5分で分かるキューバ危機!核戦争を回避できた理由を解説!

更新:2021.11.10

第二次世界大戦以降、もっとも核戦争の危機が高まったといわれた期間がありました。アメリカとソ連が最大の緊張関係となったキューバ危機です。キューバ危機に関する本には今こそ読んでおくべきものがたくさんあります。

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核戦争間近だった!キューバ危機とは?

1962年、アメリカとソビエト連邦間の軍事的緊張が高まり、一時は核戦争間近とまでいわれた状態を「キューバ危機」といいます。

1962年の10月14日、キューバにソ連の核ミサイル施設が建設されているのをアメリカ軍が発見します。16日にはホワイトハウスにいた当時の大統領、ジョン・F・ケネディにこの事実が伝えられ、政府高官らにも衝撃が走りました。 

この日から丸3日、昼夜を問わず連続して会議が開かれ、アメリカ政府がどのような対応をとるのかが話し合われました。キューバにあるソ連基地への空爆や、キューバへの侵攻などの軍事行動の可能性も検討されていたのです。

しかし、本格的な武力行使をおこなえばソ連の報復は免れず、第三次世界大戦が始まってしまう恐れがあります。もし次に世界大戦が始まれば、アメリカとソ連の戦いは核兵器の応酬になると考えられていました。

20日、ケネディはキューバやソ連基地への攻撃ではなく、キューバ周辺の海域を封鎖するという決断を下し、22日にはこれをテレビ演説で発表します。ソ連の当時の指導者、フルシチョフはこの発表を強く非難し、封鎖を無視する意向を発表しました。
 

27日、両国の緊張が最大に達します。この日、フルシチョフはとても高圧的な内容の書簡をケネディに送りつけています。内容に震撼したホワイトハウスが対応の検討に揺れるなか、昼にアメリカ軍の飛行機がキューバ上空で撃墜される事件がおこりました。

また、ソ連領内のシベリアに、アメリカ軍の偵察機が不注意により侵入してしまうという出来事も発生し、もはや戦争は回避不可能ではないかという段階にまで至ってしまったのです。

この日を「暗黒の土曜日」といいます。 

これらの危機的な状況にあっても、両国のトップには「核戦争は避けなければならない」という考えがありました。これまで大きな戦争を経験してきた2つの大国は、その悲惨さや被害の多さをよくわかっていたのです。

もしこの事件の結末が、これまでに世界が経験したことのない「核戦争」ということになれば、未曽有の自体になることは明白でした。

互いを威嚇しつつも、ケネディとフルシチョフは最悪の事態を恐れ、両国ができる、可能な限りの譲歩と歩み寄りを始めました。

そして翌28日、ソ連がミサイルの撤去を発表し、キューバ危機は終わりを告げたのです。

 

キューバ危機が起こった原因とは?

地理的に近いアメリカとキューバの間には、キューバ危機以前に起きたしがらみがありました。1950年代に起きた、キューバ革命です。

1900年代初頭から、キューバはアメリカの「保護国」という立場に置かれていました。これは実質的な植民地支配であり、アメリカはキューバの政治にたびたび干渉していました。

1952年、キューバで軍事クーデターが起き、フルヘンシオ・バティスタが政権を獲得。彼も親米の立場をとり、それまでと同じようにアメリカの援助のもとで政治をおこないました。 

アメリカの一方的な支配と、そのアメリカに付き従う自国の政府に反旗を翻したのが、フィデル・カストロらをを含む革命軍です。1953年に蜂起し、多数の犠牲を払いながらもゲリラ戦を展開した革命軍は、バティスタ政権を追い詰め、1959年の1月1日に政権の奪取に成功したのです。 
 

カストロによる新政権樹立により、キューバ国内にあったアメリカ企業の土地がキューバ政府に接収されるなど、アメリカはキューバ国内での優位性を失っていきました。するとアメリカはキューバに対し、厳しい対応をとるようになります。

1961年にカストロが社会主義宣言をすると、両者の溝は埋められないものになってしまいました。 

一方で、キューバと親密になっていったのがソ連です。ソ連は対米優位を進めるため、1962年にキューバと軍事協定を締結。アメリカにばれないよう、ひそかにキューバに核ミサイルの配備を進めていました。

そして同年の10月14日、アメリカ軍の偵察機がキューバ上空で核ミサイル基地を発見。緊迫の糸が張り詰めるキューバ危機へと陥ったのです。

 

核戦争を回避できた理由とは?

最終的に、ソ連がキューバから核ミサイルを撤去することで、キューバ危機は終結しました。

10日以上に及ぶ緊迫した状況のなか、ケネディとフルシチョフは複数回の書簡を交わしています。両者とも、キューバ危機を終わらせるための提案や交換条件を提示しました。

当時は指導者間のホットラインなどは整備されておらず、この書簡がトップ同士の交渉に重要な役割を果たしています。

また、ホワイトハウスには、キューバへの空爆を進言する者も多くいましたが、攻撃を開始すれば戦争は免れず、核戦争に発展するという事態だけは避けなければならないと考えるケネディやその側近たちの判断によって、空爆は見送られることになりました。

同じくソ連・フルシチョフにも「核戦争回避」の意思があり、結果的にミサイル基地撤去の判断を下すに至ります。

キューバ危機が解決に至るまで、アメリカとソ連、およびキューバの間には、いくつもの意図的な事件や悲劇的な偶然がありましたが、それらを踏まえたうえでも戦争を回避できたことは、現代の奇跡のひとつといっても過言ではないでしょう。

ケネディ大統領の弟が見たキューバ危機

本書はキューバ危機当時アメリカ大統領だったジョン・F・ケネディの弟、ロバート・ケネディによる回顧録です。危機のさなかにいた人物の貴重な証言となっています。

著者
ロバート・ケネディ
出版日
2014-04-23

キューバにあるソ連基地が発見されてから、ホワイトハウスが昼夜を問わず重ねた会議に、ロバート・ケネディも参加していました。実際にその場にいた者にしかわからない緊迫感が文章から伝わってきます。

特にケネディとフルシチョフのやりとりは、読者までハラハラさせるような臨場感に満ちており、まるでドラマや映画を見ているような気持ちにさせられるとともに、これが現実にあったのだという現実を突きつけられます。

米ソはどうやって核戦争を回避したのか?

本書は、政治学や政策決定論に関する本のなかでも、特に名高い一冊です。政治学者と歴史学者の2人が、核戦争を回避できた政策決定までの決め手を分析・検討します。

著者
["グレアム・アリソン", "フィリップ・ゼリコウ"]
出版日
2016-03-03

本書は1971年に刊行されたグレアム・アリソンによる『決定の本質 キューバ・ミサイル危機の分析』に、フィリップ・ゼリコウによる調査も加えた第2版です。1巻と2巻の2冊立てとなっています。

大国の政治家による判断と決定は、いくつもの国を動かし、多くの人の未来を決めてしまいます。何が最善の選択なのか、あらゆる可能性を考え、ひとつひとつ判断を下す過程に失敗は許されません。 

キューバ危機における核戦争回避という結果は、関係した国々のトップや関係者ができたギリギリの最善手でした。歴史をつくる一手がどのように決められるのか、これからの国際社会でも念頭に置いておきたいテーマです。

豊富な資料に基づいてキューバ危機を語る

本書は、未公開資料や関係者へのインタビューをもとに書かれた、ドキュメンタリー作品です。

豊富な情報にもとづき、丁寧に事件の詳細が描かれた、非常に重厚な一冊。それぞれの章に日にちや時間が入っているので、時系列で流れを把握しながら臨場感に浸ることができます。

著者
マイケル ドブズ
出版日

数多くの写真が掲載されているのもポイントです。キューバ危機当時の資料がこれでもかという位集められている、歴史資料としても価値の高い本となっています。
 

キューバ危機がなぜ起こったのか、ソ連のミサイル基地建設が発覚してからの緊迫の13日間、そして危機の終結まで、あますところなくこの事件を描き切った渾身の作品となっています。

キューバ危機の舞台となった国を知る

キューバ危機をよりよく知るためには、キューバ危機以前から構築されていたアメリカとキューバの関係を把握することが必要です。本書ではキューバの歴史についてしっかりと勉強することができます。

著者
伊藤 千尋
出版日
2016-01-08

アメリカという超大国の近くにあり、アメリカの嫌う社会主義国を打ち立てたキューバ。この国にどういった文化があり、いかにして成り立っていったのかを知ることは、キューバ危機の発端を理解するために欠かせないでしょう。

社会主義国同士というつながりがあり、またアメリカより優位に立つ機会を狙っていたソ連がキューバとの仲を深めたことが、キューバ危機へとつながっていきました。ソ連の思惑だけでなく、キューバの「反アメリカ主義」も事態を加速させることになります。

どうしてキューバが激しい反米主義を掲げていたのか、それを知るためにもぜひご一読ください。

国際的な危機が起こったとき、国の命運を握るのは政治家です。過去の事件や政策、キューバ危機のような戦争危機に目を向けてその判断を顧みることは、これから同じような事態が起きた時の試金石になります。国際情勢不安定な今こそ、これらの本を読んでおきたいところです。

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