが女の子の母親で、何かにつけておばあちゃんの悪口を言っていました。
ある日女の子が、おばあちゃんと一緒に作ったお稲荷さんを持ち帰った時、母親は食卓に出すことなく捨ててしまいます。それを女の子は見逃しませんでした。
月日が経って女の子も成人し、母親からも結婚や仕事のことを気にかけられるようになります。小さな頃から愛されてきた彼女でしたが、その心にはなんとなく穴があいたような虚無感があり、虚しさに悩まされていました。そんな彼女を支えていたのが、亡くなってから「いなり寿司」に姿を変えて現れたおばあちゃんです。
はたから見て「幸せ」に見える人生が、当事者にとっての真の幸せかといえば、そうとは限りません。しかし、他の人には伝わりにくい悩みだと考えたから、きっと彼女は誰にも相談しなかったのでしょう。
彼女のそばに、そんなやり場のない気持ちを黙って聞いてくれるおばあちゃんがいてくれてよかった、そんな風に思えるエピソードです。
ひとりで寿司を食べていた女性が寿司ガールのアワビちゃんを見つけて騒いでいたところ、同じくアワビちゃんが見える男性と出会います。意気投合して連絡先を交換し、アワビちゃんは一旦女性と一緒に家族の元へ帰宅しました。そう、彼女は既婚者で子供もいます。
女性があらためてアワビちゃんを見ると、目と耳がないことに気づきます。女性の家庭は冷え切っていたので、アワビちゃんに余計なモノが視えなくて、聴こえなくて良かったと安心しました。その後、以前寿司屋で会った男性と会うようになりますが、どうやら男性の方にも家庭があるようでした。
お互いが既婚者なのは知っていますが、その後も2人はよく会い、かといって自分の家庭を捨てることもせず、アワビちゃんを通しての穏やかな交流が続きます。彼らが家族を傷つける道を選ばなかったのは、アワビちゃんが支えてくれたおかげといえるでしょう。
同時に2人の人間にアワビちゃんの姿が見えたのは、家庭にまつわる似通った悩みを彼らが抱えていたからかもしれません。これまでの寿司ガールは「大切なことに気づかせてくれる」という意味合いのエピソードが多くありましたが、このアワビちゃんの話は「同じ悩みを抱えている人がいる」ということを教えてくれるものになっています。
実は1〜3巻をとおして「スズキさん」という、小さな小さな女の子がお寿司屋さんに通うお話があります。このお話は全部で5話、女の子がお寿司を介して成長していく姿が描かれています。こちらもぜひ読んでみてください。