信じられないことに、私は32歳になるそうだ。30歳を迎えるその日まで、私は30歳になんてならないと思っていた。そして30歳になった時には32歳にならないと思っていた。しかし、2年という月日が流れていたようだ。私はまもなく歳を取る。
これは誰しもが感じることだと思うが、子供の頃思い描いていた32歳の大人より今の私は随分と幼いように感じる。「こんなはずじゃなかった」と嘆くほど、今の生活を嫌っているわけではないが、これが理想の自分なのかと訊かれれば答えはノーだ。
しかし、じゃあどんな人になりたかったのかと訊かれたところで、上手くは答えられない。「将来の夢」を訊かれるならまだしも、知らぬ間に歳を重ねていたとはいえ、重ねた時間のてっぺんに今の自分はもう立ってしまっている。なりたかった現在の自分を思い浮かべるなんて、情けなくなるだけだ。
とは言いつつ、日々こんなはずじゃなかったと考えてしまうことは多々ある。何かの打ち上げの席なんかでピチピチしたギャルたちが「結婚? えぇー! まだ考えてないですよぉー。でも30歳くらいまでにはしたいなぁ! 」なんて言ってるのを、真横にいながら聞こえないふりした帰り道や、せっかくの休日をパジャマのまんまでだらしなく過ごし、気づけば日暮れを迎えていた時。
そんな時に限ってSNSで友達のキラキラとした日常を無意識に眺めていたりして、薄暗くなった部屋でしょんぼり落ち込む。
しかし電気とテレビをつけて現実に戻ってみると、何がこんなはずじゃなかったんだ!だったらどんなはずだったんだ!と少し冷静になれる。妄想と悲観という、こじらせループから抜け出すためには、そもそも考えないようにすることが一番だ。
ただひとつ、切実に「こんなはずじゃなかった」ということがある。私は大人になると賢くなると信じていた。信じ切っていたからとくに勉強しなかった。すると、賢くはならなかった。賢い人に言わせれば当然のことであろう。しかし、賢くない人は「いつか何とかなる」と考えているのだ。
例えば、政治経済なんかは大人になるにつれて自然と理解できるものだとにやにや考えていた。だが、大人の話にほとんどついていけていない自分に気が付いた。「政治経済」という言葉から調べ直さなければいけないんじゃないかと不安になったくらいだ。
しかも、ありがたいことに私はニュース番組に出ている。文化人でもないので等身大の女性の立場でいていいはずだが、スタジオに座ってふむふむ頷いている。隣に座っている方たちは、正真正銘、ホンモノに賢い。番組を見てくださっている方も、自分より賢い人がほとんどだろう。そんな場所で私はふむふむしているのだ。
しかし、私は32歳になるのだと気が付いてしまった。立派な大人である。「わかりません」が可愛らしく捉えられる年齢はきっともう過ぎている。「こんなはずじゃなかった」と、嘆いたところで何も始まらない。わからないことは勉強しなければならない。重すぎた腰をようやくあげた。腰をあげた時間が深夜前だったにも関わらず、とりあえず新聞を買ってきて読んでみようと意気揚々コンビニに出かけた。鼻息荒く飛び込んだコンビニにはスポーツ新聞が少しばかり置いてあるだけだった。もう少し大きめのコンビニにも行ってみたが、またスポーツ新聞。今が夜だからだと気づくまでに少々の時間がかかった。
しかしここで諦めてはいけない、何かヒントになる本が置いてあるんじゃなかろうかと思い探してみた。そこに並ぶのはファッションやグルメなど、今の自分にはどうにも目に毒になりそうな雑誌の類、それから体幹を鍛えるためのトレーニング本や、深夜に食べても太らないというレシピ本、これを読んだら稼げます的な本、一体どんなタイミングでこれをコンビニで買うのだろうという自己啓発本がほとんどで、コンビニに置かれている本の摩訶不思議感だけが残った。
池上彰さんの本とかあると思ったのになぁとがっかりしつつ、マンガ本のコーナーをちらりと覗いてみたら、『3月のライオン』の最新刊が目に入った。思わず手に取ってレジに向かおうとしたが、いやいやこれは勉強してからのご褒美として読もうと諦めた。
今までであれば、自分の熱しやすく冷めやすい性格に甘えて……というより次の日にはそんな熱があったことすらきれいさっぱり忘れて、のほほんと自堕落な日常生活に戻っていたが、今回は違う。何せ私は32歳を目前に控えているのだ。
翌日には意味もなく賢そうに見える服を着込み、はりきって大きな書店に向かった。とにかく今の世の中の流れがわかる本を買い込もうと意気込んでいたが、知りたいことが漠然としすぎていて、一体何コーナーにいけばいいのかわからず、だだっ広い店内を何往復もウロウロと歩き回った。
その際、ふやけた顔でウロついていたのでは不審がられそうなので、じんわりと眉間に皺を寄せ、難しい顔をしてみることも忘れずに行った。周辺にいた大人たちはだいたいそんな顔をしていたので、それを真似た。そして、やっとこさ何とかそれらしきコーナーを見つけたにも関わらず、私はその場で呆然と立ち尽くすことになる。
本の量が多すぎた。それらしき本が多すぎて、手に取るべきものがわからない。おまけに、とりあえず1冊手に取って、中身を確認してみることすら何となく恐ろしく感じる。めくった1ページに書いてある内容によっては、その場で拒否反応を起こして逃げ出してしまいそうだ。
しかし逃げるわけにはいかない。直観で選ぶんだ。自らを鼓舞奮闘させ、そのコーナーで平積みにされていた最新刊らしき本を手に取り、ついでに小説を2冊選んでなるべくキリっとした表情でお会計を済ませた。
満足した私は帰り道にカレー店に寄り、カレーを待つ時間に買ったばかりの小説を読んだ。カバーをかけてもらったのが小説だけだったからだというのはただの言い訳だが、何となく家に帰って落ち着くまで、それらしき本を読む気にはなれなかった。
短いミステリー小説だったのですぐに引き込まれてしまった。家に帰ってからも続きを読んだ。しかし、やらなければいけない仕事もあったのでそちらを優先することにしたが、どうにも小説の続きが気になってしまい、気が付けばまた読んでいた。
もうこの先はクドクドと書くこともないだろう。結論から言えば私はまだ“それらしき本”を2ページくらいしか読んでいない。
“本”を読んで勉強するというところにそもそも達していなかった。しかし、2ページ読んだところで私は少し大人へと近づいた。それはまさに、「買った本を理解できない自分に気が付いた」からだ。そして自分の力ではどうしようもないということは、もう誰かに聞くしかないんだと、開き直れたことだ。
これまでアホだと思われることを恐れて聞けずにいた疑問を周りの大人に聞いてみるということに成功した。自分でも、なんてくだらないプライドなんだろうと笑ってしまうが、人からどう見られるのかは気になってしまう。
しかしどんなことでも真っ直ぐに質問をぶつければ、皆とてもわかりやすく丁寧に、何でも教えてくれた。大人はとても優しかった。「そんなことも知らないのか」なんていう人はいなくて、それこそが大人なのかと、そこも勉強になった。
世の中の仕組みをすべて理解することなんてできないだろうけど、知らないことは少しずつ知っていきたい。そして賢く、優しい大人を目指そう。
わからないことを、わからないと言えることで、大人の階段を登る準備ができるのだ。ようやくまっさらな靴ひもをキュキュッと締めることができた。また、ほどけてつまづくこともあるだろうけど。
このコラムが掲載される頃には、私はもう32歳になっている。32歳になる1日前は31歳だ。たった1日では何も変わらない。時間の流れは誰にでも平等だが、物事を理解するスピードは人それぞれだ。時間に追いつけないところがあってもいいじゃないか。大人ぶろうと焦るのはやめて、ゆっくりと『3月のライオン』でも読もう。
- 著者
- 西 加奈子
- 出版日
- 2017-10-06
直木賞受賞作なので、もう読んだわい! という方がほとんどだとは思いますが、最近文庫本にもなっていたのを見たので、まだだという方はぜひ手に取って欲しいです。
衝撃的でした。私は小説というものを現実逃避できるものだと思っていました。しかしこの作品は、今まで目を背けてきた種類の現実でさえも、何の遠慮もなく突きつけてきました。
もう、こすりつけられました。他人から見れば何てことはない事実でも、本人にとっては絶望的だと認めることもできないくらいの絶望だったりします。
誰にでも悩みはあるという当たり前のことを、私はちっとも理解できていなかったのだと思いました。登場人物の丸裸を目撃することで、作者の裸まで見たような気分になって、西加奈子さんとは一体どんな人なんだろうと、気になって仕方ありません。人間の心髄を見られる作品です。
- 著者
- 湊 かなえ
- 出版日
- 2017-06-28
2ページしか読んでいない本は置いておいて、すぐに引き込まれたミステリー小説です。小学1年生の結衣子の姉、万佑子が突然いなくなってしまいます。
血眼になって探す両親、それに巻き込まれていく結衣子。そして2年後、万佑子はある違和感を携えて帰ってきます。どうなるの?どうなるの? と、飛ばし読みしたい気持ちを抑えて読んでもあっという間に読み終えてしまいました。時間が経つのが速くなる一冊。
小塚舞子の徒然読書
毎月更新!小塚舞子が日々の思うこととおすすめの本を紹介していきます。