1637年、九州地方の長崎県・熊本県の一部で、天草四郎率いる住民たちの大規模な一揆が起きました。なぜ住民たちは一揆を起こしたのでしょうか。この記事では、島原の起きた背景や原因を解説し、あわせて関連書籍もご紹介します。
島原の乱とは、現在の長崎県島原半島、熊本県天草諸島を中心に起こった住民一揆の総称で、島原・天草一揆とも呼ばれています。一揆住民の多くがキリスト教に入信しており、仕事を失った浪人なども参加していました。
一揆勢はまず代官所を襲撃し、各地の城を転戦してから、旧領主・有馬氏の本拠地で、廃城になっていた原城に立てこもりました。最終的に3万人以上が籠城したと言われています。
この一揆は幕府側に衝撃を与えました。板倉重昌を総大将とし、地元周辺の大名から兵を集めた鎮圧軍が差し向けられたのですが、長期的な激戦となり、住民側・大名側双方に多数の死傷者を出すことになります。
一揆が数ヶ月たっても治まらないことに苛立った幕府は、老中・松平信綱を中心として追加の軍の派遣を決定します。これによってメンツを潰された板倉重昌は、焦って原城に総攻撃を仕掛けて失敗し、討ち死にしました。
しかし、長期戦による疲れと飢えに耐えていた一揆軍は、徐々に士気が下がり、多くの投降者を出したあと、幕府側の再度の総攻撃を受けて壊滅します。原城は落城し、リーダーの天草四郎が討ち取られ、一揆軍はほぼ皆殺しとなりました。
これにより島原・天草地方のキリシタンはほぼいなくなりました。わずかな隠れキリシタンだけが生き残り、子孫まで信仰を続けて明治時代を迎えます。
勃発から鎮圧までに約半年をかけた日本史上最大の反乱は、各方面に影響を与えることになります。幕府の判断で、地元領主の松倉氏は死刑となり、寺沢氏は改易処分(領地没収)となりました。
この反乱は、幕府の外交政策にも大きな影響をおよぼします。乱の約1年半後、幕府はポルトガル人を日本から追放し、本格的な鎖国体制を始めることになります。
戦国時代から、九州地方にはたびたび白人のキリスト教宣教師が来航し、布教活動をしていました。有馬氏、大村氏などの各地の大名がキリスト教を公認したことで、住民の間にも瞬く間に広がり、信者が急増していきます。
しかし、白人による日本侵略を警戒した豊臣・徳川各政権によって、徐々にキリスト教は規制され、江戸時代になってから、完全に禁止されることになります。
しかし、九州地方の住民の間ではキリスト教への信仰が根強く、地元の大名はキリシタンへの徹底的な取り調べ、処罰を繰り返しました。
また、乱の中心地域である島原・天草地方の領主であった松倉勝家や寺沢堅高は、住民に対して、過酷な年貢や税の取り立ても行っています。税目や税率を増やし、それらを納められない住民を火あぶりや水責めなどの拷問にかけました。
このような経緯から、住民たちの領主への恨みが増幅していったのです。
天草四郎は、本名を益田四郎時貞といい、島原の乱のリーダーとされた少年です。天草地方を治めていたキリシタン大名で、関ヶ原の戦いに敗れて処刑された小西行長の家臣の子として生まれ、自身もキリスト教の信者でした。
生涯については不明の点が多いですが、幼い時から海面を歩いたなど、奇跡とも呼べる超常現象をたびたび起こしたとされ、神童、救世主と呼ばれて地元のキリシタンの崇敬を受けていました。
乱が起こった当時は16歳で、実際に計画していたのは地元の有力者や浪人たちでしたが、シンボル的存在として一揆軍を指揮し、最後は討ち死にを遂げます。
リーダーの天草四郎が討ち取られたことで一揆軍の士気は大きく下がり、最終的に壊滅状態となりました。
この本では、戦乱に参加したり、巻き込まれたりした人々の生々しい行動を描き、熱心なキリシタンによる殉教戦争というイメージを一新しています。そして、乱世の民衆にとって、宗教や信仰とは何であったのかを明らかにしていきます。
- 著者
- 神田 千里
- 出版日
徳川幕府に強い衝撃を与えた島原の乱。その原因は、一般的にはキリシタンへの信仰への迫害や重税、食糧難が原因とされていますが、それだけではありません。
実際は、信者たちが他宗派の住民を力づくで改宗させた例もあり、複雑な背景が交錯しています。純粋だというイメージを持たれやすいキリシタンたちが寺社を襲撃したことなど、その意外な姿を公平に記述しています。
島原の乱までの経緯と、戦いがどのように進展したのかが、冷静かつ客観的な筆致に書かれています。
著者は大学教授で、数々のキリシタン関連の書籍を執筆しています。
- 著者
- 五野井 隆史
- 出版日
- 2014-08-18
島原半島や天草諸島近辺でのキリスト教布教の実態や、原城跡での発掘結果から、一揆の背景と経過をたどります。読み進めると自然と浮かんでくる様々な疑問にも触れられ、当時の状況を深く理解することができるでしょう。
戦国時代に領主だった有馬氏が洗礼を受けた影響で、島原・天草地域にキリシタン信仰が一気に広まったこと。キリシタンへの規制が強化されても、信者が修道僧を匿っていたこと。新しい領主となった松倉氏によって、年貢や税の過酷な取り立て、信者への猛烈な処罰が始まったこと。一揆の首謀者は、帰農した元侍が多かったことなどが詳しく描かれています。
こちらも研究者によって執筆された1冊です。近世社会に大きな影響を与えた、日本史上最大規模の一揆を、歴史学の視点から考察しています。
- 著者
- 大橋 幸泰
- 出版日
- 2008-06-01
原城の具体的な発掘成果や、たくさんの貴重な文献を用いて、客観的に戦いを検証しています。一揆の背景が経済的なものか、または宗教的なものか、あるいはそれ以外なのか。多角的な視点から乱の意義を考えています。
今まで一揆軍の考え方をさぐる資料は、法度書や投降者の供述書などわずかしか有りませんでしたが、この本では新しい資料として、一揆軍の矢文を紹介していることが大きな特徴です。
島原・天草の乱の本質は、領主の苛政に対する農民一揆だとする見方が有力でした。しかしこの本の著者は、宗教戦争的な要素をはらむキリシタン戦争の側面を主張し、両方の視点から分かりやすく説明しています。
- 著者
- 煎本 増夫
- 出版日
- 2010-01-14
この本では、多くの史料を、江戸時代の古文形式で引用しつつ、幕府初期の政治制度という観点も踏まえて時系列にそって丹念に解説しています。
教科書ではほんの少ししか触れない島原の乱。しかしよく調べてみると、様々な背景が有ることが分かります。
1つの事件を、多角的な視点から考えることで、より歴史への理解が深まることでしょう。