心と心で向き合う大切さを教えてくれる言葉
3人の小学生が「人は死んだらどうなるのか?」という何気ない会話から、学校や習い事の合間を縫って、一人で暮らすおじいさんを観察し始めます。子どもの好奇心というものは無垢で無知で、驚くほど真面目です。
観察していることがおじいさんにバレてしまってからのやり取りが微笑ましくて、子どもたちの「死人をみたい」という最初の目的を忘れてしまうほどでした。読み進めるほど、大人と対等に言葉を交わす子どもたちの気持ちが手に取るようにわかるのは、「子どもながらも見栄や意地があるのだ」と、昔の自分と重なる部分があったからだと思います。
ネタバレになるかもしれませんが、「夜中のトイレはもう怖くない! あの世に知り合いがいるって心強い!」と子どもたちが別れ際に道端で叫ぶシーンにはおじいさんへの思いが詰まっていて、小学生らしい素直な発想が大好きでした。スイカを食べたり花火を打ち上げたり、子どもたちとおじいさんが同じ時間を過ごした思い出はきっと、ずっと色褪せない。
私も今は亡き人を思ったとき、またいつか会える気がするのはたぶん、本気で会えると信じているからなのだと改めて強く感じました。周りの人や環境と、心と心で向き合う大切さを教えてくれる一冊です。
神秘的かつ心に刺さる言葉
この物語は、数学が一本の軸になっています。野球観戦、親子の関係、家政婦の事情などの様々な状況が数学という軸と素晴らしく絡み合っていて、とても読み応えがありました。
登場人物である元数学教授の博士は80分しか記憶が持続しません。毎朝そのことに絶望するであろう生活の中でも、博士が最も愛する数字や数式の美しさを、家政婦とその子どもに丁寧に説明する姿は毎度とても愛に満ちています。
そもそも私がイメージする数学は、冷めていて機械的で……(ただ昔から苦手科目なだけですが)タイトルにある「愛」と「数式」が私の中で上手く噛み合わず、買ったものの読まずに本棚に仕舞ったままにしていました。今が読むタイミングだと思ったのは何故だかわかりませんが、自分に必要な大切なことを学んだ気がしました。
179ページ目から180ページへ続く博士の言葉は神秘的で、当を得た表現をしていると私は感嘆し、その一文を締めくくる「君の利口な瞳を開きなさい」という家政婦に向けた一言は私の心にも刺さる言葉でした。
心をグリッと抉られる言葉
一体、著者のカフカ氏は何からインスピレーションを得たらこんな設定を思い付くのか気になるところです。物語は、主人公のグレーゴル・ザムザが“ある朝、夢から目を覚ますと虫になっていたことに気づく”というところから始まります。その後、姿形だけに留まらず食癖、行動までもが虫と化し、幸い思考する頭脳は保っているものの、言葉を発することが出来ないため説明も出来ず、一緒に住んでいる家族からも少しずつ見放され、そのうちリンゴを投げつけられたりします……。それでも彼は、家族に迷惑をかけないようにひっそりと過ごすのです(なんとも健気!)。
ラストはハッピーエンドのようにも見えるのですが、その中に主人公はおらず、ただ一人、いえ一匹、早々と息絶えているのです。彼は家族で唯一優しく接してくれていた実の妹に「“これ”(グレーゴル)を兄だと信じたことが私たちの不幸だったんだわ!」と最終的に言われてしまった場面は本当に心をグサッと、というよりグリッと抉られるような思いでした。兄を“これ”呼ばわり……。ここまでくると笑って良いものなのかもわかりません。しかし、グレーゴルの心の声は最後までただ申し訳なさそうに、常に愛する家族を思うものでした。私も2人の姉を持つ妹として、愛を持って家族と接しようと思いました。例え彼女たちが明日、虫になっていようとも(笑)。