第二次世界大戦で、枢軸国側が勝利した世界。アメリカは東西に分断された。西は日本、東はドイツが支配している。所謂、歴史改変SFと言われるジャンルである。その世界では、連合国側が勝利した『イナゴ身重く横たわる』という小説が、発禁書とされながら流行している。それぞれ異なる立場にいる人々を描いた群像劇だ。本物と偽物、リアリティとリアル、ディックの作品に共通するテーマをどのようなアイテムで表現しているか、ここがとてもニクイところで……と、語り始めると止まらないので、この私にとっての「殿堂入り」の紹介はこのへんにしておきたい。
でぜ、また今回『高い城の男』を取り上げたかというと。
21世紀版『高い城の男』と評される衝撃作が発売されたからである。
ディックの遺伝子を受け継ぐ歴史改変SF
基本設定は同じである。第二次世界大戦後、枢軸国側が勝利した世界。アメリカは東西分断され、日本統治側の国は、「ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン(USJ)」になったのだ。
ディックは『高い城の男』の中で、大東亜共栄圏思想を理想そのままに終戦後も拡大し、ナチスドイツと比べ「人道的」扱いをする国として戦後の大日本帝国を描いている。日本人は、ナチスドイツの優生思想を一笑に付すことができない、白人コンプを持ったアジア人である。科学技術もナチスドイツに遅れを取っていた。「人道的」と言えば聞こえはいいが、戦勝国としては、少々お人好しの無能ではないか、というくらい、影が薄い。小説では、ナチス・ドイツの非道が強調されている。日本人は非白人として、日本統治下のユダヤ人を保護している。ヒトラーが完成させた恐ろしい優生思想を抑える役割を、少々のオリエンタリズムと共に背負わせれている。
この、日本の影の薄さは少々不満だった。しかし『USJ』ではそのタイトル通り、日本がメインの物語だ。
白人コンプレックスを持つアジア人、のイメージは、明治維新から繰り返し繰り返し描かれてきた。私個人の読書経験からでは、谷崎潤一郎『痴人の愛』、戦中では井上ひさし『東京セブンローズ』、戦後では野坂昭如の『アメリカひじき』などが印象深い。
しかし、アメリカに勝利した大日本帝国の臣民が、まだ、そのコンプレックスを持ち続けるものか?
アジア系アメリカ人の著者は、この歴史改変世界に、アニメコンテンツ的な日本文化を取り込んだことで、この旧来的な人種意識を刷新させた。日本統治下のアメリカでは、アジア人と白人の混血が進む。アニメのようなカラフルな髪色にカラフルな瞳のファッションが当たり前になっている社会。黒髪黒目のアジア人、というむしろ非アジア人が描きがちな、アジア人のステレオタイプは存在しない。今の日本のポップカルチャーが(少し早く)花開いた戦後の日本的な、日本合衆国なのだ。
ともすれば、「オタク」くさいと思われる要素がたくさん詰まっている。映画『ブレードランナー』的な電脳大国日本のイメージ、ニンジャスレイヤー的な戯画化された日本。しかし、これらの要素があるからこそ、多面的な大東亜共栄圏において、臣民たちは等しく、臣民である……という「理想」そして現実。 大日本帝国傘下にある日本合衆国、「USJ」を描けたと思うのだ。
ストーリーも明確で、登場人物たちのキャラクター性も強い。読みやすい、エンタテインメント性の高いSF小説である。