海外ロケで出会った不便の連続、それを前向きに肯定してみる【小塚舞子】

海外ロケで出会った不便の連続、それを前向きに肯定してみる【小塚舞子】

更新:2021.11.12

空港へ降り立つと、外は気怠い曇り空だった。暑く、ヒリヒリと乾燥した機内からでは、外の気温はわからない。そのまま外気に触れることなく搭乗橋を渡り、無機質な建物の中へ入っても、まだ自分が日本から離れた実感が湧かない。

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日本ではないと感じさせる空気の変化が、旅の始まりを教えてくれる

しかしその空気を感じるまでに、あまり時間はかからなかった。入国審査へと向かうエスカレーターに乗りながら、かばんの中からパスポートを探したり、空港内のWi-fiを確認していると、ふと匂いが変わったことに気が付く。

日本では感じることのない匂い。まるで見えないゲートをくぐったかのようだ。突然自分を取り巻く空気の変化は、旅の始まりを告げ、ここは日本のルールが通用しない異国だということを実感させる。少し、心細くなった。

久しぶりに旅に出た。とは言っても、お隣の国。以前、旅番組で同期だった同世代の女の子たちと4人で韓国へ行った。番組を卒業してからも連絡を取り合い、いつか皆で旅をしようと話してはいたが、4人全員の予定を合わせるのは難しく、皆は3泊4日、私は後から合流で1泊2日というせつないスケジュールになってしまった。

結果的には1泊でも大満足なくらい、とても楽しかった。全員旅慣れしているので何のトラブルもなくとてもスムーズだった。まぁ何もないのが一番なのだが、旅の珍事は後から笑える。

とくに海外ロケではそれの連続だ。プライベートで行く旅ならば、ホテルも自分で選んだりツアーに組み込まれているところに泊まるので、事前に下調べでもして、なんとなくの雰囲気を予想できるが、ロケの場合はそうはいかない。

ディレクターさんや現地のコーディネーターさんがしっかりと選んでくれているし、私が訪れた国は僻地やら秘境の地でもなく都会だったので、海外通の人からしてみればどこも快適な方だったとは思うが、それでも驚くべき珍ホテルにはたくさん出会った。

まずはフランスのちいさなホテルに泊まった時のことだ。小花柄の上品な壁紙に真っ赤なソファー。さすが、おフランス! と心躍る可愛らしい部屋に、長いフライトの疲れも吹き飛び、浮かれてシャワーを浴びた。

さぁ、明日からの撮影に備えて、しっかり髪を乾かしてゆっくり眠ろうとドライヤーを探したところ、それらしきものが見当たらない。しかし、どう考えても怪しげなホースが鏡の横から伸びている。

掃除機のホースのような……というより、ほとんど掃除機のホースそのままな物体のスイッチを恐る恐る入れてみると、ふわぁぁぁぁ~んという微風。いや、吐息。ため息。しかも絶望的にぬるい。

その頼りなさすぎる風を髪にあててはみるが、自然乾燥すべくその辺を走り回った方が早いんじゃないかというくらいに乾かない。しかも、自宅を出てからそのホテルに到着したのはちょうど24時間後。

なんだかどっと疲れて結局そのまま寝てしまった。翌朝、ボサボサの頭で他のスタッフさんたちにドライヤーについて尋ねてみると、普通だったという。私はこういう時には、必ずハズレを引く。こうやって話のネタになっている時点である意味アタリとも言えるのだが。

しかしハズレと言えば、イタリアのホテルでもこんなことがあった。ビジネスホテルのようなところに泊まる際、コーディネーターさんが気を利かせて私を広めの部屋になるように部屋割りをしてくれた。

入ってみるとシンプルな部屋だが、広くて清潔。ぐっすり眠れそうだ。大きな浴槽があったので、お湯をためてゆっくり入ろうと準備していると、何やら違和感があった。

部屋と同じようにシンプルな浴室が、いささかシンプル過ぎるのだ。絶対にあるはずのものがない。四方の壁や天井をじっくり眺めてみても、やっぱりない。ツルツルピカピカの美しい壁と天井が広がるばかりだ。

ないものの正体は、シャワー。豪勢なホテルだと、浴槽とは別にシャワールームがあったりするが、それもない。浴槽にお湯をためるための蛇口が伸びる様子もない。とりあえずお湯を張ってはみたものの、さてどうやって髪を洗おうかと悩んだ。

浮かんだ案は二つ。浴槽に直接頭をつけるか、蛇口からお湯を出してそれで洗うか。しかし浴槽に直接案だと、シャンプーを流したお湯でトリートメントを流すことになる。それではお風呂に入る意味がないではないかと後者を選んではみたものの、それがなかなか上手くいかない。

浴槽は私一人で入るには充分過ぎるくらいの大きさで、とても優雅なサイズ感だったが、いかんせん浅かった。しかも蛇口の位置が低くて、浴槽から近い。お湯をはったまま頭を洗うとなると、顔がお湯につかってしまうのだ。

しかし、そんなことは言っていられない。蛇口からお湯を出し、息を止め、ギュッと目を瞑り、幼稚園児の初めてのプールよろしく、えいっ! と思い切ってお湯に顔をつけてみたが、プールと違ってお湯は熱い。

熱い湯に顔をつけると、なかなかに苦しい。しかも、いざ蛇口から出るお湯を頭にあててみると、思ったより蛇口が短くて、頭のてっぺんを浴槽にグイグイ押し付けるような恰好になる。

顔にはお湯、後頭部にも蛇口からのお湯、頭のてっぺんは浴槽の壁。その閉塞感たるや、ライオンに囲まれ完全に逃げ道を失ったシマウマのようだ……こわい!

狭いところで溺れているような気分になって、すぐに顔を上げた。仕方なく浴槽のお湯を顔にあたらないところまで抜き、広々としたスカスカの浴槽でちいさく丸くなって髪を洗った。とても寒かった。当然体を洗うのも四苦八苦して(これは先に洗えばよかったのだが)冷え冷えの状態でお風呂からあがった。

また翌朝、他のスタッフさんたちに浴槽について尋ねてみると、私の部屋以外はシャワールームだけがついていたそうで、浴槽には入れなかったが何の不便もなかったとのことだった。しかもなぜか、一番狭い部屋に泊まったはずのADさんの部屋だけ、浴槽もシャワーも完備されていたそうだ。

同じくイタリアでは信じられない高さのシャワーに遭遇した。そこに浴槽はなく、天井のちょっと下あたりの高さからにょきっとシャワーヘッド部分だけが生えている。まさにイタリアンなサイズ。シャワーの向きを変えたくても手が届かない。そこから出るお湯はシャワーというよりはダラダラとだらしなく流れる細い滝ようで、まるで修行である。

しかし修行はそれだけではなかった。そこは一つの空間にトイレがあり、小ぶりな洗面台があり、壁からシャワーヘッドが生えていた。しかも、その全ての床に高低差がない。仕切りもない。

シャワーカーテンのような簡易的なものすらなく、まぁ多少その辺りが濡れるだろうなとは思っていたが、想像を絶するほどあたり一面びしょ濡れになっていた。特にトイレットペーパーの被害は壊滅的だ。がっかりしながら部屋に戻ると、何とトイレとシャワーの空間からメインの部屋の床が高低差なく続いていて、部屋の床もびしょ濡れだった。靴も入浴している。

そのホテルに宿泊したのは私一人。ついでに言うと、クイーンサイズくらいのベッドの足が小枝のような細さだった。靴やら何やらを乾かしていると薄い壁の向こうから早口でまくしたてるようなイタリア語が聞こえてきて、たった数日でホームシックに陥った。

海外では日本の当たり前が通じない。いや、これらのホテルでは一体どうやって髪を乾かし、髪を洗い、周りを濡らさずにシャワーを浴びているのか訊いてみたいものだが、そこにはそこのルールが存在する。郷に入れば郷に従わなくてはいけない。

当たり前が通じない不便さに、私は飢えているのだと思う

韓国の話に戻るが、深夜ホテルの部屋で飲みながら、同期の一人がこんなことを言った。

「年を重ねるにつれて、自分の視野がどんどん狭くなる。でも海外に行くと、それが解放される。今まで自分が当たり前だと思っていたことがそこでは当たり前ではなくて、その国のルールが存在する。海外で視野を広げて日本に帰ってきたとき、日本の良さやダメさに気が付くことが多々ある」。

その通りだと思った。ここ数年、知らず知らずのうちに視野が狭くなって、そのせいでいろんなことにちまちまと悩んでいた気がする。

そして「どっか行きたい」が口癖になっていた。言葉だけ聞くと何やら危なっかしい感じがするが、そっちではない。遠い目をしながら儚げにつぶやく、もうどこかへ行ってしまいたい……ではなく、シンプルにどこかへ出かけたい。旅がしたいと漠然と考えていた。

しかし、いざ休みの日になると、家から一歩も出たくなくなる。冷蔵庫が空っぽだったとしても近所のスーパーに行くのすら億劫なので、昼間にうどんと大量のかやくごはんの出前を頼んで、それで夜まで凌いだりした。「どっか行きたい」は、ただ口からこぼれているだけで、こぼすことでほとんど満足していた。

「どっか行きたい」のどっかはどこだっていい。欲を言えばのんびりヨーロッパ周遊なんてしたいけれど、貧乏暇なしという現実がそうはさせてくれない。日本の中にもいいところはたくさんあるし、何にもないところへ行って、ただぼーっとするのにも憧れる。

しかしやはり、自らが持つ「当たり前」を叩き壊してしまうような旅がしたい。暖房のつけ方がわからず、凍えそうになりながらダウンを着たまま眠った夜や、高すぎる枕や、かけ布団なのかシーツなのかわからないベッドが恋しく感じる。現地ではブツブツ文句を言うくせに。きっと私は海外での不便さに飢えているのだ。

私たちが旅に出る理由を与えてくれる別世界の魅力

著者
ほしよりこ
出版日
2012-04-26

猫村さんの漫画、ほしさんらしいイラスト、魅力的な写真、そして優しく楽しい言葉が詰まった旅の手帖。

中国から京都、北海道に東京に岡山に……寝台列車まで! いろんな旅先が登場するのですが、ほしさんの手にかかると今まで全く興味のなかった場所へも今すぐ旅しに行きたくなります。

著者
村上 春樹
出版日

とても個人的なことですが、アメリカへ行く飛行機の中で読みました。随分前に買ったのになぜか読めない、文章が頭に入らない。集中力のない私はそんな本が何冊もあって、この本も同じ理由で本棚に眠っていました。

でも、短編だし、文庫だから軽いし……と何となく連れて行ったところ、飛行機のあの騒音が気にならなくなるくらいに集中できました。行きの飛行機で読破してしまい、帰りに読むものがなくなって困ったくらいです。

村上春樹さんの作品に共通することだと思いますが、「読む」というよりは一旦別の世界へ行っているような気がしました。憂鬱な時間に旅をさせてくれる一冊です。

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