5分で分かる鎌倉幕府!成立から滅亡までわかりやすく解説

更新:2021.11.10

成立年が教科書で変更されたことでも話題となった鎌倉幕府は、明治まで続く朝廷・幕府の並立体制の始まりでもありました。そんな鎌倉幕府について、理解を深めることのできる本をご紹介していきます。

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鎌倉幕府とは

鎌倉幕府は、源頼朝によって樹立された武家政権です。学生時代は「いい国(1192)作ろう、鎌倉幕府」という語呂合わせで覚えたことがあるかと思います。成立以降約150年間にわたって国政を動かしたその幕府は、一体どんなものだったのでしょうか。
 

成立年

一般的には源頼朝が平氏を滅ぼして守護・地頭を各地に置き、警察・軍事権を朝廷から公認された1185年とされています。しかし、1180年の頼朝挙兵からという説や、おなじみ1192年の頼朝が征夷大将軍に任命されてからという説などもあります。

将軍

鎌倉時代、将軍は「鎌倉殿」と呼ばれていました。初代鎌倉殿は創設者である源頼朝、その死後は頼朝の嫡男である源頼家が2代目となりますが、北條氏により将軍職を剥奪され、最終的に暗殺されてしまいます。3代目となったのは頼朝の4男・実朝。12歳で将軍となった実朝は若くして右大臣になるなど、着実に昇進していきますが、26歳の時に頼家の息子に暗殺されました。

ここで頼朝の子孫は絶えたため、4代目・5代目は藤原氏から、6代目から9代目までは皇族が将軍として迎えられました。これは朝廷に対抗し、御家人たちに一目置かれるために高貴な血族であることが重要視されたためです。北条氏は執権という役職に就き、2代目将軍以降実権を握り続けていました。

所在地

鎌倉入りした頼朝は1180年に大倉に御所(政治をおこなう場所)を置き、邸宅として暮らしていました。これを大倉幕府と呼びます。この御所は45年間続きますが、北条政子が亡くなったことをきっかけに北条氏が宇都宮辻子へ移動(宇都宮辻子幕府)。その11年後、さらに若宮大路へと御所を移しました(若宮大路幕府)。

どの御所も現在の鶴岡八幡宮(鎌倉市)の近くであったとされています。それぞれの跡地の所在は以下の通りです。

 

  1. 大倉御所幕府跡地:鎌倉市雪ノ下
     
  2. 宇都宮辻子幕府跡地:鎌倉市小町
     
  3. 若宮大路幕府跡地:鎌倉市雪ノ下
     

 

仕組み

3代目執権・北条泰時が武士のための法律・御成敗式目を作成。武家政治を確立しました。また、幕府と御家人をつなぐ「御恩と奉公」という仕組みも作られました。 御家人が幕府のために働く「奉公」と、それに報いて幕府が御家人に土地などを与えるのが「御恩」となります。

鎌倉幕府が滅亡した原因

1274年と1281年に元(モンゴル帝国の属国、高麗王国)が日本に攻め込んだ戦い、元寇が起こります。日本は大きなダメージを被りながらも元を撃退。この際に戦った御家人に対して幕府は、元を追い返しただけで特に得られたものがなかったため、十分な御恩を与えることができませんでした。骨折り損の御家人たちは不満を募らせます。

また、政権を実質的に担っていた北条氏も、9代目執権である北条貞時は政務を真面目に行わず、その立場ももはや形ばかりになっていました。そのため、補佐役であった長崎高綱(ながさきたかつな)と安達時顕(あだちときあき)が実権を握り、彼らは不満を訴える地方や寺社に対して高圧的に対処します。

いい加減な幕府に対する不満が方々で募っていたと頃に、政治の中心を天皇とする体制に戻したい後醍醐天皇の倒幕計画に多くの御家人が参加。計画が露呈したことで天皇は島流しとなりますが、それによってさらに多くの武士たちが幕府に反旗を翻します。有力御家人であった足利尊氏も寝返り、1333年の激しい戦いの末に鎌倉は陥落、北条一門は滅亡。将軍は辞職して出家をしました。

こうして、鎌倉幕府は滅亡します。

源頼朝について

【生い立ち】

源義朝の三男として生まれましたが、母の家柄が高かったため、頼朝が嫡男の待遇を受けていたようです。父とともに平氏との戦いに参加するも敗北。父や兄は殺されますが、清盛の母の嘆願により、頼朝は死刑を免れて伊豆へ流罪となります。そこで監視役だった北条時政の娘・政子に出会いました。

【挙兵】

その後、1180年に以仁王が全国の源氏に平氏討伐の令旨を送ります。それを知った平氏が源氏討伐を行うこととなり、自身の身の危険を感じた頼朝は伊豆から挙兵します。伊豆を制圧石橋山の戦いで敗れて逃亡。そこから協力者、配下を着実に増やしていき、ついには鎌倉を本拠地として関東を平定しました。

源氏平氏だけでなく各地の豪族たちを巻き込んだ戦いの最中に、平清盛が死去。1185年壇ノ浦の戦いで平氏は滅亡しました。

【義経との別れ】

朝廷から勝手に任官を受けてはならないという決まりを破った武士たちには罰を与えた頼朝ですが、弟である義経にはそれをしませんでした。そんな中で、義経の勝手な行いに対して周囲から非難が高まり、頼朝は御家人に対して義経に従わないように命令を出します。

2人の溝は深まり、ついに義経が後白河法皇に頼朝追討の命令出すことを依頼し、宣旨が下ります。対して頼朝自身も出陣。義経は味方が集まらず、逃げる途中で行方不明となりました。

【幕府の基礎作り】

頼朝は朝廷に対しても怒り、法皇の代官を追い出すなど強硬な態度に出ました。それに焦った朝廷は、義経らを捕まえるための命令を関係諸国に下します。また頼朝は義経を捕まえるという目的で、諸国を取り締まる守護・地頭の設置することを朝廷に認めさせました。

その後、奥州藤原氏に匿われていた義経を発見し、自害に追い込みます。鎌倉に本拠を構える頼朝にとって常に不安材料であった奥州藤原氏も討ち、平定することとなりました。

【征夷大将軍へ】

頼朝は長らくわだかまりのあった後白河法皇と何度も対話を重ね、これを払拭。頼朝の諸国に対する守護権が認められました。後白河法皇の崩御後、1192年に頼朝は征夷大将軍に任命されます。晩年は地方支配の強化に努めましたが、1198年に体調を崩し、翌年に亡くなりました。

北条政子について

【頼朝との出会い】

1157年、伊豆の豪族であった北条時政の長女として生まれました。時政は伊豆に配流されていた頼朝の監視役でしたが、その父が上京している間に政子と頼朝は恋に落ちます。周囲の大反対を押し切って、2人は結婚。政子はすぐに長女を出産しました。

頼朝が挙兵後は離れて暮らすこととなりますが、鎌倉幕府が樹立し、頼朝が居住すると政子もそこへ移り住みます。そこで頼朝は鎌倉殿、政子は「御台所」と呼ばれるようになりました。

【尼将軍として活躍】

頼朝の死後は出家をして尼となり、尼御台と呼ばれるようになりました。息子である頼家が家督を継いだ後も、その不祥事を自ら収め、息子に対しても厳しく戒めました。それでも失政を続けて幕府に混乱を招いた頼家を政子は出家させ、将軍職を剥奪。伊豆に幽閉します。

その後、自身の次男である実朝が次の将軍となります。実朝の方は優秀で、異例の速さで昇進していきました。しかし周囲からの不満が募るなか、頼家の子供によって実朝は暗殺されました。

政子は4人の子供たちを産んでいますが、うち3人はすでに死去。実朝が亡くなったことにより、全員母よりも先に死んでしまったのです。頼朝の子孫が途絶えたため藤原摂関家から将軍を迎えましたが、まだ2歳だったこともあり、政子が将軍の後見役を務めて「尼将軍」と呼ばれるようになりました。

後鳥羽上皇と幕府の対立が深まり上皇が挙兵をした際も、動揺する御家人たちに対して演説を行い、彼らを収めます。軍議では攻め込まないという防御策を勧める声が強かったところ、政子の裁断で出撃が決定。それを予想していなかった上皇は焦って敗退し、降伏します。その戦の事後処理も政子が北条義時とともに行いました。

1225年、69歳で病死しました。

入門者から歴史通まで!鎌倉幕府成立期を知りたい人へ最初の一冊

さまざまな思惑と陰謀が飛び交い、骨肉の争いが繰り広げられた鎌倉幕府。源氏や平氏だけでなく、豪族、そして朝廷を巻き込んだその成立は複雑でもありますが、とてもドラマチックです。

その複雑な部分を明快に解説したのが本書。読めばきっと鎌倉時代を楽しめる、歴史初心者への導入本としてもおすすめです。

著者
石井 進
出版日
2004-11-01

 

頼朝の挙兵から、源氏の3将軍までをふんだんな史料や写真、図解と共にわかりやすく解説してくれます。また歴史的場面においては、頼朝、政子を始めとする魅力的な人物たちのやりとりがテンポよく描かれており、まるでその場にいるような臨場感に引き込まれます。

この時代について初めて知る人も、学校の歴史の授業以来の人も、知識のある人も、誰もが鎌倉時代についての知識を得られ、ロマンを感じられる一冊です。

 

幕府と朝廷の並存。その始まりの時代を描き切る

大政奉還まで続くこととなる幕府と朝廷の並立体制。それが始まったのが鎌倉時代です。

鎌倉時代における両者の関係、政治劇を、史料をもとに描いた本書。この時代の政治の流れを知りたい方におすすめです。

著者
近藤 成一
出版日
2016-03-19

 

成立から滅亡までを描いていますが、一般的な流れではなく、鎌倉幕府と朝廷との関係や政治の動きを、実際の訴状などの専門的な史料や古文書をもとにして解説しています。

特に、鎌倉時代後半に将軍職に就いた源氏以外の将軍たちと、それを取り巻く北条家の政治的動きを知ることができ、当時の複雑な歴史の流れを理解することができるでしょう。

 

鎌倉幕府の歴史・文化・宗教を知るならこの本

鎌倉時代成立から幕府は決して一枚岩ではなく、いつも不安材料を抱えていました。

本書では漫画として、当時の状況や、新しい仏教が台頭してきた背景と流れについてがわかりやすくまとめられています。大人が読んでも面白く、この時代について深く知ることができるでしょう。

著者
あおむら 純
出版日
1998-02-01

 

歴史の専門研究を基に描かれた漫画です。子供が読んでも大人が読んでも正しい歴史の流れを掴むことができるようになっています。

鎌倉幕府成立の流れと北条氏の思惑などの部分だけでなく、日蓮や親鸞などの広めた新しい仏教、元寇についても描いており、奥行き広く鎌倉時代について知ることができます。

世界年表と照らしあわされた当時の年表が、一層歴史への興味と理解を深めてくれるでしょう。

 

頼朝や政子などによって確立された鎌倉幕府は、その成立から滅亡まで安定した時期がほぼなく、非常にドラマチックな時代でした。とても歯ごたえのある時代なので、ご紹介した本を片手にこの時代の面白さを味わってみませんか。

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