悩みなく思春期を過ごした、という人はそう多くないのではないでしょうか。もしあなたが、悩みを抱えて思春期を過ごした、今も悩みを抱えているというのであれば、『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』はきっと胸をえぐります。
- 著者
- 押見 修造
- 出版日
- 2012-12-07
『惡の華』『ぼくは麻里のなか』などで知られる押見修造の『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』は1巻完結ながら、多くの人の胸をえぐった作品です。
本作の主人公は吃音症を抱えた女子高生大島志乃が主人公。吃音症は一言で言うと、うまくしゃべれない病気です。いくつか種類がありますが、志乃は重度の難発型で、タイトルの通り、自分の名前が言えません。
「大島志乃」の初めの「お」を発音しようとするとこのようになります。
押見修造自身が吃音を抱えていたこともあって非常にリアルです。私も軽度の吃音ですが、読み続けるのをやめたくなるくらい胃がキリキリとしてきます。
第1話は、志乃ちゃんが自己紹介で名前を言えない、というだけで終わります。漫画史上、最も吃音というものを丁寧に描いた1話と言っていいでしょう。
「名前くらい言えるように」じゃねぇよ!とツッコミたくなる、無神経な教師に腹が立つシーン。志乃ほど重度ではないにせよ、0.8%~1.2%、およそ100人にひとりは吃音者であるというデータもあります。
100人にひとりということは、おおよそ3クラスにひとりは吃音者がいるわけです。にもかかわらず、対応を見るに、この教師は「吃音症」という言葉をおそらく知らないのでしょう。あるいは言葉は知っているにせよ、原因は緊張だとでも思っているのでしょう。吃音症と調べればWikipediaに「吃音」は「脳機能障害」だと書いてあるのに、その程度のこともしていない教師に「協力するし」と言われても、と思ってしまいますが、現実はこんなものでしょう。
生徒の悩みについて、ちゃんと話を聞いて、寄り添ってくれる教師はそう多くない気もします。
理解されない経験をしたことのある読者の胸をえぐるシーンです。
悪気はないのだろうと思いますが、吃音を抱えながら思春期を過ごした多くの人が経験することです。押見修造も笑われたと本作のあとがきに書いています。
同列に語っていいかはわかりませんが、視覚障害者をバカにする人はそう多くないでしょう。しかし、吃音や性同一性障害などをバカにする人は一定数います。理解されていないからなのか、想像できないからなのか。
目が見えないという状態は目を閉じればわかっても、言葉が出てこないという状態はよくわからないからなのかもしれません。
『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』の凄さは、言葉が出てこないという想像しにくい状態を読者に追体験させることに成功している点です。戯画的に描かれた男の子の顔は、多くの読者の目に残酷にうつるでしょう。
「喋れないんなら紙に書けばいいじゃん」
これはある意味、誰にでも思いつくことではありますが、実際に提案する人はかなり少ないでしょう。特に、吃音者の側からこの発想が出てくることは稀だと思います。なぜなら、自分のせいで、相手にコミュニケーションの負担を与えてしまっていると常々考えているからです。
吃音を抱える志乃にとって、不愛想な同級生が当たり前のように口にした言葉は、これまでの人生で一番くらいの救いになったのではないでしょうか。
簡単なことですが、文字通り有難い救い。物語にどっぷりつかりこんでいると、思わず涙が溢れてきそうになるシーンです。
- 著者
- 押見 修造
- 出版日
- 2012-12-07
『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』は吃音を抱える主人公の心情を丁寧に描いた物語ではありますが、「吃音」だけに焦点を当てた物語ではなく、もっと広い、誰にでも当てはまる悩みについて描いた物語になっています。
本作の大きな特徴のひとつとして、「吃音」という言葉をあえて出していないというものがあります。それは、押見修造が、「吃音症」の物語ではなく、「誰にでも当てはまる物語」にしようと意図したからです。
悩みを抱えた思春期の理解されない悲しみ、バカにされる悔しさ、そして不意に訪れる救いを描いた、多くの人の胸をえぐる物語なのです。
南沙良、蒔田彩珠のW主演で映画化も決定した本作。2018年7月公開とのことで映画にも期待が高まります。
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