Xジェンダーと公言した鎌谷悠希原作による漫画『しまなみ誰そ彼』。作者が直面した体験を元に、性をテーマとして描いた作品です。舞台は広島・尾道。自分らしく生きていくために苦悩する人々の姿をリアルに描いています。
主人公のたすくは、携帯の観覧履歴に動画が残っていたことで、周囲からホモだとからかわれます。
彼は「ありえない」や「キモい」といった、自分が言われたら一番傷つく言葉を自分で口にしながら、友人にホモではないと偽り、苦悩していました。
そんな時不思議な女性「誰かさん」と出会うのでした……。
- 著者
- 鎌谷 悠希
- 出版日
- 2015-12-11
作者の鎌谷悠希自身も「無難に生きようとして誤魔化したくない」とし、自分がXジェンダー(男でも女でもない存在)だと公言しています。そんな作者によるこの物語は、作者自身が直面した問題を題材にしているだけあって、性に対する問題がリアルに描かれているのです。
舞台は広島県尾道市。季節の空気を感じられるような瑞々しい作画を通して、傷つきながらも前を向く人々を応援できる作品となっています。
「たすく、お前ホモ動画観てたん?」(『しまなみ誰そ彼』1巻から引用)
夏休みに二日前、友人に言われたその言葉一つで「自分はもう終わりだ」と苦悩していたたすく。そんな時、高台にある家の窓から誰かが飛び降りる瞬間を目撃します。誰かに知らせようと慌てて向かった先にあったのは、「談話室」の看板が出ている平屋の一軒家でした。
その談話室には、老若男女さまざまな人がいました。たすくが「窓から人が落ちた」と伝えると、彼らはそろそろ「誰かさん」が散歩の時間だといいます。誰一人慌てない状況を理解できないたすくでしたが、そんな彼の背後から、先ほど飛び降りたはずの「誰かさん」はやってきたのです。
『しまなみ誰そ彼』では、いろいろな人たちが背負っている、性のあり方に関する悩みがリアルに描かれています。主人公のたすく自身、自分は同性愛者であると気づきながらも、周囲の目を気にして認めるのをためらっていました。
人間には自我があり、本能があり、誰を好きになるのも本人の自由です。しかし世の中ではまだ、男性は女性を好きになることが、女性は男性を好きになることが当たり前と思われています。
人間とは難しいもので「自分たちとは違う人」に対し、異様なものを見るような視線を向けてしまいがちです。誰かが誰かを好きになるのは当然のことで、愛には何の制限が課せられているわけでないとわかっていても、たすくはマイノリティである自分のことを知られるのが怖くて仕方ありませんでした。
しかし、彼が訪れた「談話室」では、自分のことを「普通とは違う」と思う人々が集い、当たり前のように自分らしく振舞っています。普通とは違う事をだれも咎めず、むしろ自分らしくいることを誇らしく生きているような人ばかりです。
ただ、談話室の中ではそういられるとしても、一歩外に出たら針のむしろになってしまう彼ら。親に言ったら失望されるだろうか、友達に聞かれたら孤独になってしまうだろうか、などといった苦悩・葛藤が鮮明に描かれます。
まだまだ性に対する偏見が多く、セクシャルマイノリティには厳しい世の中。そんななかで自分を誤魔化さず、意志を貫いて生きていこうとする登場人物たちの姿は、読者の目に美しく映るでしょう。
物語において最も重要な存在といえる「誰かさん」ですが、詳しい情報はおろか本名すら誰も知りません。ただ「彼女は談話室のオーナーだ」というセリフから、「誰かさん」が女性ということだけは分かります。
普段から言葉数の少ない「誰かさん」の行動はまったく予測不可能。たすくの話を聞いてくれた時も「何も聞かないし何もしないけど、何でも話していい」という、矛盾のような言葉を言います。
また、高台にある2階の窓から飛び降りたり、たすくの目の前で空気に溶けるように姿を消したりといった芸当をすることから、もしかしたら彼女は幽霊か何かなのかもしれないと考えたくなります。しかし散歩の時間が決まっていたり、談話室では内職をしたり、売店でアイスを買ったりと、他の人と変わらない、周囲に馴染みきった様子も見せるため、その正体はますますわからなくなってしまうのです。
そんな彼女は、自分の本当の姿を押し殺そうとしたり、気持ちを誤魔化すことを「死ぬ」という言葉で表現します。誰もが与えられた「人」としての人生は、誰かと比べる必要も、人と違うことを悩む必要も無い。自分らしく生きていけないのなら、自分を殺すことと同じだということを言うのです。普段無口なせいか、彼女の言葉の一つ一つには説得力があります。
このように、談話室の人々に親しまれている「誰かさん」。彼女が今後どんな活躍を見せるのか、それともやはり何もしないのか、予測は誰にもできません。
この作品には、心に響く名言がたくさん出てきます。それらは特定の誰かにだけ向けられたものではなく、すべての人を励ます言葉です。
「なんでも話して。聞かないけど。」(『しまなみ誰そ彼』1巻から引用)
「誰かさん」がたすくに向けた言葉です。誰にも言えない秘密の重みで押しつぶされてしまいそうなら、言葉にするだけでもよいのかもしれません。また言葉にすることで、本当の自分を知ることにも繋がるのでしょう。
「私、女として 女の人が好き。今 知っていてほしい。明日でも10年後でもなくて、今の私を」(『しまなみ誰そ彼』1巻から引用)
大地という女性が、自分が同性愛者であることを両親に打ち明けた時のセリフです。自分にとって大切な人たちだからこそ知っていてほしい、と。いつか来るかもしれない、同性愛も当たり前の愛の形だと認められる未来にではなく、今伝えるということが大切だったのです。
「私が私らしく楽しく 元気に生きてるってこと 見せてくほかに、私は私を伝えようがないもの。」(『しまなみ誰そ彼』1巻から引用)
上記もまた大地のセリフです。大切な両親に本当の自分を打ち明けたところ、彼女が思っていたとおり家族関係は一時ボロボロになりました。しかしそれでも「自分らしく生きていく」と決めた彼女は、愛する家族のために、自分が望む未来を掴んだ姿を見せることで、幸せな人生を歩んでいるということを伝えようとしているのでした。
第1巻。クラスメイトに携帯の視聴履歴にあるホモ動画を見つけられたたすくは、自分が同性愛者だと気づかれたのではないかと怯え、自殺まで考えていました。そんな彼の前に「誰かさん」が現れ、「談話室」へと誘われます。
談話室は性の事情を抱えた人たちが、自分を偽らずにいられる空間。たすくはそこで、同性愛者の大地という女性と出会い、前を向いて生きる彼女の姿を見て胸を打たれるのでした。
1巻では、セクシャルマイノリティたちの物語を中心に、彼らの苦悩する姿が色濃く描かれています。また、彼らに歩み寄っては本音を吐露させる誰かさんは、秘密を抱えた人物ばかりがいるこの物語では、唯一無二のキーパーソンです。
- 著者
- 鎌谷 悠希
- 出版日
- 2016-10-12
第2巻。自分が同性愛者であることを告白したたすくを受け入れてくれた談話室の人々。一方で、談話室に来ている時だけ女装する小学生の秋治は、自分がどうして女装したいのか、理由がわからなくて悩んでいました。たすくは秋冶に「女装して花火大会に行こう」と誘いましたが、秋冶は……。
このエピソードでは、秋冶との交流のなかで成長していくたすくの姿が描かれています。まだ小学生で、自分で自分の気持ちを理解しきれない秋冶。たすくはそんな彼に、どのような形で寄り添おうとしているのでしょうか?
物語の続きが気になる方は、ぜひ手にとってみてください。
3巻では、談話室で出会った性同一性障害で、今は男性として生きている内海と元同級生の交流、たすくのカムアウトの様子が描かれています。
内海はある日、ギャラリーになる予定の空き家でワークショップを開きました。子供達にと一緒にタイル貼りをしていると、そこにたすくが思いを寄せる椿がやってきました。
たすくは気まずさを感じたものの、椿はいつも通りに振る舞っています。
一方、内海はそこでかつて高校時代に同級生だった小山と再開します。彼女は悪意なく、彼にこう言いました。
「確かにあの頃から背高くて髪短くて男っぽかったけど、
まさか本当に男になっちゃうなんてね!」
それを聞いた内海は、「小山さんは相変わらず…元気だよなあ」と冷たい表情で返します。
そう、実はこの小山こそ、悪意ではなく、善意からマイノリティである人々を傷つけてしまう人物だったのです。
- 著者
- 鎌谷 悠希
- 出版日
- 2017-11-15
そのあとも、たすくに「そういえば君もそういう趣味の子?」と聞いてきたり、内海をOG会に誘い、躊躇する彼に「心と身体の性別が違うのってそういう障害なんでしょう? 同性愛みたいな趣味とはまた違うんだし」と言って周りを談話室の人々をえも言われぬきもちにさせます。
これだけ読むと単にデリカシーのない人に思われるかもしれませんが、むしろ気を使える方の小山。デリケートな問題だから気をつけようという心がけが、無意識下にある彼女の鈍感な部分を際立たせているだけとも言えるのです。
結局内海はOG会に参加することにするのですが、そこでも小山の「内海のため」を思った優しさが彼を何とも言えない気持ちにさせて……。
談話室のメンバーのひとりで同性愛者である大地は、内海ががOG会に行くと聞いて、小山にまた傷つけられないか心配だ、言います。「悪意とは戦えるけど、善意とは戦いようがないもん。 私だって怖いよ」、と。
たしかにマイノリティでなくとも、何か周囲に気を使われすぎて嫌な気持ちになったり、下に見られているように感じたことのある人はいるのではないでしょうか。
その時のなんとも言えない雰囲気が3巻では丁寧に描かれています。
そして内海が小山に言った言葉が、たすくが椿にカムアウトするきっかけにもなり……。詳しい内容は作品でお確かめください。
マイノリティでない人々にも、共感できるところ、学べるところが毎回ある本作ですが、善意が人を傷つけるということは、なかなか自覚的になれない部分ではないでしょうか。自分がそうなっていないか、深く考えさせられる内容となっています。
なかなか難しい性の問題。セクシャルマイノリティへの理解もまだ浅いので、いつか偏見が無くなればいいですね。この作品を読んで、人それぞれの価値観に理解を深めていただければと思います。