物理学者が紹介する、子どもに読ませたい科学絵本『ちきゅう』
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物理学者が紹介する、子どもに読ませたい科学絵本『ちきゅう』

更新:2017.12.3 作成:2017.12.3

「じめんのしたは、どうなってるの?」すべての科学の問いは、小学生も問える形に行き着く。そして、その問いに本当に答えるのが、科学の真の姿である。小学生の僕が熱中した絵本『ちきゅう』は、その傑作として、子どもたちに永遠に読み続けられるだろう。

橋本幸士プロフィール画像
物理学者
橋本幸士
大阪大学教授。専門は理論物理学、とくに超ひも理論。理学博士(京都大学、2000年)。物理の月刊誌『パリティ』編集委員。『小説すばる』にエッセイ連載中。著書に『マンガ 超ひも理論をパパに習ってみた』(大阪大学出版会)、『超ひも理論をパパに習ってみた』(講談社サイエンティフィク)、『Dブレーン:超弦理論の高次元物体が描く世界像』(東京大学出版会)、などがある。趣味は黒板に数式を書いて眺めること、科学のディスカッションをすること。ツイッターは @hashimotostring
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子どもが熱中する科学とは?

誰でも子どもの時に、自分が踏みしめているこの地面の下がどうなっているか、気になったことがあるだろう。砂場を深く掘ってみたら、下の方は湿っていた。公園の隅を掘ってみたら、貝殻が出てきた。そういった経験を持っている人はとても多いだろう。僕もそんな、庭を掘り返す小学生だった。ある日、両親がこの絵本を僕に与えてくれたのは、僕にとって奇跡だった。

著者
加古 里子
出版日
1975-01-20

1ページ目を見たときに脳裏に響いた感覚を、今でもよく思い出すことができる。地面を掘り返して喜ぶ犬の絵の下部には、その地面の下の鉛直断面図が、豊かな色彩とともにじっくりと描かれているのである。犬が掘って見つけた「ふきのとう」の芽は、地中では深く根っことつながっていることが、断面図では一目瞭然である。犬はそれに気づいていない。当たり前だ、地面の下で、見えないのだから。そして地下の根っこの横には「くろやまあり」が巣を作っている様子が、断面図で描かれている。僕は、このページを、何十回も、食い入るように見つめていた。

最初のページの断面図は、地面から深さ15センチまで。ページをめくるごとに、描かれる深さの範囲がひろくなっていく。地面から4000メートルまでが描かれているページに達したとき、小学生の僕の目は、紫色で描かれている「マグマだまり」に釘付けになった。ドロドロの餅のような、しかも恐ろしい紫色の、すごく巨大なものが、この地面の下に埋まっている。そう考えただけで、泣きそうになった。そして、夢にまで「マグマだまり」が出てくるようになった。

そんな科学絵本は、他にはなかった。そして、今でもそうであるように思う。『ちきゅう』をよく見ると、ひらがなで書かれた本文に加えて、小さな漢字で書かれた用語がぎっしりと並んでいる。より深く知りたい、友達に自慢したい、という子どもの心がくすぐられる。高校の教科書にすら載っていない「モホロビチッチ不連続面」という専門用語を僕はこのときに覚えた。そして、今もそれは物理学者である僕の心に居座っており、大学の講演会などで星の断面図が示された際には、いつもその「モホロビチッチ不連続面」を探す自分がいるのである。僕の科学の一部は、明らかに、この『ちきゅう』に育まれた。

偉人、かこさとし

『ちきゅう』の著者の加古里子(かこさとし)氏の名は、絵本作家として轟いている。「だるまちゃん」シリーズなどが非常に有名だが、僕にとっての加古里子氏は、『海』『宇宙』『かわ』などの科学絵本の傑作を生んだ偉人、という印象しかない。

僕も科学者の端くれとして、最先端の科学がいかに面白いか、そして人間の好奇心の先を見せてくれるのか、を一般の方々に伝える努力をしているつもりである。今書いているこの書評も、その活動の一つである。しかし、どうあがいても、自分が小学生の頃に『ちきゅう』に受けた影響を超えることはできないように感じている。

なぜ、そのように感じるのかを、最近まで深く考えたことはなかった。しかし先月ふらりと立ち寄った書店で『永久保存版かこさとし』とうたうタイトルの本を見て、迷わず買ってしまい、そして読みふけって、初めて、自分がなぜそんなに、加古里子氏の絵本に圧倒的な凄さを感じるのかがよく分かったのである。

著者
出版日
2017-07-13

この「永久保存版」の冒頭には、加古里子氏が実際に科学絵本をどのように構築していったかが、カラー図版の下絵原図で示されている。1ページを、いかに子どもたちがワクワクするように描くかの苦心が、見て取れる。そして、一言一言をどんな風に選ぶか、その苦しみも見て取れる。まるで、我々科学者が論文を書くときのようである。

そして、収録されているインタビューでも、その苦心がにじむ。「いかに構成して、子どもたちが無理なく順を追って理解できるように、しかも飽きないようにどんな流れにするか、どう絵を配置するかを考える。その期間が全体の八割から九割近くで、あとの一割か二割で絵を描くわけです。」これも、我々の論文執筆と近い。論文を書いている期間は最後の一瞬だけで、それまでの膨大な研究期間があるわけである。

嬉しいことに、加古里子氏ご本人が科学絵本を書くときに重要視した三つのポイントも、インタビューで触れられている。それは、「大事な原則を先に書き、例外を後にすること」「過去から未来への科学の営みを動的にとらえること」「個々の科学だけでなく、科学の全体像を提供すること」の3つである。

僕にはよくわかった。加古里子氏は、すばらしい科学者なのである。

科学の成果を世の中に伝えるという言葉「科学アウトリーチ」がない時代、そしてインターネットやTwitterなどのSNSのかけらもない時代、加古里子氏は自ら、模範的な科学アウトリーチを築き上げた。作品の奥に秘められた、科学への広く細かい好奇心。そして科学を知り創っていくのは将来科学者になる若者であるという信念。表紙を飾る91歳の加古里子氏の笑顔は、科学者である僕の心を洗う。

140文字に寸断された細切れ情報にいかに素早く反応するかを競うSNS時代。科学者の信念に支えられた科学の進歩と、それを見守る大多数の人たちの情報のやり取りは、大きく変化している。将来の科学者を育てる好奇心を、現代の科学はどういう方法で満たしていくのだろう。加古里子氏の『ちきゅう』が教えることは、深く、大きい。