後醍醐天皇とは?鎌倉幕府を滅亡させ、南朝を開いた男の意外な事実や本を紹介

更新:2021.11.11

後醍醐天皇といえば、「三種の神器」を持って挙兵し元弘の乱を起こした人物として有名ですよね。また廃位と即位をくり返した天皇としても知られています。いったいどのような人物だったのか、彼の人生を知ることのできる本を紹介します。

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後醍醐天皇とは。三種の神器を持って挙兵、足利尊氏との共闘

 

後醍醐天皇は、大覚寺統、後宇多天皇の第二王子として、1288年11月26日に誕生しました。

1302年6月に親王宣下をされ、翌年の12月には三品に叙品します。さらに翌年の3月には大宰帥という位が与えられ、帥宮(そちのみや)と呼ばれました。

それから3年後の1307年には、中務卿も兼任します。1308年に皇太子となると、1318年に31歳という若さで即位を果たし、後宇多法皇が院政を停止した1321年以降、親政を始めました。

しかし彼が即位したのは、兄であった後二条天皇の息子の邦良親王(くによししんのう)が成人し、即位するまでの中継ぎとしてでした。そのため自分の子孫に皇位を継承することは許してもらえなかったのです。このことは、彼が鎌倉幕府へ反感を持つきっかけとなりました。

1324年のある日、後醍醐天皇が鎌倉幕府を倒そうと画策していたことが発覚してしまい、当時の側近であった日野資朝(ひのすけとも)とその仲間が六波羅探題によって処刑されるという「正中の変」が起きました。

幸いにも後醍醐天皇自身は幕府に処刑されることは無かったので、その後も密かに倒幕を志していたようです。

その証拠に彼は、醍醐寺の文観(もんかん)や法勝寺の円観など、当時有力だった僧侶をそばにおき、密かに祈祷をおこなっていました。そして興福寺や延暦寺などに赴き、寺社勢力と接近していったのです。

しかし当時大覚寺統に仕えていた貴族たちは、ほとんどが邦良親王を支持していて、彼のこの行動は後に彼自身の首を絞めることとなります。

その後、邦良親王が病でなくなると、持明院統の嫡子であった量仁親王(かずひとしんのう)が皇太子に立てられたため、後醍醐天皇に譲位を促す圧力は一層強まりました。
 

1331年、側近の密告によって2度目の倒幕計画が発覚してしまった彼は、「三種の神器」を持って挙兵。笠置山(かさぎやま)に籠城します。

しかし幕府軍の兵力は圧倒的で、彼はあっけなく捕えられました。この事件は「元弘の乱」と呼ばれています。

謀反人として捕虜となった彼は、隠岐島に島流しにされました。それでもなんとかして倒幕したかった彼は、1333年に島を脱出、船上山で挙兵をし、足利尊氏を味方につけて六波羅探題を攻略します。さらにその直後、東国で挙兵をした新田義貞が北条氏を滅亡させ、後醍醐は帰京しました。

 

後醍醐天皇とは。吉野で南朝を開いた男

再び天皇の座に戻ると、彼の廃位中の人事をすべて無効化し、天皇中心の政治である「建武の新政」を始めます。ところが、これは武士だけではなく公家からも冷ややかな態度をとられるような、失策となりました。

1335年、これまで味方だったはずの足利尊氏が、勅令を得ないまま乱に出向いたり、彼に付き従った武将に独断で恩恵を与えたりという離反行動にでます。その後挙兵をし、反旗を翻してきた一連の反乱を「延元の乱」といいます。

後醍醐天皇は比叡山へ逃れて抵抗、しかし足利側が和睦の要請をすると、その条件を呑み、「三種の神器」をわたしました。足利尊氏は光明天皇を擁立し、幕府を開きます。

しかし、ここで終わる後醍醐天皇ではありません。なんと彼は廃位された後、幽閉されていた花山院を脱出し、吉野で自らが主宰する朝廷を開いたのです。

実は足利尊氏へわたした三種の神器は偽物で、本物は自ら隠し持っていたのでした。こうして、京都と吉野の2つに朝廷があるというおかしな時代、「南北朝時代」が始まりました。

その後後醍醐天皇はほどなくして病に倒れ、無くなっています。

 

後醍醐天皇と和歌などの文化芸術にまつわるエピソード

1:和歌を嗜む人だった

彼が詠んだ和歌は、『新後撰和歌集』や『新後拾遺和歌集』など7つの勅撰和歌集に収められており、その数はとても多いです。このことからも、彼がその当時の上層部の人間と違わぬ歌詠みのひとりであったということが分かります。

当時歌道が興隆したきっかけは、この後醍醐天皇の和歌好きな一面があったからだともいわれています。 

2:源氏物語の大ファンだった

後醍醐天皇は、日本の古典文学にも関心を寄せていたようです。

なかでも、平安時代に紫式部によって書かれた『源氏物語』にはとりわけ大きな関心があり、即位の始めに源氏物語の講釈をおこなったのだとか。 

彼の源氏物語の研究の成果は、孫の長慶天皇に継承されたということです。

3:楽器や音楽にも関心があった

当時、音楽は和歌と同様に、政治と強い結びつきがありました。天皇や身分の高い公家の人々は、楽器を演奏したり歌を歌ったりすることによって、自らの存在を尊厳化していたようです。

楽器のなかでも琵琶や笙(しょう)といったものは、天皇の演奏する高貴な楽器とされていたらしく、後醍醐天皇も熱心に練習に励んでいました。そのかいあってか、見事な腕前だったそうです。

後醍醐天皇にまつわる3つの事実

1:西園寺実兼の娘と略奪婚した

1313年、西園寺実兼(さいおんじさねかね)の娘である西園寺禧子(きし)と結婚しました。

自分の不安定な立場を固めるための作戦のひとつであったように思われますが、彼の禧子に対する愛情は深かったようです。その証拠に、1318年に禧子は女御となり、翌年には中宮となっています。

2:密教と深い関わりがあった

後醍醐天皇の王権は、仏教の精神世界と深い関わりがあることが特徴的です。

なかでも彼は、密教の祈祷修法によって得られる神秘的な力というものに大きな期待をかけており、この力を操ることで、そのエネルギーを現実の世界へ引き出すことが可能であると考えていました。

3:死後、怨霊になったと言われている

後醍醐天皇は亡くなる直前に

「玉骨はたとひ南山の苔にうづまるとも、魂魄は常に北闕の天を望まんと思ふ。」(『後醍醐天皇―南北朝動乱を彩った覇王』から引用)

と言ったほど、天下統一に対する執着心を持っていました。

彼が吉野で亡くなった後は、都で疫病が流行ったり、夜な夜な光りながら都へ飛んでいく車輪のようなものが目撃されたりするなどの不吉なことがたくさん起こったそうです。

教科書では教えてくれない歴史の裏側。後醍醐天皇が開いた南朝のその後。

1392年、室町幕府の3代将軍である足利義満によって統一されたかのように見えた南北朝ですが、実は南陽はその後、「後南朝」となって細々と存在していました。
 

室町幕府を陰ながら悩ませ続けた後南朝とは、一体どのようなものだったのでしょうか。

著者
森 茂暁
出版日
2013-06-21

後南朝の存在はあまりにも薄いため、ほとんどの人が名前すら知らないのではないでしょうか。本書では、室町時代の政治史についても分かりやすく解説しながら、成立から崩壊までを詳しく追っています。

まったく知識のない人でも、日本史の奥深さや面白さが伝わるようなわかりやすい一冊です。
 

後醍醐天皇の人柄や政策の中身がよくわかる一冊。

後醍醐天皇はどのようにして天皇になり、なぜ倒幕を考えるようになったのでしょうか。

本書では、そんな彼の人生や心境について、わかりやすく解説しています。教科書で習った南北朝時代が、複雑すぎてよくわからなかったという人にもおすすめです。

著者
森 茂暁
出版日
2000-02-01

さまざまな人物が登場し、多くの乱や変が起きたこの時代。学生時代に、あまりの複雑さに頭を抱えた人も多いのではないでしょうか。本書では、南北朝時代がどのような背景で成立し、後醍醐天皇がどのような意図で倒幕を考えていたのかということがしっかりと解説されています。

また彼のおこなった「建武の新政」というものが、他の天皇の政策とどのように違うのかということについても深く知ることのできる一冊です。

息子たちの南北朝時代。

本書は、後醍醐天皇の息子たちに焦点を当てた作品です。彼が倒幕を志していた時、息子である皇子たちはどのような活躍をしていたのでしょうか。

著者
森 茂暁
出版日
2007-10-01

主に息子たちの活躍を取りあげているため、南朝について詳しく記述してあります。どのような朝廷だったのか、後南朝はどんなものだったのか知りたい方におすすめです。

後醍醐天皇の人生をドラマティックに描いた作品。

3度に渡る倒幕や流刑先からの脱出など、壮絶な人生を歩んだ後醍醐天皇。そこには多くの人のさまざまな思いが絡み合っていました。

彼の人生や、そこに関わった人々を鮮やかに描いた一冊です。

著者
植木 静山
出版日
2016-12-01

日本史上では、あまりよい評判のない後醍醐天皇。そんな彼の人生や、彼を支えた人々について、それぞれの心情も交えながらドラマティックに描いたのが本作です。

これを読めば、悪者にされがちな彼の印象がきっと変わるでしょう。

後醍醐天皇と南北朝時代のことが、わかりやすいコミックに。

本書は、後醍醐天皇の人物像と南北朝時代に起きたさまざまな動乱について、わかりやすくコミックにしたものです。

教科書よりも楽しく簡単に学ぶことができるでしょう。

著者
["すぎた とおる", "中島 健志"]
出版日
2012-09-07

多くの人が歴史嫌いになってしまう理由として、その想像のしづらさが挙げられるのではないでしょうか。

本書は伝記漫画といって、想像のしにくい歴史上の出来事を絵と解説でわかりやすく語っているので、頭で想像せずとも目で見てすぐ理解に繋がるのです。

後醍醐天皇の目線で描かれているため感情移入もしやすく、これまで歴史が苦手だった人でも、簡単に読み進めることができます。
 

いかがでしたか。日本史のなかでは「悪い天皇」と言われがちな後醍醐天皇ですが、その人生は少し悲惨なものだったように思えます。しかし自らの主張をとおすために諦めなかった彼の姿勢は、私たちも見習うところがあるはずです。

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