今から70年ほど前、日本の存亡をかけた太平洋戦争が勃発します。そして、それは外交交渉の決裂を原因したもので、本来ならば避けられるものでもありました。今回は、太平洋戦争の主要な戦いと、避けられたはずのものが避けられなかった原因についてまとめました。
太平洋戦争は、日本では「大東亜戦争」と呼ばれることもあります。 第二次世界大戦で日本はドイツとイタリアと枢軸国側として、一方のアメリカはイギリスなどと連合国側として約6年間戦いました。
そのなかで、1941年12月8日にハワイ島の真珠湾を日本軍が奇襲攻撃し、アメリカへの宣戦布告をおこないました。最初こそ日本は、シンガポール、マレーシア、インドネシアを占領するなど、アジアで快進撃を続けます。しかし、ミッドウェー海戦で日本は大敗し、形勢はアメリカに傾きます。サイパン島や硫黄島で守備隊が全滅し、沖縄戦でも日本軍守備隊が全滅するなど押され気味になりました。
連合国側が日本への無条件降伏を要求するポツダム宣言を発表するも、日本はこの事実を黙殺しました。そして、1945年8月6日の広島への原子爆弾投下などの悲劇を経て、8月15日に敗戦。太平洋戦争が終結されました。
満州事変後、日本軍は資源確保のために仏領インドシナやビルマ(現在のミャンマー)を攻撃し、支配下に置くなど、積極的な行動を起こしていました。アメリカはそれに対して石油の輸出禁止などの経済制裁をイギリス、中国、オランダとおこなうなど、日本との関係は当時としては最悪な状態になっています。一方で日本は密かにアメリカに対する戦争の準備を始め、1941年11月に対米開戦の承認がおりました。
日本軍がインドシナ南部に進軍を開始した頃、アメリカ国務長官のハルは到底日本が飲むはずのない以下の条件を日本に突きつけることになります。
これらは、「ハル・ノート」として有名なものです。この条件を日本が飲むなら、日本との交渉のテーブルに座ってもよいとするものでした。
当然日本側はこのハル・ノートの条件を飲まず、予定通り12月1日の御前会議で対英米開戦を最終決定します。
12月1日の御前会議で真珠湾奇襲が決定され、宣戦布告も奇襲の30分前におこなわれることが決定されました。そして日本軍は、ハワイの真珠湾を奇襲します。
これによってアメリカ海軍の主力艦のアリゾナ、旗艦のウェストバージニアを撃沈させるなど一定の成果をあげました。この奇襲は完全にアメリカ軍の虚をついたもので、アメリカ軍司令官のなかにはフィリピンでの奇襲ではないのか、とパニックを起こすものもいました。
虚をついたのもそのはず、本来は宣戦布告の30分後に奇襲がおこなわれるはずが、宣戦布告文の発表に駐米大使館がもたついたため、奇襲の40分後に宣戦布告をする形となってしまったのです。よってこの真珠湾奇襲は「だまし討ち」「宣戦布告なしで攻撃した卑怯な戦法」と呼ばれ、アメリカの日本への感情を悪化させる原因になっています。
日本本土へ定期的な空襲をするための航空基地が欲しかったアメリカは、硫黄島奪取のために上陸します。日本軍はアメリカ軍に正面からぶつかると勝てないと判断し、栗林中将の部隊は地下に潜って、時々出撃しては敵を撹乱する作戦をとりました。一方のアメリカ軍は、このゲリラ戦法に苦戦するも、ひとつずつ確実に壕を潰して掃討する作戦をとっています。
硫黄島のシンボルである摺鉢山(すりばちやま)がこの戦いの重要な局面でしたが、アメリカ軍がこの山を確保したことで、戦いの勢いはさらに増すことになります。摺鉢山にアメリカ国旗を立てる写真は、太平洋戦争のなかでも象徴的なシーンのひとつとなりました。
硫黄島での戦いは、栗林中将の死によって幕を閉じます。彼が400名の兵士を連れてアメリカ軍陣地を夜襲したようですが、彼自身は戦死したとも、洞窟にこもって自決したともいわれており、真相ははっきりとしていません。
アメリカ軍による日本本土上陸作戦に先駆けておこなわれたのが沖縄戦です。1945年4月、アメリカ軍はついに日本本土への上陸作戦を決行します。日本軍の陸軍5万とアメリカ軍上陸部隊18万の戦いが開始されました。戦艦大和も海上特攻として日本軍の援護に向かう予定でしたが、救援に向かう途中で沈没してしまいます。
この沖縄戦が太平洋戦争のなかでも異質なのは、沖縄に住んでいた市民も竹槍を持って戦闘に参加していた点にあります。住民だけで竹槍突撃を敢行した、自爆用の爆弾を持って突入したなどの噂話もあるように、どうやら戦闘に参加した市民が少なくともいたようです。それは沖縄守備隊の司令官・長勇が市民にゲリラ戦をおこなうよう焚きつけたからだといわれています。
いずれにしてもこの戦いでたくさんの市民が犠牲になり、なかには集団自決をして死を選ぶ市民もいました。犠牲になった市民の数は約10万人にもおよぶといわれています。
6月23日には日本軍守備隊は司令官の牛島満、長勇らの自刃によって全滅し、アメリカ軍は日本列島への橋頭堡を確保しました。
「太平洋戦争のそもそものきっかけとは一体何だったのだろう?」と考えるなら、本書がおすすめです。1929年の世界恐慌からおこった戦争への火種を次々に紹介し、日中戦争や二・二六事件といったことに対しての疑問を投げかけます。
- 著者
- 諏訪正頼
- 出版日
- 2016-08-20
太平洋戦争が勃発した経緯について詳しく考察されていて、戦闘の詳細を伝えてくれるだけでなく、日本軍やアメリカ軍の思惑についても迫っていきます。
本書において著者は、歴史を見るには客観的な視点を持つことが重要であると述べているのです。両陣営の思惑を知ることで、客観的な視点を養うことができます。
太平洋戦争の前段階として、石油資源の獲得のために日本軍はビルマやインドネシアへ進駐していきました。
そしてシンガポール攻略で調子をよくした軍上層部は、北はアメリカ近くのアリューシャン列島、東はミッドウェー島といったように兵站の急速拡大を始めます。ところが、それによって船が大量に必要となったため、国内生産が追いつかなかったようです。
- 著者
- 出版日
- 1995-05-01
太平洋戦争での重要な局面であったはずの制海権の確保について、何ひとつ作戦を立てていなかったから敗戦したというのが、著者の見立てです。
本書によれば、日本軍のたび重なる勝利と植民地解放に調子に乗ってしまい、兵站を広げすぎたことが敗戦の理由のひとつという、新しい見解を知ることができます。
太平洋戦争に従軍した人からの聞き取りをしたなかでも、ゼロ戦パイロットや桜花などの特攻機パイロットの体験談をまとめた本です。戦場へ赴くまでの様子や、出撃が決まった際の心情、戦死した仲間との思い出などが詰まっています。
最後の特攻隊の飛行要務士だった方の証言も載っていますが、国に対してどのようなことを思っていたのかを考えさせる文章です。
- 著者
- 門田 隆将
- 出版日
- 2015-05-23
真珠湾奇襲からミッドウェー海戦、ガダルカナルの戦い、そして特攻隊。なかには特攻隊に配属されながら2度生還した方の証言も収録されています。
著者は戦争の結果の「戦史」に注目するのではなく、あえて戦争を経験した個人の「体験」に着目しました。当時の歴史的な背景を考えながら読むと、太平洋戦争についての理解が一層深まるでしょう。
太平洋戦争が始まる直前の出来事について描かれた小説です。
開戦を決意した東条英機による近衛文麿首相の退陣劇から、対米開戦の準備、真珠湾奇襲、山下奉文(やましたともゆき)将軍によるシンガポールの明け渡しをめぐるイギリスとの交渉を描きます。
- 著者
- 山岡 荘八
- 出版日
小説でありながら対米開戦の流れは史実に基づいており、太平洋戦争初期の戦史に興味のある方ならぜひとも読んでいただきたい作品です。
戦史だけではなく、海外や国内の政治の流れなどについても書かれているため、より歴史的背景が理解しやすくなっています。
いかがだったでしょうか。今回紹介した書籍は、太平洋戦争中の出来事を客観的にとらえることができるものとなっております。ぜひ手にとってみてください。