フランス革命時代、激動の人生を歩んだフランス王妃マリー・アントワネットと、男装の騎士オスカル・フランソワの人生を描いたフィクション『ベルサイユのばら』。今回は、登場人物および彼らの名言などを史実と比較しながら紹介します。
- 著者
- 池田 理代子
- 出版日
- 1972-11-30
フランス革命の前から初期にかけて、マリー・アントワネットと架空の人物、オスカル・フランソワの生涯を中心に描いた、池田理代子の作品『ベルサイユのばら』。連載から40年以上経ちますが、根強いファンが多く、不朽の名作として現代でも広く知れ渡っています。
本作は、アントワネットがフランスに嫁いで処刑されるまでを、オスカル・フランソワをはじめ、架空の人物を交えたフィクションで作り上げた歴史大作です。
登場人物はアントワネット以外にも実在した人物が登場し、当時の華やかさが細部にまで再現されています。ここでは各キャラごとに、彼らの名言や史実に基づいた人物像と比較しながら、その魅力をお伝えしていきます。
- 著者
- 池田 理代子
- 出版日
- 1972-12-20
1770年、オーストリアの皇女マリー・アントワネットは、明るくてお転婆な14歳の少女でした。まだあどけなさが残る歳でしたが、フランスとオーストリアの同盟を結ぶため、フランスの皇太子へ嫁ぐことになったのです。
王太子妃マリー・アントワネットの護衛を務めるのは、男装の麗人オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ近衛仕官。由緒ある将軍家の娘として生まれましたが、ジャルジェ家の跡を継ぐため男として育てられました。
宮殿で孤独に過ごしていたアントワネットは、さまざまな重圧から逃れるために自由奔放な生活求めるようになり、パリの仮面舞踏会で出会ったフェルゼン伯爵に心奪われてしまうのです。
アンドレ・グランディエは、歴史上では登場しない架空の人物。主人公ではないものの、主人公よりも強烈な存在感を示すジャルジェ家の使用人です。幼少時代に、オスカルの話し相手として迎えられてから、長い間オスカルを愛し守り続けていました。
アンドレは身分の違いから、オスカルへの恋が叶わないことは知っています。それでも、彼女の側にいられるだけでいいと思っていました。しかし、スウェーデンの貴公子ハンス・アクセル・フォン・フェルゼン伯爵が現れ、オスカルが彼を好きだということを知ったアンドレの心に「オスカルを取られてしまう」という危機感が生じました。
このあたりからアンドレの行動は、オスカルの親友であり幼馴染としての範囲を超えていってしまいます。ずっとオスカルだけを見てきたアンドレにとって、自分の心に気づいてほしいという思いもあったのでしょう。オスカルを誰かに取られるくらいなら、という憤りが描かれているのが、ファンの間でも有名な5巻のオスカルを襲うシーンです。
これまで穏やかだったアンドレらしさとは一変して、豹変したシーンでもあります。フェルゼン伯爵は、アントワネットを愛していたので、オスカルとは結ばれる可能性はありません。しかし、オスカルはジャルジェ家の跡取りなので、いずれは嫁ぐことになることを切に感じたのでしょう。その焦りがアンドレを狂気に変え、オスカルを襲うという行動に至ったのです。
このことがジャルジェ将軍に知られれば、たとえアンドレでも死は免れません。命がけの告白をするほど、アンドレはオスカルを愛していたのです。ただ、彼は4巻での黒い騎士によって左目を失い、すでに右目も見えなくなっていたので、自分の目が見えている間に、オスカルのすべてを目に焼き付けておきたいとも思ったのかもしれません。
その後、6巻ではアンドレの一番恐れていたことが起こります。それがオスカルに持ちあがった、ジェローデル少佐との縁談話です。どんなに愛しても、自分には身分がないから諦めなくてはいけないという思いと、自分の命と引き換えに地の果てまで愛したいという思いで彼は葛藤します。
ストーリーが進むごとに、穏やかだったアンドレとはほど遠い、激情を秘めた内面が徐々に浮き彫りになっていくのです。オスカルを強引に自分のものにしてしまおうという、ドロドロした激しい感情もあるというのも、彼の魅力のひとつでしょう。
オスカルとアンドレが結ばれたのは、オスカルがアンドレの存在の大きさに気づき、物語も終盤に入った8巻でのことです。怖がるオスカルに「こわくないから…」と告げるアンドレですが、実はこのセリフには作者の裏設定が隠されています。
アンドレはオスカル一途というイメージですが、ベルサイユ大辞典に書かれたアンドレ情報では、彼は18歳の頃に、パレ・ロワイヤルの娼婦と経験済という設定なのです。それを読者に伝えるため「こわくないから」というセリフで仄めかしていたんですね。
アンドレはオスカルと結ばれ、これからという時、市民と軍隊との間に起きた暴動により、愛するオスカルの盾となって命を落としてしまいます。この行動からも、彼の人生にはオスカルしかいなかったことがあらためて浮き彫りにされました。
この物語で共通しているのは、華やかな世界でありながら、主人公をはじめとする登場人物の最期が一貫して悲惨であるということ。後ほど紹介するフェルゼン伯爵もまた、アンドレの死と同じように、愛ゆえの死を迎えています。アンドレもフェルゼンも身分違いの愛に悩み苦しみ、愛する者を想いながら死を遂げるのです。
アントワネットとフェルゼンの死は、史実に近いものではありますが、アンドレとオスカルの死もまた、彼らと似たような悲惨な死を迎えさせることで、読者の心に刻み込んだのかもしれません。
「オスカル…オスカル…!なんという美しさだ!
まるでアフロディテさながらに
見る人の心を酔わせてしまう
フェルゼンのためか
その姿は…?おれの…オスカル…!!」(『ベルサイユのばら』4巻から引用)
オスカルが舞踏会に出席するために素性を隠し、初めてドレスを身にまとったときのシーンです。名前を隠すため、アンドレは同行できませんでしたが、彼は馬車に乗る美しいオスカルを影ながら見つめ、彼女の美しさに感動するとともに激しく嫉妬します。
オスカルの美しさを、愛と美と性を司る女神アフロディーテに例え、その美しさは誰のものなのかと、心の中でふつふつと嫉妬の炎を燃やすのです。
「これが……おまえの目でなくて……よかった……
片目くらいいつでも おまえのためにくれてやるさ オスカル」
(『ベルサイユのばら』4巻から引用)
パリに黒い騎士を名乗る盗賊が頻繁に出没していた頃、オスカルが出席していた舞踏会にも、その黒い騎士が現れました。後日、再び舞踏会に黒い騎士が現れ、オスカルが追うも取り逃がした挙句、傷を負ってしまいます。
その後、アンドレを黒い騎士に仕立てて、ジャルジェ家に本物をおびき寄せようとした計画が実行されます。黒い騎士は罠にはまりましたが、彼が抵抗したときにアンドレは左目に怪我を負ってしまいました。
心配するオスカルにアンドレは、自分より大切な彼女が無事でよかったと思うのです。アンドレのオスカルに対する愛の深さが感じられる一幕でした。
- 著者
- 池田 理代子
- 出版日
- 1973-04-20
アンドレはおばあちゃんからの指示で、オスカルのためにショコラを運んでいました。
自分とオスカルのことを、さぞかし知っているような口調で話すジェローデル少佐。さらに、アンドレの心を知ったうえで、「妻を慕う召使を妻のそばにつけてやるくらいの心の広さはある」という言葉を口にするのです。
そんなジェローデルにアンドレは、思わずショコラを顔に投げつけ、このように怒鳴りつけるのでした。
「そのショコラが熱くなかったのをさいわいに思え!!」
(『ベルサイユのばら』6巻から引用)
「千のちかいがいるか 万のちかいがほしいか
おれのことばは ただひとつだ
はてしないときを 掌にほのぼのと息づいてきたもの
ときに燃え ときに眼とじ
あ…あ 絶えいるばかりに胸ふるわせ
命かけた ただひとつのことばを もういちどいえというのか」
(『ベルサイユのばら』7巻から引用)
オスカルが、自分の存在はないに等しく、いつも自分に甘えを許している人間だといいつつ、それでも一生愛し続けてくれるのかと、アンドレに尋ねたときのシーンです。誓いがほしいというならば、千でも万でもいくらでも言おう、自分の想いはオスカルを愛しているという以外にはないのだ、という熱い想いが伝わってきます。
また、このセリフは、宝塚歌劇団の「ベルサイユのばら」でも使われており、本作最大の名セリフになっているのです。
- 著者
- 池田 理代子
- 出版日
- 1973-08-20
オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェは、本作に登場する架空の人物です。ジャルジェ家の娘にして跡継ぎであり、登場当初は、女でありながら近衛連隊長づきの大尉を務めており、アントワネットが、オーストリアから嫁ぐ際、護衛を任されていました。
フランス王室に忠誠を誓う軍人魂は強固なものでしたが、平民たちと接するうちに、フランスの状況を知り、目を疑いました。それは、アントワネットの贅沢が財政を圧迫し、さらにその負担がすべて平民に課せられているということでした。平民たちの実状を耳にすることで、徐々に市民側へと心が移っていき、この行動は後々オスカルの命取りになっていくのです。
オスカルは架空の人物ですが、実在した何人かのモデルから創造された人物です。なかでも、一番近いといわれているのが、バスティーユ襲撃の際、民衆側にたった軍人ピエール=オーギュスタン・ユラン。ユランは、ナポレオン時代にも活躍し、天寿をまっとうしたフランスの軍人で、『ベルサイユのばら』では、ユラン伍長というキャラクターとして登場しています。
スウェーデンの貴公子フェルゼン伯爵と出会い、好意を抱いたものの、フェルゼンはアントワネットを愛していたため、諦めざるを得ませんでした。愛に苦しむオスカルの姿を見て、アンドレもまた同じ思いに胸を焦がしていたのです。
幼少の頃からオスカルの側にはアンドレがいて、それが当たり前になっていたため、アンドレへの想いが分からなかっただけでした。初恋の相手はフェルゼンということになりますが、アンドレの気持ちを知ることで、アンドレが自分にとってどれだけ大切な存在だったかを、気づかされたのです。
オスカルの心のなかで、大きな存在となったアンドレ。2人が結ばれるまでには、長い時間を要しました。ただ、オスカルがアンドレにすべてを捧げようと思ったのは、7巻で血を吐き、死期が近いことを察したこともあるのでしょう。
また、オスカルの最期で印象に残るのは、彼女が軍服姿で亡くなったということです。もちろん軍人なので、軍服を着用しているのは当たり前ですが、彼女は女に生まれながら、生涯幕を閉じるまで軍人だったということを印象付けています。
しかし、今までのすべての自分を脱ぎ捨てようとしていたのが、このセリフから分かります。
「さらば!もろもろの古きくびきよ
にどともどることのない わたしの部屋よ
父よ 母よ…!! さらば王太子殿下 内親王殿下
愛をこめつかえたロココの女王 うるわしき愛の女神よ
さらば さら…ば…フェルゼン伯爵…!」(『ベルサイユのばら』8巻から引用)
ただ、アンドレの妻としてだけではなく、死期が近いことも分かっていたので、軍人としてではなく、ひとりの女性として、生涯をまっとうしようと思っていたのかもしれません。
根っからの軍人であって、女性であったオスカルは、亡きアンドレの後を追うように、バスティーユ襲撃で敵からの銃弾に倒れ、軍人としてバスティーユが陥ちたのを見届け「フランス万歳」の言葉を最期に、アンドレの妻として人生に終止符を打ちました。
「だれかがいっていた アンドレ……
血にはやり武力にたけることだけが
男らしさではない
心やさしくあたたかい男性こそが
真に男らしい たよりにたる男なのだということに 気づくとき……
たいていの女は もうすでに年老いてしまっている……と…」
(『ベルサイユのばら』8巻から引用)
このセリフは、オスカルがアンドレの妻として、一晩過ごしたいと言った時のシーンで、自分には何もない、それでも俺のものになってくれるのか?というアンドレの問いに答えたものです。
すでに、オスカルは自分の死期を察していたので、すべてのことに後悔していたはずです。ただ、自分のアンドレへの気持ちにもっと早く気づいていれば、もっと早く幸せにしてあげられたのかもしれない、という後悔もあるのでしょう。
- 著者
- 池田 理代子
- 出版日
- 1973-10-20
パリで暴動が起きてドイツ兵が民衆に発砲しました。それを聞いたオスカルは女伯爵の称号と、自分に与えられた伯爵領のすべてを捨て、民衆側に就こうとします。彼女は戦場に向かいながら、アンドレにプロポーズします。
「アンドレ この戦闘がおわったら結婚式だ」(『ベルサイユのばら』8巻から引用)
アンドレはこの言葉で、オスカルがすべてを捨てる覚悟があることを知るのです。しかし、自分のためにすべてを犠牲にさせるわけにはいかないと思ったのでしょう。衝撃を受けたアンドレの顔に、その思いが現れています。
「ついに…陥ちたか…!
おお!!果敢にして偉大なるフランス人民よ…
自由…平等…友愛…この崇高なる理想の 永遠に人類の かたき礎たらんことを…
フ…ランス……ばんざ…い…!」(『ベルサイユのばら』8巻から引用)
民衆側が、バスティーユを陥とすのを見届けて、息を引き取るときのオスカルの最期の言葉です。近衛連隊長にまでのぼりつめ、華やかな世界で生き抜いたオスカルでしたが、その死は華やかさとはかけ離れたものでした。王側の兵士から何度も銃弾を浴び、苦しみ怯え、亡きアンドレに救いを求めながらの壮絶な死を迎えたのです。
- 著者
- 池田 理代子
- 出版日
- 1973-12-20
王族でありながら、最期は悲劇的な人生を送った歴史的ヒロインのマリー・アントワネット。フランスとオーストリアの同盟のため、14歳でフランス王太子妃となった彼女はオーストリア皇女であり、フランス革命によって処刑され、短い生涯を閉じた実在した人物です。
幸せだった幼少時代とは違い、フランスに輿入れしてからというものは、波乱に満ちた生涯を送ることになります。史実によると、彼女の周りには多くの人間がいましたが、彼女は宮殿での息の詰まる生活から抜け出したいと、子供たちとほんの一部の人間だけが出入りできる離宮へと、移ってしまいました。これは『ベルサイユのばら』の3巻でも描かれていて、田園風景の美しく、彼女がもっとも愛した場所だといわれています。
アントワネットの側近として有名なのは、実在したポリニャック夫人ですが、彼女はアントワネットに取り入り、王家の財産を引き出した悪名高い女性として描かれています。本作では、オスカルとよく対立していましたが、アントワネットは彼女の裏の顔を知らずに信頼していました。しかし、フランス革命が起こると、真っ先に国王夫妻を捨てた人物としても知られています。
アントワネットは浪費家として描かれており、「パンがなければお菓子を食べればいい」という言葉は有名ですが、このセリフは実際にアントワネットが言った言葉ではなく、ルソーの自伝で書かれている「たいへんに身分の高い女性」のセリフでした。当時の民衆の飢えと、王家のおごりを強調するため、アントワネットに被せて、都合よく解釈されていたとのことです。だからというわけではないようですが本作では、このセリフは登場していません。
アントワネットは浪費家というイメージのほかにも、いい母親であったともいわれています。ただ、舞踏会や賭博、贅沢といった浪費により財政が圧迫され、それを補うために民衆に大きな負担をかけたことがフランス革命の引き金になっているので、彼女と浪費については切り離して考えることができません。
また、スウェーデンのハンス・アクセル・フォン・フェルゼン伯爵は、アントワネットが愛した人として描かれていますが、史実では彼女の愛人であったとあります。また、フェルゼンとアントワネットの関係は、夫であるルイ16世も知っていましたが、フェルゼンの王家への献身ぶりを認めていたため、何も言わなかったとのことです。
本作でも同様に、ルイ16世は2人の親密性を知っていましたが、彼がその関係を認めた理由は、王妃としての義務を果たしてくれたのに、女としての幸せを求めるのを非難できないというものでした。ニュアンスは少し違いますが、史実に基づいているといっていいのではないでしょうか。
そして、アントワネットが何よりも貫いたこと、それは自分がオーストリアの偉大な女王マリア・テレジアの娘ということです。その尊厳と誇りがクローズアップされていたのが、デュ・バリー夫人と対立した時と、処刑されるときでした。
娼婦を嫌っていたアントワネットは、デュ・バリー夫人の出自の悪さから無視し続けましたが、母マリア・テレジアからの忠告を受け、自分の意志ではなく母のため、一度だけ声をかけることに同意しました。これは史実でもベルサイユ宮殿内の話題として持ちきりになっており、本作でも同じように描かれています。
処刑の時は「さあ!見るがいい マリア・テレジアの娘の死にかたを」「これがフランス王妃の死にかたです!!」と力強く描かれていて、彼女がフランスの王妃として、マリア・テレジアの娘だということを貫き続けたということがわかります。
生まれながらにして高貴な女王アントワネット。彼女の生涯は短いものでしたが、読者は史実に基づいて描かれる本作を手に取ることによって、彼女の芯の部分にふれることができるでしょう。
「でも!!これはわたしの意志ではありません!!
ただ ただ崇拝し敬愛するオーストリアのおかあさまのため……
おかあさまのためです!!」(『ベルサイユのばら』1巻から引用)
デュ・バリー夫人はルイ15世の愛妾でしたが、アントワネットは、娼婦と愛妾を嫌う母マリア・テレジアの影響があってか、彼女を一切無視していました。
しかし、それがルイ15世の耳に入ると激怒し、母マリア・テレジアからの忠告もあって、アントワネットはデュ・バリー夫人に声をかけることを了承した時のセリフです。
生まれつき高貴なアントワネットが、自分の信念を曲げた瞬間です。これは史実でも同様で、宮殿内では、もっぱら話題になっていたそう。漫画では、どちらが勝つのか賭けをしている貴族もいましたが、それほどまでに大きな対立であったことが、記されています。
- 著者
- 池田 理代子
- 出版日
「さあ!見るがいい マリア・テレジアの娘の死にかたを
この首がおち 血がしたたるとも
わたしは永遠に 眼を見ひらき
祖国フランスのゆくすえを見つめるだろう… しっかりと見るがいい!!
これが フランス王妃の死にかたです!!」(『ベルサイユのばら』9巻から引用)
まさに、フランス王妃マリー・アントワネットの最期のセリフです。最期まで高貴なるフランス王妃として、そしてフェルゼンを愛するひとりの女性を貫きました。彼女の美しくも悲惨な人生が浮き彫りになった瞬間です。
アントワネットは最期の時まで誇りを失わず、どんな姿になったとしても、王妃であることを忘れなかったという高貴さが、このセリフでクローズアップされています。悲劇的ではありますが、その生きざまというのは、信念を貫いた濃いものだからこそ、現代にまで語り継がれているのでしょう。
フランス王妃マリー・アントワネットを愛し、また彼女からも愛されていたスウェーデンの貴公子ハンス・アクセル・フォン・フェルゼン伯爵。史実では、フェルセン伯爵ですが、作中ではフェルゼンとなっています。スウェーデンのグスタフ王3世の寵臣であり、次代の4世にまで仕えました。
彼は仮面舞踏会で初めてアントワネットと出会いました。本作では、お互いに一目惚れをしたというように描かれていますが、史実ではフェルゼンはアントワネットの寵臣のひとりで、同じ歳ということから徐々に親密になっていったようです。
ルイ15世逝去後、皇后陛下となったアントワネットに悪い噂が立ちはじめたため、オスカルから忠告を受けて、スウェーデンに帰国しました。今までは王太子妃としてある程度の自由はありましたが、皇后陛下となっては立場が違います。フランス国民の上に立つからこそ、下手なことは許されないということでした。
史実上の彼には、多くの結婚話が持ち上がっていましたが、アントワネットただひとりだけを愛し続け、生涯独り身であったと記されています。本作でも同じように、アントワネットだけを愛し、どんな時でも王妃を支え続けました。
フランス革命期には、王家を脱出させるために尽力しましたが、作中では女官が革命家と関係していたとの理由で、計画が1日ずれたことになっていますが、史実では、アントワネットの無茶振りが原因で、1ヶ月以上延期になったようです。
フェルゼンも、そのまま国王一家と一緒に国外へ亡命する気持ちでいましたが、国王から拒否されたため、パリ郊外で別れてしまいました。このときの彼は、どんな思いでアントワネットを見送ったのでしょう。愛する人の無事を見送りたかったに違いありませんが、国王が拒否したのは、妻の愛人だからなのか、フェルゼンの身を守るためのものだったのかは不明です。
ただ、男としたら、いくら王家に忠実な人物でも、それが妻の愛人であったらあまりいい感情はもてません。自分の家族は自分が守る、ということだったのでしょうか。
フェルゼンは、アントワネットよりもはるかに長い人生を生きていました。ただ、その人生は、アントワネットを失ってからというものの、まるで別人のようなものだったのです。これは、本作でも史実に基づいて描かれています。アントワネットが民衆によって処刑されたので、その後フェルゼンは、怒りを民衆へと向けていました。
祖国に帰ったフェルゼンは、自分からアントワネットを奪った民衆を憎みつづけ、憎悪するあまり暗い人間となり、冷徹な権力者となっていったのです。そして悔しくもアントワネットと離れた6月20日、フェルゼンを憎んだ民衆によって、殴り殺されてしまったのです。
その死にざまはまさに、アントワネットへの愛が中心となっているもので、アンドレと重なるものがあります。アンドレもまた、オスカルを守るために命を落とした愛ゆえの死でした。
一方、オスカルとアントワネットは、自分の信念によって死を迎えたのです。対照的ではありますが、共通するのは女性の方が地位が高いということ。アントワネットとフェルゼンの愛を、オスカルとアンドレに重ね、それぞれの愛から少し視点をずらすことで『ベルサイユのばら』を一層面白く感じられるでしょう。
- 著者
- 池田 理代子
- 出版日
「ともに死ぬために もどってまいりました…
あなたの忠実な騎士に どうぞお手を…」
(『ベルサイユのばら』8巻から引用)
アンドレに続きオスカルも亡くなり、他のみんながベルサイユを捨てていくなか、フランス革命のことを聞きつけたフェルゼンが、アントワネットを守るためにスウェーデンからやってきたときのシーンです。
愛するアントワネットの側にいようと決心していた彼は、フランス革命の実状を知って馬車を飛ばします。彼が来てくれたことだけで、アントワネットはどれほど心強かったことでしょう。ここから、フェルゼンが命をかけて王家を守るために尽力するのは、言うまでもありませんね。
「なぜわたしは生きている!?
なぜあのヴァレンヌ逃亡の6月20日国王陛下にさからってでも
さいごまで おともしなかったのか…!?
あの6月20日なぜわたしはアントワネットさまのもとを
いっしゅんでもはなれたのだ!?
(中略)
のろわれるがいい!! いまわたしが 呼吸している この空気よ
愛する人に おくれて生きながらえている この身よ!!」
(『ベルサイユのばら』9巻から引用)
フェルゼンが、アントワネットの処刑を知らされた時のひとコマです。
国外に亡命する際、同行するのを国王に拒否されたフェルゼン。どうしてあの時離れたのかを心の底から後悔し、愛する人を死に追いやったすべて、生きている自分さえも憎む彼の心情がよく伝わってきます。
これが後に、冷酷なフェルゼンを生み出すものとなっていくのです。自分の人生のすべてが失われた彼の心は、民衆に殺害されるまで凍りついたままだったのでしょう。死して愛する者と結ばれる……数奇な人生でした。
ご紹介した人物のほかに、歴史に残る重要な役割をした実在した人物を何人か紹介していきます。
【ルイ16世】
1774年にフランスの王に即位し、フランス最後の絶対君主となりました。アントワネットの夫であり、2人の間には2男2女が生まれますが、長男、次女は若くして亡くなります。1793年に、フランスへの思いを込めた一言を残し、ギロチンにて処刑されました。
【マリア・テレジア】
アントワネットの母で、オーストリアの女帝として君臨していました。
【ポリニャック伯夫人】
アントワネットに取り入り、王室の財政を圧迫させます。フランス革命期には、一番に王室を裏切った悪名高き人物です。
【マクシミリアン・ド・ロベスピエール】
フランス革命期、弁護士でありながら、史上初のテロリストとなり、革命の指導者として民衆を率いた人物です。フランス革命後、国内の状況が好転すると、反ロベスピエール派に捕らえられ、処刑されました。
【デュ・バリー夫人】
ルイ15世の愛妾で、アントワネットに無視され続けていた女性です。本作では、国王にわがまま放題な様子が描かれていますが、史実では朗らかで、なじみやすく愛嬌もあることから、宮廷の人々から好かれていた人物だったようです。
- 著者
- 池田 理代子
- 出版日
- 著者
- 池田 理代子
- 出版日
本編自体は約1年の連載でありながらも、数々の魅力的な登場人物、ドラマチックなストーリーで名作少女漫画として今なお人気の『ベルサイユのばら』。その壮大で華美な世界観は池田理代子にしか表現できないものがあります。
実在の登場人物たちが入り混じっているということで、時代的にも地理的にも現実からかけ離れた舞台ではありますが、不思議とリアリティが感じられるところも魅力的です。
しかしそんなシリアスな部分だけでなく、コミカルなシーンとの緩急があるからこそ、ここまで人気があるのでしょう。
本編は全10巻ながらも読む手が止まらずにあっという間に読み終えてしまうことができます。ちなみに11巻以降の新エピソードや、外伝、『ベルばらKids』などを読むとよりその世界観の広がりを体感することができるのでそちらもおすすめです。
この記事では登場人物たちの魅力、名言などをお伝えしましたが、この他にもまだまだ登場人物たちの名言、名シーンが数多くあります。ぜひその一度見たら忘れられない彼らの心からの言葉を作品でご覧ください。
『ベルサイユのばら』のほかにも、『ひみつのアッコちゃん』や『エースをねらえ!』など1960年代から70年代にかけて数々の名作少女漫画が誕生しています。そんな昭和の名作を集めた<昭和の名作少女漫画おすすめ10選(60~70年代)>の記事もおすすめです。気になった方はぜひご覧ください
『ベルサイユのばら』は、実在した人物からオスカルやアンドレといった架空の人物を交えながら、史実を再現している作品としても知られています。名言のひとつひとつも長文ですが、それゆえに物語の中心に「愛」があることを感じながら読んでみてください。