1966年、長きに渡る東西冷戦により世界が緊張感を高めるなか、腐敗した体制の打倒という大義名分のもと起こった「文化大革命」。多くの死者を出し、若者たちの青春を奪っていった革命という名の権力闘争の、知られざる実態にせまります。
文化大革命は、1966年から約10年間にわたって中国国内で起きた、思想改革運動です。資本主義化による封建的政治腐敗を正し、人民による社会主義文化を創り上げるという大義名分は、当時の多くの若者や労働者たちの心をつかみました。
しかしその内実は、「大躍進政策」と呼ばれる国内の増産政策の失敗により1959年から失脚していた毛沢東が、自身の理想を実現するために火をつけた、同じ社会主義間の権力・思想闘争にすぎませんでした。
毛沢東は、腹心の林彪(りんぴょう)や「四人組」と呼ばれる共産党幹部らとともに、紅衛兵(こうえいへい)と呼ばれる若者たちを扇動し、劉少奇や鄧小平など、従来の社会主義に市場経済の導入を図った走資派の政権幹部を暴力的に迫害します。
まだイデオロギーも不安定な学生たちが構成員だった紅衛兵の暴走は全国的に広がり、伝統文化や人々に甚大な被害をもたらしました。彼らの活動はしだいに毛沢東にも制御不能になっていきます。
1976年、毛沢東の死と四人組の逮捕によって終結を迎えたこの国家的騒乱が残したものは、権力打倒を掲げた権力によって踊らされた、思想的ロストジェネレーションと、罪のない人々の死でした。
1:鉄のカーテンの存在
これは、当時イギリスの首相であったチャーチルが、東西冷戦下におけるソ連の圧力を表現した言葉です。第二次世界大戦後の世界には、アメリカとソ連、つまり、資本主義と共産(社会)主義のどちらかに所属するという無言の圧力が存在しました。
毛沢東によって中華人民共和国として歩みはじめた中国もまた、国家的にプロレタリア思想を強めていきます。この共産権特有の反権威主義思想は、後に文化大革命で起こる権力に対する武力闘争を神格化させ、権力同士の闘争であるという事実から人々を遠ざけたともいえるでしょう。
2:厳しい産業背景
新しい国家が生まれたときの課題のひとつとして挙げられるのが、産業やインフラの早急な整備です。植民地解放や独立運動の成功により、国家として新たな歩みを始めた国は、しばしばこの課題をめぐって国家と国民の間で衝突が起きます。
毛の主導のもと、1949年に建国された中華人民共和国も同様で、基本産業が農業に偏るという未熟なものでした。社会主義が掲げる「福祉や相互扶助による豊かな国家」の実現とは程遠いものだったのです。政府は、欧米諸国に追い付くことを目標に大規模な産業改革を実行しますが、これによって国民のフラストレーションは溜まり続けていきます。
3:同じ権力間での「悪」のすりかえ
毛沢東は、産業の乏しかった中国の自活の道として、「大躍進政策」と呼ばれる農業をはじめとした産業改革をおこないます。しかし、急激かつ過度な増産体制は国民を疲弊させ、多くの餓死者を生みました。
これによって失脚した毛に代わり、劉少奇や鄧小平は、自国のみで解決できない経済問題を資本主義国家との歩み寄りによって解決しようと試みましたが、毛はこれらを「権威化」であるとし糾弾します。
社会主義国家で生じる問題の原因を、資本主義、つまり封建社会やブルジョワ階級中心の構造によるものとしてすりかえた毛のプロパガンダは成功し、かねてから不満をためていた民衆たちの心を瞬く間に掌握することになりました。
第二次世界大戦が終わって間もない1945年の10月、中国国内では、かねてから続いていた蒋介石率いる国民党と、毛沢東率いる共産党の対立が高まり、国共内戦が勃発します。
蒋介石が総統だったそれまでの中国は、国民党内部での汚職や腐敗が進み、人々の反感を買っていました。
共産党の創立メンバーでもあり、労働者や農民、勤労知識人による政治を掲げていた毛はこの戦いに勝利し、1949年、アジア初の社会主義国である中華人民共和国を設立します。以後、毛はその初代最高指導者として国民から崇拝され、死ぬまで権力を発揮し続けました。
1962年のキューバ危機以降、アメリカとソ連は歩み寄りの道を模索しはじめます。このフルシチョフ政権下でのソ連の動きに毛沢東は幻滅し、修正主義的であるとして対立しました。
中華人民共和国建国以来、漢民族の移住によって圧力を受けていた内モンゴル自治区は、この中ソの対立や文化大革命をきっかけに、ソ連の介入を恐れた中央部からさらなる弾圧を受けるようになりました。
【中国国内】
革命によるすべての人が平等に生きるユートピアの実現は、皮肉にもそれを目指していたはずの紅衛兵や労働者自身の武力による暴走によって、不可能であることが証明されてしまいました。
彼らは「正義」の名のもとに、本来同志であるはずの人々や伝統文化を破壊し、これにより共産主義社会の矛盾を自ら暴いてしまったともいえます。結果として、彼らが弾圧の対象とした走資派による、市場経済を取り入れた中国を創るきっかけを与えてしまいました。
また、暴徒化した紅衛兵の鎮静化をはかるため、政府は彼らを農村に送り込みます。そのため若者たちは、自身の青春のみならず、高等教育を受ける機会さえも失うこととなりました。
【海外】
国内の凄惨な現実とは裏腹に、「権力打倒」を掲げ全国民を巻き込んだ中国の一大革命は、各地で起こっていた反植民地運動や独立運動に光を与えたのも事実です。
アメリカとソ連の代理支配に徹底抗戦したベトナムや、1960年の岸内閣下での安保闘争をきっかけに起こった日本における学生運動など、当時の世界は、権力対民衆という構図を強めていきました。
毛沢東が掲げた共産主義の理想は、中国国内の現実を知らなかった日本の学生をも魅了し、中国の革命の終結とともに、その指針を失う活動家も少なくありませんでした。
本書は、文化大革命を知る前に、社会主義・共産主義とはなにかというところから学びたい人におすすめの一冊です。
革命当時の中国に存在した共産主義間でのイデオロギーの対立や、計画経済の問題点など、多角的な切り口で原因が検証され、公平な視点で事件を眺めることができるでしょう。
- 著者
- 矢吹 晋
- 出版日
- 1989-10-17
革命を扇動した毛沢東自身は、生涯で1度も資本主義国を訪れたことがなく、彼の主張は空想的で時代の流れから逸脱していたことも問題であると筆者は語っています。
しかし、それゆえに多くの若者たちが夢を見出したのかもしれません。
国内のみならず世界にも影響を与えた文化大革命以降の中国は、一連の騒乱を教訓として、新たな歩みをはじめます。
- 著者
- ["安藤 正士", "辻 康吾", "太田 勝洪"]
- 出版日
- 1986-07-21
多くの血が流れたこの革命が、それまで神格化されてきた毛沢東に対する再評価を含め、経済大国・中国を作るきっかけとなったのは事実でしょう。
本書は、建国者であり偉大なカリスマでもあった毛沢東時代の終焉から、国の混乱を立て直していった「文化大革命以降」の中国を学ぶことができる一冊です。
本書は、過去の資料のみならず、革命を実際に経験した人たちのドキュメンタリー映画や証言をもとに検証をし、事件を身近な視点から学ぶことができる一冊です。
- 著者
- 出版日
- 2016-11-30
ここでは、「造反有理」(反対には理由がある)をスローガンに、権力者の政治に利用された紅衛兵たちが、最終的に下放(かほう)と呼ばれる人払い政策で地方に追いやられた事実についても詳しく検証され、加害者や暴徒となった彼らに対して新たな視点で再考することができるでしょう。
紅衛兵のような、加害者であり被害者でもある若者たちが語る「革命」の行き着く先がどこであったか、ぜひ覗いてみてください。
本書は、文化大革命下で起きた内モンゴル自治区における凄惨な出来事を、体験者の証言をもとにまとめた一冊です。
- 著者
- 楊 海英
- 出版日
- 2009-12-18
以前からモンゴル族と漢民族との間には隔たりがあり、中国中央部から圧力を受けていた内モンゴル自治区は、革命をきっかけに「分裂主義者」として激しい弾圧を受けます。
それらは人命を奪うのみならず、伝統の生活様式など、文化をも破壊するものでした。
体験者による痛ましい証言には目を背けたくなるようなものばかりですが、「正義」の裏側で起きるこうした事件こそ、加害者や被害者を問わず語り継ぐべきなのかも知れません。
いかがでしたでしょうか。革命や聖戦などの言葉をまるでファッションのように冠し、暴力や破壊を正当化する闘争は、文化大革命に限らず現在の世界各地でも起こっています。紅衛兵やその扇動者たちが目指した「共産社会がつくるユートピア」は、結局彼ら自身の手でその不可能性を証明してしまったといえるでしょう。
政治や組織における「改革」は、いつの時代も、その裏にある真の思惑を大衆の前にさらすことがありませんが、忘れてはならないのは、暴力の上に成り立つ正義などは決してないということでしょう。