あのひとにもこのひとにも、若いころがありました。若さ特有の、なんだ、はちゃめちゃ感、疾走感。もがいて、壁にぶち当たって、でもオイラには夢があるのさ。おいちゃんとなった今も冒険を続ける、彼らといっしょにわくわくしたい。
お寒うございます。こちらただいま、舞台公演のツアーで兵庫県は豊岡市というとこに2週間あまり滞在しております。
日本海に面していて、日本で最後の野生コウノトリの生息地で、城崎温泉があって、スキー場があって、オオサンショウウオがたくさんいて、今まさにカニシーズン真っ盛りの、とてもすてきなところですが。
なんせ寒い。
登山用のあったか下着に、フリース重ねて、ダウンはさんで、さらにゴアテックスのハードシェルとか。内側にぼわぼわのついたムートンブーツとか。
念のため、チョコやらスポーツ羊羹やらカバンにぎゅうぎゅう詰めて、カイロお腹と背中に貼って、おいなんだ、わたしはいったいどこで何をやるというのか。
そしてここは、冒険家・植村直己の出身地。とくれば、これも何かのご縁、大好きな本をご紹介せねば。情熱あふれる、かつての若者たちの冒険譚。
- 著者
- 植村 直己
- 出版日
- 2008-07-10
稀代の冒険家である植村直己の、山登りを始めたきっかけから、世界で初めて世界五大陸の最高峰登頂をなしとげるまでの、若い頃を振り返った記録。
冒険への暑苦しいまでの情熱があふれ出てます。
実家の農家の手伝いを避け、大学進学して初めて山岳部に入部。というか見学に行ったらそのままなし崩し的に入部させられ、30~40キロのザック背負って山登らされて、しごかれて、あまりのつらさに退部しようかとも考えるが、しかし恩人の、
「合宿の厳しさで途中退部するなんて、人間のクズだ」
との言葉に退部もできない。そこで、部を続けるため自らトレーニングはじめて、体力つけて、そのうち年に120~130日も山に入るようになる、とか。
センパイもセンパイだが、恩人のまさかの鬼っぷりったら、どんだけ~~。
本の語り口からは、反骨精神とか負けず嫌い、とかでもないように思えるのですが、いったいなんだろ、このひとのド根性は。
やがてヨーロッパ・アルプスに登りたいと願い、資金を稼ぐために1964年ほぼ無一文で渡米。カリフォルニアの畑でメキシコ人といっしょにブドウもいで稼いで、でも就労ビザないから捕まって、日本へ強制送還されるはずのところが、山への情熱やこれまでの経緯をありったけ話して、そしたら担当の移民局官吏が
「すぐヨーロッパに行き、あなたの目的である山登りをやりなさい」
つって笑顔で握手。泣いてまうやろ!
そんでヨーロッパ渡って、スキー場で資金稼ぎしたりしながら、ヒマラヤ遠征隊に呼ばれたり、モン・ブランとマッター・ホルンに単独で登ったり、アフリカ行ってキリマンジャロ登ったり、南米行ってアコンカグア登ったり、アマゾン川を2か月かけていかだで下ったり、北米のマッキンリー登ったり。次から次へと、よくもまあ。
どれも、不可能だ! できるわけない!と言われつつ、情熱ほとばしらせて、ひとつひとつ踏破していきます。
パンときゅうりだけ食べてお金貯めよう、とか、ジャガイモとパンだけ食べてお金貯めよう、とか、コーヒーもアルコールも禁止でお金貯めよう、とか。そしてそれを全部冒険の資金に。馬力がすごい。そんで極端! 冒険、への希求というか、次へ、そしてまた次へ、と、どんどん突き動かされていく、若さ故のいきおい。
そして、出会った人々がどんどん協力したくなるひと。こういう、人間の愛嬌、魅力とかって、ほんと、なんなんでしょうか。
- 著者
- 小澤 征爾
- 出版日
外国の音楽をやるためには、その音楽の生まれた土地、そこに住んでいる人間、をじかに知りたい。
24歳の小澤征爾は、ヨーロッパへ音楽武者修行に出ようと決意する。
安く乗せてくれた貨物船で神戸港から2か月かけてマルセイユへ。そこから125ccスクーターに日の丸をデカデカとかかげ、ギター背負って、パタパタとパリへ向かう。
バーンスタインに認められてニューヨーク・フィルの副指揮者になるまでの、3年ほどの海外武者修行をつづった自伝的エッセイ。
痛快。なんなんだこのひとも。このあふれんばかりの愛嬌は。これまた暑苦しいハツラツ感は。
この先どうやって勉強しようかとか、どのくらいヨーロッパにいられるかといった計画は皆無で、どの先生に指揮を習うかも考えてない。でもその地で音楽を聴いて、音楽をしている自分を非常に幸福に感じて、やりがいを感じて、とにかく音楽そのものが純粋に楽しい。
モーツァルトはぼくがはっとするほどすばらしかった。そのナイーブで若々しい音の美しさがひたひたとぼくの心にとけ込んで、まるで今までのぼく自身がどこかに消えてなくなるようだった。その瞬間、劇場の中には、ぼくもモーツァルトもミュンシュも何もなく、ただ美しさだけが充満していた。
ブザンソンでの国際指揮者コンクールで優勝したり。シャルル・ミュンシュやカラヤンのレッスンを受けるためのコンテストにパスして弟子になったり。ビゴーに気に入られてレッスン受けたり。
1959年。まだ日本人が渡航すること自体が、一大冒険だったころですよ。渡欧して半年で指揮者コンクールで優勝していくくだりとか、たまらんです。
そんで、周りの人々からの愛されっぷりが、もう。友人は言うに及ばす、そのとき時々に知り合った人や、お客さんや、コンクールで演奏したオーケストラの人たちまで、どんどん味方になっちゃう。応援しちゃう。我がことのように、セイジの成功を喜ぶ。
若さ! 音楽一直線! でもぜんぜん堅さがない。全で、いろんなことを楽しんでる。
適当なこといってフランスの自動車免許とったり、チロルの山でスキーに本気で打ち込んだり、ちょいちょいかわいい女の子の話も出てくるし、このひと、人間としての魅力がものっすごいんだろうなあ。
読んでて、この青年、かわいくてしかたないです。
- 著者
- 平田 オリザ
- 出版日
- 2010-09-15
「十六歳のオリザの未だかつてためしのない勇気が到達した最後の点と、到達しえた極限とを明らかにして、上々の首尾にいたった世界一周自転車旅行の冒険をしるす本」より改題。長いよ!
劇作家・平田オリザが16歳のとき、自転車で世界一周旅行を実行したときの旅行記。
生まれて初めて飛行機に乗って北米へ、そこから大陸を横断して、ヨーロッパ、北アフリカ、アジア経由で北半球を一周する。移動手段は基本的に自転車、テント持参でキャンプ生活、ばりばりのバックパッカーですよ。
旅のノートと、日本にいる友人たち、主に一緒にバンドを組んでいた「ザミタメ」(『THE・MITAME』。ゴミ溜め、の発音で。)メンバー、そして両親、ときどき祖母と姉、との手紙のやりとりとともに、旅の様子が綴られる。
高校を2年間休学、1年半かけて世界一周をする。16歳で一人旅。イギリスでアジア人蔑視でテントに石投げられたり、パリでパスポートなくしたり、お父さんがミラノまで連れ戻しに来たり。短編小説書いたり、女の子と間違えられてやたらチカンにあったり。
「死にゃーしない」
「やるっきゃない!」
じつはこれ、うちの親分の本っす、恐縮っす。
わたしがもう今年で13年とか、たぶんそれくらい在籍している劇団「青年団」の主宰、平田オリザの本。これ、本名ですから。ラテン語で「米」。食いっぱぐれのないように、とお父さんがつけた名前だそうな。こめ……。
劇団入る前、どんな人かも全然知らずに平田オリザ演出の舞台に出た際、稽古期間と全国6カ所のツアーとでざっと4カ月くらい近くにいたのですが、そのときに、なんだかやたら魅力あふるるひとだなあと思って、面白くて仕方なくて、そんでこっそり買って隠れて読んだ本。
昼間は稽古で演出家・平田オリザを見て、夜部屋戻ってからはちっさいオリ君の冒険を本で一緒になって楽しんで、とても不思議な読書経験だったな~。
そうそう、両親に送る手紙の文末にはいつも
○月○日 オリザより
親へ
とか書いてるんですけど、会話部分では「パパ」「ママ」て呼んでたりとか。お母さんからの手紙の中で「オリ君」て呼ばれてたりとか。おいなんだよ、もう。かわいいやつだぜ!
自意識が強くて理屈っぽくて、でもその若さが面倒くさくもありかわいくもあり、あのオリ君が、あらまあなんとこんなに大きくなって……と、すっかり親戚のおばちゃん気分ですよ。
でもなにがすごいって、本人の冒険と勇気もあれですけど、送り出した両親の勇気が、ほんとすごい。
身長155センチ体重48キロの、童顔色白の息子が、初海外を、1年半も、ひとりでバックパッキング。
心配なんてもんじゃないでしょ。しかも息子、心配してもぜんぶ理詰めでこっちを説得してきやがるからなあ。周到な準備と計画で、どんどん実行してくからなあ。手に負えねーよ。
そんなオリ君も、ついこないだ男子のお子が生まれましてね、55歳にして人の親になりました。はああ、感慨深いわあ~~。どんな男の子になるんやろか。どんなお父さんになるんやろか。
世間的にはわりと落ち着いて見られる文化人枠な人ですが、芸術、行政、そして世界を股にかけ、今なお冒険中。自意識半端ない、十代半ば若さムンムンの愛すべき「オリ君」の冒険を、ぜひ楽しんでいただきたい。
カニ、おいしゅうございました。
やまゆうのなまぬる子育て
劇団・青年団所属の俳優山本裕子さんがお気に入りの本をご紹介。