「油断」は人生を豊かにするといっても過言ではないのだ【小塚舞子】

「油断」は人生を豊かにするといっても過言ではないのだ【小塚舞子】

更新:2021.12.6

私は度々油断をする。油断とは、たかをくくって気を許し、注意を怠ることだそうだ。自分ではたかをくくっているつもりも、気を許しているつもりも、注意を怠っているつもりもないが、それこそが油断のはじまりである。

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あらゆる人は油断する権利を平等に持っている

さて、この世に油断しない人間などいるのだろうか。毎朝決まった時間に起き、決まった朝食を食べ、同じ時間の電車に乗り、真面目に働いて、またいつもとほとんど同じ時間の電車に乗って帰り、妻が作った手料理を食べてお風呂に入って、寝る。

そんなきちんとした生活を送っている人にも、油断をする機会は平等に与えられている。

……ような気がしていたが、実際のところどうなのだろう。油断云々の前に、何をやっても上手にこなせる、器用の達人のような人が私の周りにもわりと多く存在している。

そういったタイプの人は、意識して気を張っていなくても、何事も正確にやり遂げているように見える。羨ましい。羨ましいが、無意識に気を張るということは疲れそうだ。

いや、無意識だということは、それがズバリ日常なわけで、とくに疲れなど感じないのかもしれない。ということは、意識的に気を抜く瞬間というのもあるのだろうか。

よく、オンオフのスイッチがどうのこうのといった言葉を耳にする。私はオンオフがはっきりしていると言われることが多いが、毛頭意識しているつもりはなく、あぁ、仕事が終わったなぁと、ただ油断しているだけ。

そうそう、油断。まさに今、油断していて話が脱線しかけていた。このコラムを書いていても、いつもこうなる。油断して、ただ頭に浮かんだことをダラダラと書き続けていたら、思いもよらぬ方向に話が進んで行って、その落としどころが見つからず、ゆらゆら同じところを彷徨い続けた挙句、そんな自分に苛立って、書いたものを全部消してみて思いっきり後悔するという結果になる。

これを書いている深夜12時にそんな後悔に支配されたくはないので、話を戻そう。私は油断することが多いタイプの人間だ。そのことに気が付いたのは最近で、元来自分のことをきっちりした、細かい人間だと思い込んでいた。

細かいという部分においては、悪い意味での細かさは持ち合わせているが、それはほとんど、性格が歪んでいて、人の細かいところが気になるという実に自分本位な細かさだけであって、それ以外はとても大ざっぱなのだ。つまり、自分に甘い。

最近油断していたことといえば、ひとつは新幹線での出来事。新大阪から博多行きの新幹線に乗り、新山口で降りなければならなかった。

大阪から一緒だったディレクターさんとは違う車両で、「一応、新山口に着く前に迎えにきますね」と言ってもらってはいたが、約2時間の道のりなので、まあ読みかけの本でも読んで時間をつぶそうかなぁと考えながら、とりあえずイヤホンをして目を閉じたら、トントンと肩を叩かれ、目を開けたら新山口に到着するというアナウンスが流れていた。

ディレクターさんが起こしに来てくれなかったら、博多で半べそをかいていたに違いない。慌てた私は、イヤホンのコードと肩からかけられるタイプのボストンバッグの紐と、小さなショルダーバッグの紐に盛大に絡まりながら、新幹線を降りようと席を立った。

もしかしたら日頃から失敗していた方が良いのかもしれない

すると、後ろにいた上品な感じのご夫婦に「いつも見てますよ」と優しく声をかけてもらった。そんな風に声をかけてもらえることがあまりない私は、精一杯の引きつった笑顔でありがとうございますと答えたのだが、紳士は「がんばってくださいね」と、にこやかに握手を求めてくださった。

しかし、私の腕にはイヤホンのコードとふたつのかばんの紐が絡まっている。ちょこんとしか手が出せず、何かの片手間でそうしたような、大変失礼な握手となってしまった。

しかもよく考えてみたら、イヤホンで音楽を聴きながら爆睡しているところも見られていたのではなかろうか。その前に、ディレクターさんにもそれを見られてしまっている。しかも私は眠るときには大体口が開いているらしい。

“迎えに来てもらえる”と油断していたら、大口開けて爆睡する醜態を晒し、紐に絡まり、目的地で降りそこねかけた。

そして、もうひとつ。この出来事をきっかけに、自分の油断について考えさせられた。家で『警察24時』を見ていた私は、ちょうど交通違反についてのネタをやっていたときに、ふと、そろそろ免許の更新時期かもなぁと気が付いた。

とは言っても十代の時に何となく取得した原付バイクの免許しか持っておらず、それも全く乗っていない(というか、怖くて乗れない)ので、ただ本人確認する手段として財布に入れているだけの免許証。

使わないので、なくても特に困ることはないのだが、消失してしまうのも寂しいので一応確認しておこうと財布を取り出して、中身を確認しようとした。


……ない。

更新も何も、免許証そのものが財布に入っていない。あれ? 最近何かに使ったっけ? と考えを巡らせてみたが、思い当たることは特になかった。それならば、ポイントカードやら領収書やらを整理したときに、間違えて一緒に片づけてしまったのかもと、部屋中を探してみたが、やっぱりない。

だんだん焦ってきて、どう考えても入っていなさそうな引き出しを開けてみたり、ついには実家に電話までした。もちろん、なかった。

なくなっていたのだ。もはや、いつからそこになかったのかも全くわからない。とにかく再発行せねばと警察署に向かった。とても丁寧な警察官の方だったが、いつなくしたか記入する欄にとりあえず半年くらい前の日付を書いて引かれた。そりゃそーだ。

「油断してました! テヘ! 」なんてとぼけた一言で終わらせるには、あまりにも恐ろしい出来事だった。油断という言葉を使えるならば、半年以上は油断し続けていた。

私はなんて何も考えずに日々を過ごしているんだろうと、数日間落ち込んだ。もっとシャキッとせねばと、姿勢を正してみたが、やはり生きるということは油断の連続だ。

服のタグを切ろうとして、自分の髪の毛まで少し切ってしまった(ロングヘアーの髪を耳にかけていたのだが、それがハラリと耳から落ちた瞬間とタグにハサミを入れた瞬間がほぼ同時だったのだ)。

コットンにコンタクトの洗浄液をつけて、メイクを落とそうとした。歯ブラシにハンドソープをつけた。足首が出るズボンを履いて公園に行ったら、きれいにくるぶしだけ蚊に刺された。しっかり起きていたのにバスを乗り過ごした。

どれも少し気をつければ、防げることばかりだ。それなのに私はこの手の油断を幾度となく繰り返している。歯ブラシにハンドソープ(もしくは洗顔フォーム)はしょっちゅうやる。気を付けようとは思うのに、忘れたころにまた同じ油断と失敗を続けてしまう。

しかし、小さな油断を繰り返しているからこそ、大きな失敗をしていないのかもしれない。私のようなうっかり者が、日頃から気を張った生活を続けていけば、何かの拍子にそれが切れた途端にとんでもない失敗をしてしまいそうだ。

つまり、こういうことだ。油断とは大失敗から身を守る護身術だったのだ。そうと決まれば、明日からも自分を甘やかしながら、大いに油断しよう。

それでもやっぱり油断しない方がいいのかも?

著者
有川 浩
出版日
2017-02-15

移動の最中に軽く読める本をと買ってみて、電車の中で読んでいたら油断して泣きました。瀕死だった野良猫ナナと、ナナを引き取ったサトル。五年間、一緒に暮らしたナナとサトルでしたが、サトルはある理由でナナを手放さなければならなくなります。

ナナの引き取り手を探す旅に出る途中、サトルの秘密が次々と明らかにされていくのですが、所々に散りばめられた優しい気持ちと、人間が誰しも感じるような葛藤に何度も鼻の奥がツンとしました。 最後まで油断せずに読んでください。とても温かな気持ちになれます。

著者
奥田 英朗
出版日
2015-05-28

「侮ったら、それが恐ろしい女で」。この本の内容紹介は、こんな一言で始まっています。

とびきりの美人ではないけれど、色気があって男受けする女、糸井美幸。高校までは地味だったという彼女が短大時代から高級クラブのママにのしあがっていく様子は爽快です。

周りで油断する男たちはアホやなぁと思いながらも、油断している人を見るのはちょっと気持ち良かったり。女性はとても逞しい生き物に感じさせてくれるこの作品。男性のみなさん、油断大敵ですよ。

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