蒲生氏郷にまつわる5つの逸話!家臣を大切にした、寛容な武将に迫る

更新:2017.10.27

戦国武将では地味な存在といえますが、早世しなければひょっとしたら日本は違う方向に行っていたのではと思わせる天才、蒲生氏郷についてご紹介します。

ブックカルテ リンク
  • twitter
  • facebook
  • line
  • hatena

蒲生氏郷とは

蒲生氏郷(がもううじさと)は1556年生まれの、戦国時代の武将です。その才能を織田信長や豊臣秀吉に高く評価された人物でした。戦国武将としては文武両道系の実直なタイプで、何をやらせても期待以上に応える能力があったそうです。

1568年に起きた「観音寺城の戦い」で、彼の父親・蒲生賢秀(かたひで)が仕えていた六角氏が滅亡します。すると氏郷は幼いながら信長に人質に取られてしまいました。

しかし彼を見た信長は「蒲生が子息目付常ならず、ただ者にては有るべからず。我婿にせん」とその才能を見抜き、氏郷はその後家臣となって大活躍をします。1569年には信長の娘を娶りました。

その後も地味ながらも武功を次々とあげ政権の中軸となりますが、1582年に「本能寺の変」が勃発し、明智光秀の討伐後、豊臣秀吉につきました。

その後もたび重なる戦で功績をあげ、91万石という莫大な大領を与えられ陸奥国会津に赴きます。これは伊達政宗をも牽制する役目でした。革新的な経済政策を打ち出し、会津藩繁栄の礎を築きます。

その後従三位となり身分的に上りつめましたが、体調を崩し1595年に40歳で亡くなります。 

文武両道で義理人情に溢れ、そのうえ勇敢で部下の扱いもうまいという非の打ち所のないタイプの武将で、天下人からも一目置かれる存在でした。

蒲生氏郷にまつわる5つの逸話!

1:レオンという名を持っていた

彼はもともと蒲生賦秀(やすひで)という名前でしたが、豊臣秀吉の「秀」が下にあるのはよろしくないとして氏郷に改名しています。1585年に洗礼をうけキリシタンとなると、「レオン」という名を授けられました。 

2:徹底したスタッフ管理をした

氏郷は1日に3回出勤簿を付け、家臣の勤務状況を把握していたそうです。これはサボらないようにという意味もありましたが、士気をあげる意味が大きかったようです。人を使うのが上手い人でありました。 

3:非常に律儀な性格だった

本能寺の変で織田信長が殺されたとき、明智光秀討伐の前に信長の奥さんと子供を保護することを考えました。光秀が山崎の戦いで死んだ後すぐに京都へ行き、奥さんと子供の無事を秀吉に報告しています。義理と人情にあつい男です。 

4:運も強かった

松ヶ島の城主となった蒲生氏郷ですが、菅瀬合戦で急に敵の銃声が聞こえたので飛び出したところ3発被弾してしまいます。銃弾はすべてかぶっていた鯰尾兜に当たり、危ないところで命拾いをしました。 

5:イタリア人の武将を従えていた

キリシタンだった氏郷は、バテレン追放令が出たにもかかわらずそのまま信仰を保ち、家臣としてジョバンニ・ロルテスという者を従えていました。ロルテスもまた会津に移住しており、当時ローマ出身の青い目の武将が会津にいたのです。 

「レオン」という名の戦国武将、蒲生氏郷

ありあまる才能のため織田信長に重用され、豊臣秀吉に畏れられた男、蒲生氏郷の生涯を描いた伝記です。

前半は、権謀術数が駆使される戦国時代において、律儀に滅私の精神で志を貫こうとする蒲生氏郷と、その才を見込んで彼を重用した信長との活動を、後半は、その能力と精神を畏れるがゆえに彼をやっかい者と考えはじめた秀吉との関係が語られます。

ここで登場する氏郷は、後にキリスト教に帰依し、千利休の弟子でもあるという豊臣秀吉や伊達政宗などの腹黒い人物の対立項として描かれており、心理ドラマとしても楽しめる内容です。

著者
安部 龍太郎
出版日
2015-11-09

なぜ彼がキリスト教に改宗することになったのか、非常に興味深いものがあります。信長の世界認識を秀吉が継承しなかった(理解していなかった)部分に、彼の葛藤があったことがうかがえるでしょう。

ハイライトは後半の会津に赴いてからの、秀吉・政宗との心理戦です。ここでも彼はいつもの蒲生氏郷を忘れることなく立ち向かいます。

いろいろな事件が密接にからみ合い彼を苦境に立たせていくわけですが、歴史というものはかくも複雑なものなのかと再認識させられる作品です。

蒲生氏郷から読み解く戦国時代

戦国史研究の第一人者、藤田達生による蒲生氏郷の評伝です。風流を愛し戦にも長けていた戦国武将の生涯を、綿密な資料調査をもとに綴っています。

資料集としても一級で、引用元がわかる構成は氏郷研究に役に立ちます。名門出身の彼が、生誕地から松坂、そして会津と居所を変えつつも、いかに蒲生氏を最先端の大名として脱皮させようとしていたかがくみとれるでしょう。

タイトルは、故郷を思う心情を彼みずからが歌に詠んだものです。各地で今も愛されている彼の、人となりが浮き彫りになっています。

著者
藤田 達生
出版日
2012-12-01

本書は5つの章から構成されており、蒲生家のルーツから最終的には徳川時代の蒲生家までを網羅したものとなっています。さらに豊臣政権の土台となる惣無事令について、章がひとつ充てられています。

蒲生氏郷は比較的地味な存在ゆえに、まとまった史料を一冊の本で閲覧することが難しい人物ですが、本書は参考文献も含め出典元が明記されているので非常に史料性が高く、戦国時代が好きな人には最適です。

巻末には人名の索引と氏郷の略年譜がついており、彼の足跡をたどることを容易にしています。死後の宇都宮への減封まで記されている書籍はあまりないので、この点でも楽しめる一冊だといえるでしょう。

氏郷研究に必携の書

こちらも氏郷の一生を描いた人物伝です。本作は小説仕立てというよりももっとドライな筆致で記されており、ドキュメンタリーとして楽しめる内容になっています。

全部で6章からなっており、蒲生家についての記述から少年時代の初陣、信長との良好な関係から秀吉時代を経て、最終的に会津に赴き最期を遂げるという、彼の人生をすべて網羅しています。

氏郷の評伝の場合、どうしてもボリュームが会津以降の話になりがちですが、本作はバランスをうまく取っておりそれが他作品との差別化に貢献しているといえるでしょう。

著者
横山 高治
出版日
2011-06-04

彼の会津行きが栄転だったのかそれとも厄介払いだったのか、筆者は後者だと考えています。実際豊臣秀吉は、氏郷の能力に畏怖していたふしがあり、史料的にもそれが提示されています。

ドラマチックな小説仕立ての書籍と趣きを異にする本作品ですが、淡々としたその筆致に筆者の愛を感じられるでしょう。

全体的にシンプルな記載となっているがゆえに、氏郷が関わった事件の多さに驚くこと間違いなしです。余計な情緒は必要なく、史実を知りたい方にうってつけの作品だといえます。

土地から見る蒲生氏郷

蒲生氏郷に関する書籍はたくさんありますが、本書は彼の生涯を「場所」で切り取った作品です。

彼の活動拠点は大きく分けると、生誕地の近江、松坂、会津で、彼とそれぞれの土地の関係を写真で紹介しています。

美しい景色が多く、風流を愛した氏郷がどういう人物だったかの想像をかきたてられるでしょう。また、赦免状などの書状の写真もあるので、彼らがどのようなことをどのような文字で書いたかも確認してみてください。

著者
舟木正義
出版日
1990-10-01

もちろん氏郷の生涯を俯瞰したバートもあり、会津でも茶会を開いていたほどの彼が実は以外にも商才があったなど、いい意味での複雑な人物像が浮き彫りになります。

琵琶湖湖畔の四季の図版を見ると、彼の人となりが育まれたのは土地の影響も大きかったのではないかと思わせられるでしょう。

彼が作成した竹茶杓などを見ると繊細ながらも重厚なものとなっており、武将としての側面と茶人としての側面が同居する興味深いものが感じられます。視覚的に蒲生氏郷を知ることのできる一冊となっています。

幸田露伴による蒲生氏郷の軽快な評伝

最後は幸田露伴による評伝です。蒲生氏郷、武田信玄そして今川義元とタイトルはなっていますが、すべて独立したものがまとめられています。

第一次世界大戦が終わってから執筆された作品ですが、露伴はまず、戦国時代はとても今の人が想像できるような「生優しい時代では無かった」と定義します。
 

全体的に落語の語り口のような放談が続き、その口調が文語体ということもあり、非常に痛快で面白く読めるでしょう。

著者
幸田 露伴
出版日
2016-09-10

ここでも氏郷はお坊ちゃん、伊達政宗はその対極、という構図は崩されておらず、細川忠興が会津守護となるのを固辞した経緯も小説家らしい筆使いで描かれています。

とにかく言いたい放題の楽しい評伝ですが、歴史的検証は歴史家に任せるというスタンスを取っているので、細かいところにつっかからずにすらすら読むことができるでしょう。

行開けがまったくなく、最初から最後まで一気に続くこの評伝。「氏郷は必ずしも重箱の中へ羊羹をギチリと詰めるような偏屈者では無かった」という江戸っ子感満載の言い回しが楽しい読み物となっています。

読めば読むほどその能力の高さに驚かされる蒲生氏郷が、いかなる人物か気になる方に読んでいただきたい本をご紹介いたしました。

もっと見る もっと見る