大谷吉継という名前は知らなくても、白い頭巾をかぶった武将、といえばピンとくる人も多いのではないでしょうか。関ヶ原で命を散らすことになった彼の生涯について、逸話をまじえながら紹介していきます。
大谷吉継(おおたによしつぐ)は、近江国に生まれ戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した武将です。生年は1565年とする説が有力ですが、1559年とする説もあり、はっきりとはわかっていません。
父親についても複数人の候補がいますが、母親は豊臣秀吉の正室、高台院の取次役だった東殿だとされています。
秀吉の小姓となった吉継は、秀吉が織田信長から播磨国の攻略を命じられて姫路城を本拠地とした際には、彼の御馬廻り衆のひとりとして従軍しました。
信長の死後、秀吉と柴田勝家との対立が決定的になり、1583年に賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いが起こります。吉継は長浜城主だった柴田勝豊を調略し、合戦においても三振の太刀と称賛される手柄を立てました。
1585年7月、秀吉が関白に叙任されると、吉継は従五位下刑部少輔に叙せられます。その後は石田三成のもとで功績を立てて、秀吉の信頼を得ていきました。1589年には越前国敦賀郡におよそ2万石を与えられ、日本海交易の要港だった敦賀の地場産業育成に努めたそうです。
秀吉が1592年から始めた朝鮮出兵では、船奉行・軍監として、船舶の調達や物資輸送の手配などを務め手腕を発揮しました。また実際に朝鮮に赴き、現地の諸将の指導などもおこなっています。
1598年に秀吉が死去すると、徳川家康と前田利家の仲が険悪になります。吉継は家康を警護したり、彼の命で出兵したりするなど、家康と懇意になっていきました。
1600年、家康が上杉景勝に謀反の疑いがあるとして討伐軍を起こした際は、自らの領地で挙兵をし、軍への参加を決めます。
その道中で三成の居城に立ち寄り、家康と三成の仲を取り持つ提案をしたのですが、ここで逆に三成から家康への挙兵を持ちかけられました。
吉継は当初勝機がないと説得したものの、三成の意志が固いことを知ると、彼に与することを決めたと言われています。
関ヶ原の戦いが起こると、吉継は西軍として参加。小早川秀秋の寝返りを予想して陣を組み、一時は優勢に立ちました。しかし予期していなかったさらなる裏切りにあい、包囲・猛攻を受けた結果、部隊は壊滅して吉継は自害しました。
1:石田三成の人柄に感激し、西軍に与した
吉継は石田三成と同世代であり、秀吉の登用によって一緒に行動する機会も多く、深い友情を築いていたとされています。
秀吉が開いた茶会で出席者が茶碗に入った茶を一口ずつ回し飲みする際、病気を患っていた吉継が口をつけた茶碗は、感染を恐れて誰もが飲むのを嫌がりましたが、三成だけは普段と変わりなくその茶を飲みました。これに感激した吉継は、後に西軍に与することを決意したといわれています。
2:輿に乗って戦場を指揮した
若い頃から癪病に侵されていた吉継は、関ヶ原の戦いの頃には馬に乗ることも難しく、輿に乗って指揮にあたっていたそうです。また、関ヶ原の戦いの前には盲目になっていたとの説もあります。
3:敵を呪い殺した
吉継は関ヶ原の戦いで自害する際、小早川秀秋の陣に向かって「3年の間に祟りをなさん」と言って切腹したと伝えられています。秀秋はその2年後に狂乱して死亡しました。
原因はアルコール依存症による内臓疾患と言われていますが、当時の人々は吉継の呪いだと噂したそうです。
1:父が松の実を食べて生まれた
吉継の両親は子どもができないことを嘆いていましました。ある日八幡神社に参拝すると「神社の松の実を食べよ」という夢を見たのでそのとおりにすると、吉継が生まれてきたという伝説があるそうです。
彼の幼名は慶松(桂松)と言います。
2:キリスト教に改宗していた
彼は1585年7月以前に、キリスト教に改宗していたとされています。宣教師が秀吉を訪問した際には、他のキリシタンとともに果物と干柿を持参したそうです。
3:辻斬りをしているとの噂があった
1586年、大坂で「千人斬り」という辻斬り騒動が起こります。この時、吉継が病気の治癒のために血を求めて千人斬りをしている、という噂がたってしまったそうです。
4:真田幸村は義理の息子である
吉継の娘(一説には妹という説もある)は、真田幸村の正室になっています。吉継は草津温泉で湯治をしていますが、そこは真田氏が所領としていた場所でした。
5:お墓を建てたのは敵だった
関ヶ原に残る吉継の墓は、藤堂高虎が建てたものだと言われています。高虎は関ヶ原の戦いで吉継と激闘をくり広げた武将でした。
出生から関ヶ原の戦いまで、名将と称えられた吉継の生涯を描いています。
- 著者
- 外岡慎一郎
- 出版日
- 2016-10-08
大谷吉継の入門書にぴったりの作品です。100ページと手軽に読める分量ですし、オールカラーで図版や史料も多く掲載されているので、興味を持って読み進めることができるでしょう。
病に侵されながらも、その知略と軍才で活躍した大谷吉継の魅力を描いた歴史小説です。
- 著者
- 山元 泰生
- 出版日
- 2009-09-20
秀吉に重用され活躍した吉継が、どのような時代に生きたのか、どのようなことを考えていたのか……「人物文庫」の名のとおり、吉継その人にスポットライトを当てた物語です。
「人」としての吉継の魅力を堪能できるでしょう。
人気を誇る武将であるにも関わらず、両親や生年など定かでないことも多い吉継の生涯に、緻密に迫った一冊です。
- 著者
- 出版日
- 2012-08-07
全3章の本書は、第1章で吉継の実像を徹底検証し、第2章でその戦いの系譜をまとめ、第3章で彼の周辺の人々にスポットをあてることで、吉継のすべてに迫ろうとしています。
史料を丁寧に紐解き、通説であっても史料と異なっている部分があれば疑う姿勢で書かれていて、新しい吉継像を結ぶことができるでしょう。
不利な状況だとわかりながらも、友情のために自分の命を賭すことができるでしょうか……?
- 著者
- 歴史街道編集部
- 出版日
- 2009-09-16
三成が家康に対して挙兵すると言った時点で、吉継は勝機は無いためあきらめるよう諭しています。状況がわかっていながらも三成のもとに馳せ参じた吉継の思いは、どのようなものだったのでしょう?
「友情」という概念がなかったとされる戦国時代の友情は、どのようにして築きあげられたのでしょうか。数少ない史料から吉継の人となりを追った本書は、彼を知るきっかけとして最適でしょう。カラー資料も豊富に掲載されており、学校の授業の補完にもピッタリです。
いかがでしたか?石田三成との関係やその生きざまなど、大谷吉継の新たな魅力をぜひ堪能してください!