「月刊少年ガンガン」にて連載されていた『666〜サタン〜』。なんと本作の作者・岸本聖史は「NARUTO」の作者・岸本斉史と双子の兄弟なのです。今回はこちらの2作品を比較しながら魅力をお伝えしていきます。
『666〜サタン〜』は「月刊少年ガンガン」にて2001年~2007年の間に連載されていたバトル漫画です。
本作は「週刊少年ジャンプ」にて連載されていた『NARUTO -ナルト-』と比較されがちなのですが、その理由として挙げられる事情があります。なんと『666〜サタン〜』の作者・岸本聖史(きしもとせいし)と『NARUTO -ナルト-』の作者・岸本斉史(きしもとまさし)は双子の兄弟なのです。
ちなみに兄が岸本斉史、弟が岸本聖史です。
- 著者
- 岸本 聖史
- 出版日
しかし、双子ということだけで比較していれば両者に失礼でしょう。ならばなぜここまで比較されるのかといえば、その最大の理由は絵柄・作風・設定等が「サタン」と「NARUTO」で似た点が多いからです。
これについて、岸本聖史は「幼少期から受けていた影響が同じだから似ているかもしれない。」と述べています。
1999年から連載が始まった「NARUTO」に対し、2001年から連載が始まった「サタン」の方が後発ゆえに、「サタン」が「NARUTO」と比較されがちですが、両作品ともに魅力があり、決して同じ作品ではありません。例えば、「サタン」の方が設定が細かく練られていたり、一つの明確な目的に向かって物語が進んだりといった良さがあります。
さて、今回は『666〜サタン〜』について、『NARUTO -ナルト-』と比べながら魅力をお伝えしていきます。そして、両作品の良い点を感じとってください。
- 著者
- 岸本 聖史
- 出版日
- 2002-05-22
世界征服を夢見る少年・ジオは伝説のオーパーツなるものを探しているトレジャーハンターの少女・ルビィと出会い、彼女の護衛としてともに旅を始めました。しかし、ジオの中には「サタン」という強大な悪魔がおり、2人はサタンの力を欲する敵に狙われてしまうのです。
数々の敵と戦いながら、ジオはルビィを始めさまざまな仲間と出会います。サタンの力のせいで、幼少期から孤独であったジオはその仲間との出会いに何を思うのでしょうか。
これは孤独な少年の心の葛藤と成長を描いた物語です。
- 著者
- 岸本 聖史
- 出版日
- 2003-06-21
まず注目すべきは岸本聖史と岸本斉史の「絵柄」です。岸本斉史はナルト1巻から徐々に絵柄が変わっていますが、「サタン」の絵柄は初期の「NARUTO」と似ています。
「NARUTO」に関しては、作者の腕が上達したことやキャラたちが成長していったことで、その成長に合わせるような絵柄にしていったのでしょう。しかし、「サタン」に関しては絵柄は一貫されています。
これは岸本聖史の腕が上達しなかったわけでありません。あくまで「サタン」の作風にあった絵柄で一貫したのです。彼の絵柄は「少年少女」という若者に適したものであるのでしょう。
また、似通っている点は絵柄のみならず「構図」も両者は似ていますし、キャラの外見も似た点が見られます。もしかしたら、双子ゆえに似た思考回路をしているのかもしれませんね。
「NARUTO」の主人公である「うずまきナルト」は、かつて木の葉の里を襲った「九尾」を両親の手によって体に封印されました。九尾を体に宿していることに関しては掟によって口外禁止とされていましたが、被害を受けた者らからは敵視されてしまい、その空気を感じ取った子供らもナルトを迫害し、里のほとんどから嫌われていたのです。
そのことから、周囲の関心を集めようと問題行動を多く起こしていました。しかし、極少数の者からは認められており、その存在のおかげで人道を外さずに成長します。
もともとは九尾そのものという設定だったようですが、それでは読者の共感を得られないと思い、九尾が封印された子という設定にしたそうです。
- 著者
- 岸本 聖史
- 出版日
- 2003-11-22
対して「サタン」の主人公であるジオは両親の顔も知らず、物心ついた頃から「サタン」が内に潜んでいました。そして、そのサタンがジオの体を乗っ取り、周囲に不幸をばらまいたことから疎まれるようになります。
また、孤児院で育ち、そこで親友と呼べる存在がいたのですが、サタンによって仲を引き裂かれ、以降は誰も信用できないと思うようになります。しかし、そんな彼でも唯一心許せる存在が「ゼロ」という狼。人語を話せる狼で、彼の弟子となり戦う術を学んだのです。
両者とも「強大な何か」を体に宿しており、それが原因で迫害を受けます。しかし、ジオはサタンに体を乗っ取られたといえども、自らの手で迫害される原因を作っていました。そのうえ、心根は優しい少年ですが、素直になれない少々捻くれた性格へと成長してしまうのです。
どちらも過酷な幼少期を過ごしたことは確かですが、ジオの周りには理解者がだれもいなかったという決定的な違いがあります。それゆえ、読者は共感ではなくジオの理解者という立ち位置であろうとするのです。
「NARUTO」には親友でありライバルである「うちはサスケ」という絶対的な存在がいます。彼は個人的にピックアップされることが多く、準主人公といっても過言ではないでしょう。
詳しくは割愛しますが、サスケは天才なうえにイケメンでありながら、孤独を抱えた少年でした。そんなサスケに憧れて、ナルトは彼を目標としたのです。また、サスケも成長するナルトを意識しながら互いに切磋琢磨します。
しかし、サスケはナルトの急激な成長に対して劣等感を抱くようになり、さらには己の目的である復讐と相まっていわゆる闇堕ちに近い状態となってしまいます。
- 著者
- 岸本 聖史
- 出版日
- 2004-02-21
対して、『666〜サタン〜』にはライバル関係の者が2人登場します。
その内の1人が「ボール」という少年です。彼はジオとルビィが旅の途中で出会った少年で、そこからともに旅をするようになります。ジオと一緒に修業をするなど、並行して描かれることが多いです。また、実力もおおよそ同じくらいで、良きライバル関係を築いていきます。
そしてもう1人が「クロス・ビアンキーナ」という少年。サタンに大切な妹を殺された過去を持ち、復讐のためにサタンを探しています。その実力はかなりのもので、サタンの力を引き出したジオとも互角の勝負を繰り広げるほどです。設定としてはこちらはサスケに似たキャラでしょう。
この2人はボールがジオに対するライバル、クロスがサタンに対するライバルといったところでしょうか。このように『666〜サタン〜』には「NARUTO」と違って2人のライバルが存在するのです。
「NARUTO」の終盤における展開は、世界を巻き込むほどの強大な陰謀を前に、数々の仲間たちの協力のもと、ナルトとサスケがラスボスに挑むというものでした。訳あって袂を別っていた2人が再び共闘する展開には胸が熱くなるでしょう。
そして、ラスボスを退けた後に、ナルトとサスケの互いの信念を賭けた最終決戦が勃発。ライバル同士の全力の一騎打ち、こちらも最高の展開ですね。
もちろん、悲しい結末は迎えません。めでたく大団円で終わり、物語後の各々の様子が描かれてハッピーエンドを迎えます。
- 著者
- 岸本 聖史
- 出版日
- 2008-02-22
それに対し、『666〜サタン〜』は数々の悪魔の力が集結したことで世界滅亡の危機が訪れます。ここまでは「NARUTO」と似た展開ですが、ラスボスにあたる存在が己に巣食うサタンとなるのです。したがって、最後は力と力の勝負ではなく、心と心の勝負となります。
この心の在り様こそが描きたかった事であり、どんな戦いであろうと終始それが描かれているのです。
そして、最後は少し悲しい結末を迎えます。この結末は『666〜サタン〜』と「NARUTO」の決定的違いとなっています。
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さて、双子の兄弟が描いた『666〜サタン〜』と「NARUTO」という作品、似ている点がありながらもどちらも違った持ち味があります。類似点、相違点、どちらにも目を向けながら読んでみるとまた違った面白さがみつかるかもしれませんよ。