5分で分かる大政奉還!徳川慶喜が起こした背景から結末までわかりやすく解説

更新:2021.12.11

武士の世の中が終わり、日本が近代化へと進む道を示すこととなった大政奉還。しかし実際はここから新政府軍と旧幕府軍の戦いが始まり、新しい世への道はまだ先にありました。今回は、徳川慶喜が下した日本を左右する決断、大政奉還について分かりやすく解説していきます。また、2001年に大佛次郎賞を受賞した小説シリーズなど、理解深められる本の紹介も行います。

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大政奉還とは?徳川慶喜が天皇に政権を返すと宣言!

大政奉還とは、幕末の1867年11月9日に京都二条城にて江戸幕府の15代将軍、徳川慶喜(とくがわよしのぶ)がそれまで日本の歴史上ずっと武士が有していた政権を朝廷に返上するという宣言をし、それが朝廷に認められるまでの一連の出来事。

日本の政権は本来有史以来ずっと天皇が有するものでしたが、平安時代末期からずっと武士の手によって政治がおこなわれていました。江戸時代になってからは幕府が朝廷から宣下を受けて政治を任されるという理論で体制が形成されていきます。

しかし黒船来航と日米通商修好条約によって朝廷が表立って幕府の開国方針の反対していくと、幕府は政治機構としての信頼が明らかに揺らぎ、日本は開国派と攘夷派に割れていきました。

幕府は公武合体によって朝廷の不満を抑え、朝廷の認可のもとで幕府の権威を取り戻そうとしましたが、雄藩(勢力ある藩)の台頭を嫌いあくまでも幕府中心の政治を目指そうとしたことで攘夷派の長州藩らの不満を買って日本は内乱状態になってしまいます。この頃には攘夷派は倒幕派へと変わっていました。

こうした状況下、15代将軍慶喜は土佐藩の後藤象二郎から大政奉還の建白を受けます。政権を朝廷に返上することで倒幕派の名目を失わせ、引き続き秘密裏に慶喜ら幕府の面々が政権を担うことを狙ったのです。

慶喜はこれに同意し、京都二条城にて大政奉還が宣言され、朝廷の使者からこれを認可されたのです。

大政奉還が起こった背景、理由とは

江戸時代、幕府が政権を担う理論として天皇が幕府に政権を委任することで成り立っているのだという考え方が当然とされていました。そのため、幕府は朝廷の下の機関に過ぎないという考え方がだんだんと浸透していったのです。

公武合体には朝廷の権威を借りることで「幕府の意見=朝廷の意見」という図式で雄藩を従わせようという意図がありました。この公武合体を積極的に推し進めていたのが薩摩藩でしたが、薩摩藩は雄藩の代表格であり雄藩連合政権という新しい政権の形を薩摩藩の主導によって推し進めることを望んでいました。

しかし江戸の14代将軍家茂が自ら上洛して孝明天皇から政治を委任するという宣旨を受け、京都守護職として京都にいた一橋(徳川)慶喜らが親藩の会津藩らとともにあくまでも幕臣や徳川家を中心とする政権構造を打ち建てます。

これによって薩摩藩らは激怒し、坂本龍馬の仲介で敵であったはずの長州藩と結びます。これが、薩長同盟です。

一方、将軍家茂はこれより前の長州征伐の際に病没し、京都の慶喜が将軍となっていました。慶喜は、自分が目指した幕府中心の公武合体は実現困難だということを知り、土佐藩の建白を受けて大政奉還に至るのです。

当時幕府はフランス、薩長はイギリスの支援をそれぞれ受けていましたが、これら諸外国は各勢力を利用して最終的には日本を占領しようとしていました。そのため日本が内戦状態に陥ることは何としても避けたかったので、土佐藩が主張した建白案にて薩長の名分を失わせるという目的があったのです。

こうしておこなわれた大政奉還は、江戸にまで進攻しようとしていた薩長からすれば想定外の出来事でした。

大政奉還の結末 王政復古の大号令へ。

真の狙いは、幕府という形を捨てても依然として政治運営力を有する慶喜を中心とした徳川家の勢力にあらためて政治運営を委任させるというものでした。

天皇は何せ平安時代末期から何百年にも渡って政治運営をしたことがありません。そのため、当時の朝廷に政治能力があるはずがなく、大政奉還も決して慶喜らが政治から一切手を引くという引退宣言ではなかったのです。

結果は慶喜や土佐藩の狙い通り、朝廷が条件付きという名目で慶喜の政治参画を引き続き承認し、征夷大将軍・内大臣という慶喜の官職も引き続き保有することを許可していました。慶喜はこうして徳川家中心の大名連合政権という政権構造を実現させようとしていたのです。

この政権構造では、天皇は象徴として置かれており、行政権はやはり徳川家、そして上院下院という形で議会がおこなわれるという三権分立の政治が期待されていました。朝廷が権力を持てない以上、徳川家が主導となるのは当然のことだったはずです。

しかしこれに納得がいかなかったのが薩長ら倒幕派で、それでは徳川家があたかも将軍であるように扱われることから根本的な改革は無理だと思い、旧幕府側の怒りを煽るように江戸で放火や強盗をおこなうようになります。

薩長や公家の岩倉具視らは、王政復古の大号令にも表れているように天皇が名実ともに国家元首であることが大前提で、尊皇思想の根底を受け継ぎながらも西洋諸国に倣った国づくりが目指していました。

こうして天皇を擁立する薩長派の新政府軍とあくまでも徳川家により国作りを目指した旧幕府軍とで鳥羽伏見の戦いの幕が開き、明治維新へと向かっていくのです。

薩長と幕府、それぞれのひずみ 孤立しかけていた勝者の真相

幕末から明治維新にかけて、そのクーデターと改革は薩摩や長州によっておこなわれたというのは紛れもない事実です。しかし実際は薩摩も長州も、果ては幕府側の有力藩も決して単純な一枚岩ではなく、諸勢力がそれぞれの意志を持って行動していたのです。

討幕派の首魁とされる薩摩藩ですが、その主導者である西郷や大久保は実際は藩主と遠い位置にあり孤立しかけていたことや、慶喜に味方しているはずの諸藩に完全に味方しているわけではなかったことなどが明かされます。そして、複雑で非常に危ういタイミングやバランスの組み合わせで成り立った明治維新という改革を、会津藩の松平容保などの人物を中心に論じています。

著者
安藤 優一郎
出版日

本書は文庫本ですが、内容は一次史料に即した実直なもので非常に読みごたえがあります。教科書では当たり前のように薩長が順調に改革の流れに乗せていったように書かれている幕末維新の流れは、実のところ各藩の反復常なしの行動によってあちこち振り回されていたことが丹念に描かれており、専門書に入る前の概説としておすすめです。

特に慶喜が戦線を去ってからの幕臣の生活や慶喜離脱後の会津藩ら東北諸藩の苦悩は、明治政府側の立場から見る場合あまり注目されない部分ですので見る価値は非常に高いでしょう。

著者自身の主張がやや意外性や偶然という不確定なものに結論を傾けている部分もあり、鳥羽伏見の戦いの錦の御旗が挙がった際にも奇跡の逆転というようなニュアンスを多分に主張しています。ここは、読者自身がどの辺りから幕府優勢から薩長の逆転に転じていったのかというのを探っていくためのよい比較材料ともなるでしょう。

イギリス公使通訳が見た、幕末と明治維新の緊迫する情勢

アーネスト・サトウはイギリス人ですが、その名前から日本人にも覚えられやすい人物です。このシリーズは彼の半生を追いかけていくものですが、全14巻あるシリーズの6巻にあたる本書は緊迫した明治維新の激動の時代を描いています。

攘夷思想が横行する当時の日本は、サトウら外国人にとって非常に危険な場所でもありました。彼はそんな高いリスクを背負いながらも、日本の様子を見ていたのです。

本書は彼が記した一外交官から見た明治維新をベースに、彼自身が記していない時代のことも補いながら幕末の社会について注目します。

著者
萩原 延壽
出版日

日本人にとっては幕末というと徳川慶喜や刺客、西郷隆盛に大久保利通といった部分に注目が集まりますが、アーネスト・サトウはイギリス政府の代表として慶喜の通訳を務め、明治天皇に直接謁見したこともあるなど、大変重要な人物でもあります。

サトウにとって幕末維新の人物がどのように映っていたのか、元になった史料を参考にしながら物語としても非常に読みやすいつくりとなっており、幕末研究の参考までに手を出すことも可能です。

幕府と明治政府の両方に接点のある人物として、今後も注目されるはずのサトウは研究の価値がおおいにあります。

大政奉還の後、幕末のさらなる動乱を巻き込んだ王政復古の大号令

王政復古の大号令は、まさに慶喜の大政奉還によって逆に保証されてしまった徳川家の権力保持に対して投下された薩長側のスローガンです。天皇が再び政治の表舞台に立ち、国家元首として君臨するきっかけとなったこの号令はどのような経緯を経て発信されたのでしょうか。

本書では、史料にもとづいた正統派の研究方法でその過程と結末が辿られています。

著者
勲, 井上
出版日

本書は、王政復古の大号令がどのような性質のものであったのかをたどるものであり、歴史の常識を変えるような新発見を謳い、常識を疑うような批判的視点を主題に置いているわけではありません。

文章も文語体の長文が多いため、歴史に慣れた人向けの本といえる難解さがあります。しかし王政復古の大号令に至るまでの経緯に関して非常に精密な研究がなされており、より深い理解を求め、研究をするために見落としていた事実を確認するためには下手な創作性や著者の偏った主観がないため非常に良質な一冊といえるでしょう。

当然、教科書や一般書以上の内容であるため、マニア層にも高い満足を与えることができる内容となっています。


いかがでしたでしょうか?

幕末は大河ドラマでも人気の時代ですが、この時代は戦乱の時代と違い、政権内部のゴダゴダが非常に表に出てくる時代で誰が何を考えているのかまったく分からない複雑さがあります。

もし大政奉還が完全に慶喜の思い通りにうまくいき、徳川家を中心とする議会制の時代に移行していたらどのような未来を歩んでいたのでしょうか?そうしたことも考えながら、今回紹介した本を読んでみるとさらに面白くなるでしょう。

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