「即戦力」とは何か。戦場に強い学者たち!

更新:2021.12.6

就職戦線は売り手市場だそうだ。ただし、「即戦力」という言葉に企業側も学生側も振り回されている。学者は机上の空論に強く実戦に弱い。教え子たる学生も同じだ。だが、現代社会はそれを許さない。余裕のない企業は即戦力人材という見果てぬ夢を追う。そして学生は無理なロールモデルを押し付けられ消耗する。 果たして、どんな学生ならば即戦力として活躍するのだろうか。ここでは、学問の世界から様々な形の戦場に飛び出し、しかも成功した例を書籍の中に追ってみよう。本当の「即戦力」の意味を知ることができるかもしれない。

ブックカルテ リンク

革命の最終兵器は笑う哲学者。(レーニン)

1914年から1917年のはじめ、第一次大戦の戦火をよそに、レーニンは亡命先のスイスで図書館通いを続けていた。この時、革命運動は仮死状態に陥っていた。

ぬかるみを避けてズボンの裾を捲ったまま、朝一番にベルン図書館の扉を開くのを待つ。お気に入りの窓際の席に腰かけ、ヘーゲル「大論理学」を広げ熱心にノートをとる。「ハラショー!」ウキウキとした思想のキラメキが「哲学ノート」に残される。そう。レーニンはよく笑う人であった。

図書館が休みの日は、昼食後に妻と焼きクルミの入ったチョコレートを持って近くの山に登る。眼下の平和なスイス・ベルンの町並みを見ることもなく、レーニンは読書に没頭する。

 

著者
中沢 新一
出版日
2005-06-16

「この戦争のなかから、革命の生まれる可能性が胎動していた。しかし、その可能性を現実化する主体の側には、そのために必要な『意識』が欠けていた。…なぜ、このときにヘーゲルだったのか。」
ある日ドイツ軍が、彼を厳重に警備された「封印列車」に閉じ込めロシアに送り込む。思索を楽しむ哲学者は列車の中で世界で最も危険な革命家に戻り、ドイツ軍の最強にして最終の兵器に変貌する。そして、ロシアの地に人々が今まで経験したことのない世界が展開されるのである。
 

防弾チョッキを来た主婦。(緒方貞子)

聖心女子大から米国に渡り、満州事変を中心とする外交史と政治学の専門家として業績を挙げた緒方貞子は、結婚を機に家庭に入った。1964年、突然、国連代表団の一員に選ばれ、エプロンを外して家族に事情を説明するとそのまま海外へ飛んだ。そして1991年、女性として、日本人として、学者出身としても初めて国連難民高等弁務官(UNHCR)に着任した。

著者
緒方 貞子
出版日
2002-11-30

いくつかの偶然と、いわゆる家柄という強力な背景があったとはいえ、彼女の資質は当時の世界情勢が要請した稀有な能力だった。それは前例のない事態に対し的確かつ勇気ある決断を下し、実施する能力。

クルド難民危機において、国外に出た難民は国連による保護の対象になるが、国内の難民に救援活動を行うことは「内政干渉」となる。彼女は難民救済という基本原則を守るために行動規範(ルール)の方を変えた。強引に米国の支援を取り付けるとUNHCRの配下を出動させる。

同じ年にバルカン紛争が発生。中立を前提とする国連の立場を守りつつ、「殺人」を止めるために現地に飛ぶ。そして狙撃兵の無差別な攻撃にさらされる街を防弾チョッキを着て歩く命をかけた恐るべきパフォーマンスが世界に向けて演じられる。
 

革命を仕上げる村医者。(大村益次郎)

長州(山口県)の村医者・村田蔵六は長崎留学、大阪の適塾での修業を経て、江戸で蘭学者としての名声を得る。当時の蘭学は医学だけではなく、法学、工学、そして兵学と、近代文明に必要なすべての学問が守備範囲であった。

本を読むこと、豆腐を肴に酒を飲むことしか楽しみのない男が、銃の買い付けの相談に乗ったことをキッカケに桂小五郎の目に止まる。「幕府と戦って勝てるでしょうか」との桂の問いに、蔵六は「施条銃を一万挺そろえれば勝てます」と答える。

軍事技術者としての才能が開花し、蔵六は無敵の戦いを披露する。蔵六の戦法はオランダ語の兵学書に書いてある通り。「文字で書かれたものを頭の中で映像化できる想像力は蔵六の巨大な才能であった。」

戦国時代そのものの装備と戦法で対峙する幕府軍は敗走に敗走を重ねる。
 

著者
司馬 遼太郎
出版日
1976-09-01

パラダイム(社会全体の基本構造)が変換するとき、従来型の知識と経験しかない旧体制側は「机上の空論」に歯が立たない。村医者・村田蔵六は新技術と新体制の現実世界への窓口でしかない。オランダ語と蘭学書が花咲か爺の灰であり、彼はその灰をばらまいただけで陸軍総督「大村益次郎」となった。

「革命というものは、まず最初に思想家があらわれて非業の死をとげる。日本では吉田松陰のようなものであろう。ついで戦略家の時代に入る。日本では高杉晋作、西郷隆盛のような存在でこれまた天寿をまっとうしない。三番目に登場するのが、技術者である。」
この中の思想家と技術者が、学者である。
 

儒学者と宣教師の戦いと友情。(新井白石)

イタリアの宣教師シドチは鎖国下の日本への布教のため、日本人に変装して屋久島に上陸する。即座に捕縛されるも幕府側も対応方法に窮する。白羽の矢を立てられたのが儒学者・新井白石。シドチのラテン語と不思議な日本語に通訳のオランダ語を介して「尋問」が開始される。

シドチはこの学者の眼光と理解力に驚く。必ず大きな仕事を成し遂げる人物に違いない。白石もシドチの知能と博識を評価し、友情が芽生える。
「男子、其の国命をうけて、万里の行あり。身を顧ざらん事は、いふに及ばず。されど汝の母はすでに年老いて…、いかにおもふと問ふに、しばらく答ふる事もなくて、其の色うれへて、身を撫していふ」。
 

著者
新井 白石 村岡 典嗣
出版日
1936-10-15

キリスト以前の人々の来世はどうなるのか?欧州各国の勢力関係は?シドチの予想通り、白石の追求は鋭く論理的でその知能レベルは尋常ではない。神学論争は譲らず、欧州情勢の説明には誠意と博学を以ってシドチは対応する。

白石はこの時期、幕閣の中枢にあり、対朝鮮外交、長崎での輸出政策、貨幣改鋳政策に腕を振るう。世に言う「正徳の治」である。この問答から西洋の学問に対する評価が高まり、幕末の「和魂洋才」の流れにつながる。

なお白石は藤沢周平『市塵』では主人公、辻原登『韃靼の馬』では敵役として登場する。
 

明治最強の文学士。(嘉納治五郎)

嘉納治五郎は少年時代虚弱であった劣等感から帝大の学生時代に柔術を学ぶ。天真心楊流と起倒流を満身創痍となりながら修行した後、学習院の教師として働きながら自流派「講道館柔道」を創設する。

大東流合気柔術・武田惣角との戦いでは苦杯を喫するが、西郷四郎、横山作次郎という俊秀を倒し、弟子とする。柔術諸流派の技を吸収し、理論化、体系化した「誰でも強くなることができる」近代的な武道の形がここに誕生する。

理論武装と投げ技で勝負を決めるパフォーマンスが古流柔術を粉砕すると同時に新時代の日本人に受け入れられていく。
 

著者
夢枕 獏
出版日
2014-09-11

「文と武、ひとりの人間の中に、このふたつのものが自然同居し、しかも、自らがそれを実践して、柔道という体系を作りあげてしまったというのは、ひとつの奇跡のようなできごとと言っていい。」

治五郎は「組手」の天才として描かれる。争うことなく自然に自分に有利な形で、相手と、そして時代と組み合う。

全体構造と過去現在未来を見極める知性が創り上げた講道館システムが、荒々しく魅力溢れる古流柔術家たちを倒し、同時にシステムに取り込むことで永遠の生命を与えていく物語。格闘技に疎い人には辛い?かもしれない。
 

現実は反復と一回性の二面を持つ。学者は記録(データ)から「法則」を導き出すことで満足する。実践者は経験から導き出した原則とノウハウを現実に適用し、失敗し、また作り直す。どちらも反復する現実、いわゆるルーティンには強く、一回性の現実、いわゆる想定外のアクシデントに弱い。 
実践者の成功体験は無力であり、自己模倣も危険。先輩も上司も無力。今回紹介した「実戦に強い学者たち」の共通点は、時代状況が大きく変わる瞬間に実践者たち、もしくは時代そのものから召喚されたことである。彼らは想像力と構想力を駆使して、未知なる現実に対処する。 
フィクションである学問が現実を創り出す時、本当の学問の力が発揮される。「即戦力」とは「実戦に強い学者」と同様に、現状の実践者たちがルーティンの対応力ではニッチもサッチも行かなくなり、進退に窮した時に召喚される存在なのではないか。とすれば、それは結局、幻なのである。

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