徳川5代将軍・綱吉が出した生類憐みの令といえば、天下の悪法と呼ばれるほど評価の低いものです。一方その実際の内容はあまり知られていません。一体どういう経緯でそのお触れを出されたのでしょうか。考えていくと、意外な事実が見つかるかもしれません。
生類憐みの令(しょうるいあわれみのれい)は、135回にもわたったお触れの総称です。理解しない者や守らない者が絶えず、内容を継ぎ足すようにして次々と出されました。ただ運用の厳格さは、各地でばらつきがあったようです。
徳川綱吉が愛犬家で知られることもあり、犬だけが保護されたイメージもありますが、その対象は多種の生き物におよびました。犬が1番身近で数が多く、牛や馬はそもそも当時大事にされていたため、犬ばかりが目立って記憶されることとなったようです。時代劇などで面白おかしく誇張されてきたことも原因かもしれません。
人間に対しても、捨て子を禁止したり、主君の死に追随して切腹することを禁じたり、牢獄の環境を改善したりしました。
人々は犬を避けるようになり、また手が出せないため野犬が凶暴化していきました。そこで江戸に野犬を大量に保護する施設を作ったため、財政を逼迫します。22年も続いたこれらのお触れは、綱吉の死後ただちに撤廃されました。
綱吉は一体なぜ生類憐みの令を出したのか、その本当の狙いや、願いとは何だったのでしょうか。さまざまな説がありますが、以下に一例をあげます。
しかしどれも、これぞという確固たる根拠を持つものはありません。現在も多くの解釈があります。
生類憐みの令は、実際にどのような内容だったのでしょうか?その一部を紹介します。
綱吉は若いころから礼儀を重んじ、几帳面で清廉な青年でした。うっかり無作法に近づくなら、近臣であってもその会話を断るような性格です。
しかし世の中は、荒武者ぶりこそ伊達であるという風潮がはびこり、些細な原因で流血騒ぎになることもざらでした。綱吉はそんな風潮を毛嫌いし、家臣たちには行動を慎むようたびたび申し付けていました。
先代の将軍だった兄の家綱は、敵軍からの防衛よりも火事対策を重んじた町作りをしたり、主君の死に際しての切腹を禁止したりするなど、文治政治を押し進めました。そんな兄を尊敬し、綱吉も、武芸よりも学問や所作振る舞いを重要視していたのです。
その後、思いがけず将軍となった綱吉。覚悟を決め理想を追い求めますが、次々と問題が降りかかり……。
- 著者
- 朝井 まかて
- 出版日
- 2016-09-26
綱吉の人となりが深く豊かに描かれています。この作品で描かれている彼は、もとは日々文雅に暮らし学問に励み、賢い妻と結婚して子も持ち、ただ毎日を清く丁寧に暮らすことを好んでいました。天下を望む野心はなかったのです。悪気はなく、一本気な人物として描かれています。
そんな綱吉が、にわかに将軍のお鉢が回ってきて、戸惑いつつも決意を固め、父や兄の望んだ平和な世の中を実現しようと政務に取り組む姿は健気であり、誠意も感じられます。しかしさまざまな思惑が渦巻き、さらに赤穂浪士討ち入りや、たび重なる火事や天災などもあり、理想はなかなか実現しません。
綱吉は、平和というのは、まず身の回りの人や小さな生き物に慈しみを注がなければ決して実現しないと考えました。そして、世の中の無益な殺生をなくしたいという思いから、数々の法令をつくったのです。しかしその意図に理解を示す者は少なく、むしろ反発を招きました。
この作品での綱吉は、理想をまっすぐに追求しながらも、自分が本当に正しいのかとたびたび黙考し、その姿は犬公方と揶揄されるイメージとは異なります。読み終わって再びタイトルを見ると、この法令が最悪とは一概に言えないと思え、自分がすっかり綱吉の味方になっていることに気づくかもしれません。
綱吉の誕生から死後の評価までを順にたどり、あらためて公正な目で彼は名君なのか暗君なのか、検証していきます。著者自身は冒頭で、綱吉を別に尊敬していないと断言しており、肩入れは無くあくまで史実に忠実に目を向けて書かれていることが分かるでしょう。
綱吉の生涯が時系列で細かくセクションに分けられ、非常に分かりやすく整理されている本書。脚色をなくして、自分も綱吉の評価について検証してみたいというなら、その生涯が一冊にまとめられている本書は特におすすめです。
たとえばどんな時にどんな儀式をしたとか、どのような贈り物をしたといったことが数量まで詳細に記載され、学問や能を好んだ綱吉の生涯をとおして、当時の文化や風習も知ることができます。
- 著者
- 塚本 学
- 出版日
- 1998-02-01
これを読めば綱吉の本当の姿がひとつの答えとして出るかというと、もちろんそんなことはなく、多面性のある人間の評価については、やはり読者によって分かれることでしょう。著者は私見を挟まないことを重要視しています。
少なからず長所もあったはずの綱吉が、どのようなミスや過不足をきたして、人心が離れたりトラブルが起きたりしたのか、読者は自然と考え推量することができるでしょう。
儒学や詩歌など芸術を愛した綱吉なので、伝記であるのに、まるで彼に関するさまざまな史料を集めた「綱吉展」を観ているかのような色彩豊かな一冊です。また綱吉はその生涯のほとんどを江戸で過ごしたので、ゆかりの地が複数登場し、東京の豆知識も身につきます。
最終章では、死後のさまざまな評価についてまとめ、ゴシップを含めて紹介し、それぞれに対して著者自身の意見も述べています。ここまで読んできた読者は、この章に自分も登壇して私はこう思うときっと口を挟みたくなるでしょう。
生類憐みの令をとおして、道徳と政治について考えます。
この法令は昔の悪法であり、現代ではこんな独裁がおこなわれることはない、と果たして言い切れるのでしょうか?読み進めていくうちに、さまざまな方向から考えさせられ、それまで思い込んでいた予想やイメージががらっと変わるかもしれません。
誰でも読むことができますが、著者は特に学校の先生方におすすめしたいそうです。後半は「授業書」といい、授業でそのまま使えるような問答形式で書かれています。大人の読者も、道徳的、社会的正義はひと筋縄ではないとあらためて気づくことができます。
- 著者
- 板倉 聖宣
- 出版日
- 1992-08-01
天下の悪法ともいわれたこの法令ですが、もとは綱吉の善意から作られたといわれています。厳しすぎてひずみが起きましたが、それぞれのケースを綱吉の気持ちになって考えてみると、理解できるでしょう。
また民衆の気持ちでも考えてみることで、この法令施行のどういう点が良くて、どういう点が悪かったのか、多角的に考えることができるように書かれています。
クイズのように読めてひと通りの内容は理解できるため、大人はもちろん、子どもに読み聞かせてあげるのも良いでしょう。
著者は、最後には生徒たちからさまざまな意見が出ることを希望していて、すでにこの授業書は多くの学校の授業で活用されているそうです。
綱吉についての本を読んでみると、独善的で無計画なイメージとは違い、生真面目で、正義とは何かと己に問いていた愚直な人物像を想像することができます。しかし綱吉の政治には、己に問うだけでなく、もっと周りと協調する姿勢や他人の意見を仰ぐこと、周囲への根回しや説明が必要だったようです。綱吉という人物は、固定されたイメージを持たず事実を公平に見るという難しさを我々に教えてくれます。