寧々は、尾張国の杉原定利、朝日殿の次女として生まれ、後に浅野長勝の養女となります。生まれた年は定かではありません。
1561年、織田信長の家臣であった豊臣秀吉に嫁ぎますが、子どもがなく、秀吉や自身の親類を養子や家臣として養育していました。1568年から数年は美濃国に在住し、1574年に近江国12万石の主となった秀吉に呼び寄せられて、転居しました。
その後秀吉とともに大阪城に移り、彼が関白に就任した後は北政所(きたのまんどころ)の称号を許されるようになります。天下人の妻として、朝廷との交渉や、人質である諸大名の妻の監督などをおこないました。
1598年に秀吉が亡くなると、1599年には大坂城を去り、京都新城に移住します。関ヶ原の合戦後も引き続き京都新城跡の屋敷に住み、供養に専念していました。
1603年、秀吉の遺言でもあった秀頼と千姫の婚儀を見届け、これを機に出家します。1605年には家康の後援によって、京都東山に高台寺を建立しました。
1:信長が秀吉に寧々を勧めた
信長が鷹狩りの帰りに立ち寄った浅野長勝の屋敷で、寧々は彼らにお茶を出します。信長は彼女を大変気に入り、秀吉に妻にするよう言ったそうです。
2:実母は結婚を認めていなかった
寧々は当時としては珍しく、秀吉と恋愛結婚します。しかし実母の朝日殿は、周囲の反対にもかかわらず結ばれたものとして、彼女と秀吉の婚姻を生涯認めることはありませんでした。
3:信長が非常な気遣いを見せている
信長は、秀吉の浮気に悩む寧々に、臣下の妻に対するものとしては非常に丁寧な激励の書状を送っています。その手紙では秀吉のことを「ハゲネズミ」呼ばわりすらしていました。
日常的なやり取りであるにも関わらず、あえて公式文書を意味する「天下布武」の朱印が押されており、信長の気遣いを感じることができます。
4:キリスト教徒に理解があった
寧々はイエズス会の宣教師たちに便宜を図っており、ルイス・フロイスは『日本史』のなかで彼女について「異教徒であるが、大変な人格者で、彼女に頼めば解決できないことはない」と記しています。また彼女の侍女には、マグダレナというキリスト教徒もいたそうです。
5:朝廷から異例の叙階をうけた
1585年、寧々は秀吉が関白になったことに伴い従三位に叙せられています。その後1588年には、後陽成天皇の行幸を万端に整えた功績によって、異例の従一位に叙せられました。
6:秀吉と話すときは尾張弁だった
寧々と秀吉が2人で話をするときは、尾張弁だったと言います。その会話を聞いた侍女たちは、2人がケンカをしているのではないかと疑うほどでした。
7:徳川秀忠と良好な関係をつづけた
徳川秀忠は、12歳のときに家康から秀吉に人質として送られています。その身柄を預かった寧々は、秀忠のことを手厚くもてなしていました。そのため、秀忠は上洛するたびに彼女を訪ねています。
また兄の家定が没し、その所領の相続をめぐって家康と意見が対立した際に、寧々は秀忠を頼っていました。
8:まつと仲良しだった
寧々と秀吉は、前田利家と正室である芳春院(まつ)の娘である豪姫を養女として迎えています。寧々は晩年までまつと親密な関係だったそうで、2人で温泉に入った記録も残されています。
子を産めなかった正室と、子を産んだ側室……このため、通説では北政所と淀殿は対立していたと言われています。
- 著者
- 小和田 哲男
- 出版日
北政所と淀殿の確執が豊臣家を滅ぼした、と通説では言われていますが、真実はどうだったのでしょうか……?本書は、そのような視点にとらわれることなく、2人について検証しています。
対立よりもむしろ2人で役割を分担し、豊臣家を守ろうとする彼女たちの姿を見ることができるでしょう。読後はこれまでの歴史観が変わっていること間違いなしです。
「物語と史蹟をたずねて」シリーズのうちの一冊で、日本史を一般向けにやさしく書いています。
- 著者
- 土橋 治重
- 出版日
秀吉の出世とともに変わっていく寧々と、変わらない寧々。どちらも本当の彼女に変わりはなく、本書ではその人となりに迫っています。
尾張弁でつづられた文章からは、彼女が秀吉が会話をしている姿が容易に想像でき、「人間」寧々を知ることができるでしょう。
家康の仕打ちが、晩年の寧々に暗い影を落とします。そのなかで彼女どのように生きたのでしょうか。
- 著者
- 阿井 景子
- 出版日
- 2006-02-09
秀吉死後の寧々を中心に描いている歴史小説です。
剃髪し、高台院と称した彼女は、静かに秀吉を弔って生きていきたいと願いますが、多くのものがそれを阻もうとします。
彼女を取り巻く当時の状況を知りつつ、悲しい晩年につい感情移入してしまう一冊です。
秀吉の妻として、彼女が果たした役割は幅広いものでした。本書はその役割を中心に、彼女の生涯を明らかにしています。
- 著者
- 田端 泰子
- 出版日
- 2007-08-01
日本中世史・日本女性史を専門とする著者が描く、寧々の評伝です。
秀吉との婚姻以降、彼女が妻として果たした役割は実に幅広く、城主代行、養子の養育、人質の処遇、朝廷との交際などさまざまでした。子宝に恵まれず、秀吉の嫡男を側室である淀殿が生みますが、それでも揺るがなかった彼女の正室としての地位は、この時代において稀有な例でしょう。
秀吉のみならず、豊臣氏にとって寧々がいかに重要であったかがわかる一冊です。
先述した『高台院おね』は秀吉死後の寧々にスポットをあてた歴史小説でしたが、本書は同じ時期について書かれた評伝です。
- 著者
- 津田 三郎
- 出版日
13章からなる本書は、秀吉の死からはじまり、彼女の晩年26年間のことが豊国神社別当の『梵舜日記』などをもとに綴られています。天下人の妻として栄華を極めた彼女が、豊臣家の滅亡や豊国神社の破却など、失意のなかで過ごした晩年はどのようなものだったのでしょうか?
詳細な史料にもとづいた著作ですが、新書なので読みやすい一冊です。
いかがでしたか?寧々がいかに頼もしい女性であったかがわかる本ばかりです。気になったものから手に取ってみてください。