5分でわかる日清戦争!きっかけ、勝因、結果をわかりやすく解説!

更新:2021.11.30

東アジアのなかで非常に複雑な過程を歩んできた日本、中国、朝鮮の三国。1894年から1895年にかけて、それぞれが思惑をもって臨んだのが「日清戦争」です。この記事では、世界をも揺るがした日本の勝利と、清・朝鮮の滅亡を導いた戦いについて、原因・経緯・結果などをわかりやすく解説し、おすすめの関連本もあわせてご紹介していきます。

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日清戦争が起きたきっかけは?原因を簡単に説明

1868年に明治政府が誕生して以来、日本は近代化への道をひたすら突き進んでいました。当時の東アジアは、清(中国)がアヘン戦争や北京条約で欧米列強に次々と土地を割譲され、それまで長い間中国を中心として築かれていた国際体制が崩壊し、ベトナムやモンゴルといった中国周辺諸国が次々と清から独立していきました。

その中でただ一国、朝鮮(李氏朝鮮)だけは依然として中国を宗主国として服属する姿勢を維持していました。その挑戦でもすでに開国派と鎖国派の争いが起きており、通商を求めたフランス・アメリカ船を撃退したという事実から朝鮮国内では鎖国体制を維持するという意見がより主流でした。

日本は列強が注目する清に接近、1871年(明治4年)には清との間に日清修好条規を締結します。これは日本が外国と果たした最初の対等条約であり、日本は続いて朝鮮とも国交を結びたかったのですが、朝鮮は日本の態度が気に食わずこれを拒否します。

幕末以来列強の侵略の恐ろしさを熟知していた日本は、富国強兵のスローガンのもとで国内の発展に力を注ぐ一方で領土の拡大を画策、結果として琉球王国(沖縄)を日本の国土に編入することに成功(琉球処分)。現在の日本国の領土の基礎はこの時に出来上がったのです。
 

琉球もまた元は中国の属国扱いでしたが、日本に帰属したことによって清は朝鮮以外の全ての属国を失いました。こうして日本は朝鮮を清から切り離して独立させることを画策、清は属国としての体制を維持させることを主張。ここに日本と清が朝鮮をめぐる対立構造が出来上がってくるのです。

日本は1875年(明治8年)に開国を渋る朝鮮に対し、江華島にて威嚇砲撃を行い、開国を迫ります。これにより実際に死者が出たことから、朝鮮は日本への態度を軟化せざるを得ず、翌年には日本との間に日朝修好条規を締結し、「朝鮮は独立国であり、清に服属する必要はない」という項目を認めさせました。

朝鮮国内では清派(保守派)と日本派(開国派)に分かれて内部抗争が続き、1884年(明治17年)には日本派の金玉均(キムオッキュン)が日本の支持を受けてクーデターを起こします。しかしこれは清が朝鮮王朝を支援したためすぐに鎮圧。日本と清はこの時に天津条約を締結、「朝鮮に介入する際にはお互い了承を得た上で行動しよう」という約束が出来上がりました。

日本は明治政府が成立した頃から朝鮮に対し、影響をおよぼしたいと考えていました。それは日本だけでなく、北の大国・ロシアがアジア進出を狙っていたからで、放っておいたらロシアが朝鮮を侵略し最終的に日本が攻められる恐れがあったのです。

そこで日本は朝鮮を清の属国である今の状態から独立国として主権を主張させ、清から切り離す必要があったのです。日本としては本来清・朝鮮を力攻めする気はなかったのですが、両国が頑迷に協力を拒否していたことから、欧米に対抗するという体制の進展が遅れていました。

さらに清は日本を仮想敵国としてフランスから艦隊を購入、北洋艦隊と名づけて日本の長崎に威嚇砲撃、そして侵略行為を続けました。そんな緊迫した状況の中、遂に決定的な事件が起こったのです。

日清戦争の経緯と結果。勝因は?

1894年(明治27年)、朝鮮で王朝政治に不満を持っていた農民達による甲午農民戦争が勃発します。長く混乱が続いていた朝鮮ですが、とうとう国民の不満が爆発し、鎖国を頑迷に守ってきた朝鮮は清と日本の介入を許すことになるのです。

では緊張状態にあった清と日本はどのような経緯で日清戦争に至ったのでしょうか?

甲午農民戦争の反乱を受けて、朝鮮王朝を実際に支配していた皇后閔氏(びんし)は清に応援を要請します。こうして清から袁世凱によって兵が派遣されます。

この行為は天津条約違反だったので日本は清・朝鮮双方を批判、しかし頑迷に旧来の秩序体制を維持しようとする両国は日本の言うことをまったく相手にしません。日本軍は遂に漢城(ソウル)に至り皇后に今一度開国を迫ります。皇后もこれには同意せざるを得ず、日本軍は朝鮮半島に駐留することとなり清軍を迎え撃つこととなりました。

かねてから北洋艦隊の強さをこれでもかと日本に見せびらかしていた清ですが、実際に戦うと清軍は北洋艦隊の指揮官が敵前逃亡するような有様でした。というのも、当時清朝を支配していた西太后は政権維持のために浪費を繰り返しており、軍は維持費に事欠き装備は衰え訓練が怠られている状態でした。

豊島沖海戦では指揮官が敵前逃亡した上で清軍の補給線をストップ、日本軍は続く陸戦でも清軍指揮官の敵前逃亡によって勝利を収めます。しかし平壌に到着したところで日本軍の装備は限界を迎え、一時戦線は停滞せざるを得ませんでした。平壌は清軍にとっては命綱の要塞であり、ガトリング砲などの万全の装備を整えていました。日本とて決して何もかも順調ではありません。

ところが、装備万端で余裕綽々のはずの平壌城から突如白旗が上がります。何と平壌城を指揮していた葉志超が自分の命欲しさに降伏してしまうのです。清朝側もこれは想定外でした。日本軍は引き続き平壌救援のために派遣されてきた艦隊を黄海で撃破、この時も清側の指揮官は我先に撤退してしまい、北洋艦隊の足並みは終始乱れっぱなしでした。

特に、メンテナンス不足だった北洋艦隊は自分が撃った砲弾によって自分の船が壊れるという有様でした。清はこれによって欧米列強に加えさらに日本からの圧力にも怯えることになります。

日清戦争後の動き。そして日露戦争へ。

1894年10月、開戦からおよそ半年後にイタリアとイギリスの仲介によって清朝も遂に日本に講和交渉を持ちかけ、日本に対し負けを認めたのです。遼東半島では未だに戦争が続いていましたが、清の李鴻章が来日、これに対し日本は陸奥宗光を派遣し、下関で交渉が始まります。

実は開戦当時から清朝は最小限の被害で抑えるために講和の使者を派遣していましたが、日本はこれをことごとく拒否していました。使者程度では相手にしていなかった日本も清の全権大使である李鴻章が自ら来たことでいよいよ講和に応じました。日本は清に対し強気に出るチャンスを伺っていたのです。

講和条約の内容は1.朝鮮独立の承認、2.遼東半島、台湾、澎湖諸島の割譲、3.清が日本に賠償金2億テールを支払う、4.日清通商航海条約の締結でした。

朝鮮半島の独立および遼東半島、台湾、澎湖諸島を獲得したことで、日本は世界に近代国家として認められ始めるのです。日清通商航海条約はかつて江戸幕府がアメリカと結んでいた不平等条約と同じような内容で、日本は中国に対し優位な立場で行動できるようになります。

甲午農民戦争の勃発の1894年4月から李鴻章来日が1895年3月の1年間で、日本と清の国際的立ち位置は逆転してしまいました。

賠償金の2億テールは、現在でいうと3億円以上。しかしこれらの資金はほとんど軍事費に充てられ、日本はさらに領土拡大へと突き進んでいくのです。

朝鮮にまで日本の勢力がおよんだことで、フランス・ドイツ・ロシアは日本に対し遼東半島を清に返還するように勧告を突きつけます(三国干渉)。日本としては獲得した遼東でイギリスの支援を受けて経済を発展させる予定でしたが、これを三国は面白く思わず、アメリカ・イギリス・イタリアの協力を取り付けたため、日本もやむなくこれに同意せざるを得ませんでした。

こうして明治政府はこの時の悔しさを忘れないために臥薪嘗胆をスローガンとし、ロシアを仮想敵国とし軍事拡大を進めていき、10年後には日露戦争が勃発するのです。

近代日本の暗闇にも目を背けない、シリーズ日本近現代史の中の一角

日清・日露戦争は日本にとってはアジアに進出する大きなチャンス、そして敗戦国である中国・ロシアは帝国時代に終わりを告げるという意味で大きな転機となりました。しかし勝者であるはずの日本も決して順風満帆ではなく、内部には政治の陰謀や近代化への矛盾が生まれていたのです。

本書は、そうした近代化の流れを僅か258ページという短さでありながら一気に振り返ることができる一冊です。

著者
原田 敬一
出版日
2007-02-20

初心者が専門領域に入るために必ず通るであろう岩波文庫の新書シリーズですが、そもそも明治維新から第二次世界大戦の敗戦までというのは日本の歴史のなかでも非常に複雑で専門的に取り上げる事が困難な時代です。本書もタイトルの割には日清・日露戦争そのものを集中的に理解するには専門用語や登場人物が多すぎて専門書としては少しハードルが高いように感じます。

反面、扱っている範囲は割と広く本書をスタートにさらに専門分野を掘り下げていくには非常に有効です。概説書としては良質で著者が極力主観を取り除いて筆を進めていくことから、日清・日露戦争に至るまでの全体像を把握する上では最良の一冊でしょう。

外交官・陸奥宗光の心理を吐露した、外交実録

日本が近代化に向けて躍進していくなかで、日本を実際に運営していた政治家達は各国の思惑が錯綜する切羽詰まった局面に何度も相対していきました。

本書は下関条約の際に外交官として直接交渉の場に立った陸奥宗光がその心中を吐露した実録で、韓国併合や下関条約といった近代日本の躍進の裏に隠された大日本帝国の独走と矛盾を陸奥独自の観点も交えて論じています。

著者
陸奥 宗光
出版日
1983-07-18

外務省の機密文書を使用していることから、陸奥の死後昭和4年まで非公開とされ続けた一級史料の注釈版です。本書は完全に陸奥個人がゼロから執筆したわけではなく、すでに完成された史料に手を加えたもので陸奥によって改変されている部分も見られまが、当時の外交状況を知るには欠かせない一冊です。

若い頃に坂本龍馬の海援隊に加わり、海外留学を経験するなど広い見識を持っていた陸奥が、世界を手にしようとする欧米列強と前近代的な王朝政治を続ける中国・朝鮮をいかに見ていたかが非常によくわかります。

「蹇蹇」とは『易経』から取った言葉で、国家に忠誠を尽くすという意味ですが、本書を落掌させて間もなく陸奥は亡くなります。彼が近代化する日本にいかに命を捧げたかがこの一冊で見通すことができるでしょう。

文豪が立体的に描く、日清戦争までの中国と朝鮮

日本史の中での日清戦争は重要な事件であるにも関わらず、東郷ターンなどの「伝説」によって脚色された英雄譚である日露戦争とは違い、外交交渉や国内の政治状況に振り回されてやや影が薄いように感じます。
 

アジアに残った大帝国・清とそれに最後まで付き従っていた朝鮮、この二国が日清戦争までに歩んでいった王朝の最後の灯火が本作のメインテーマです。「近代」という大きな壁を乗り越えていった日本との対比も目が離せません。

著者
陳 舜臣
出版日
1984-08-10

本書では、日清戦争は長く過ぎた過程によって生みだされた結末に過ぎません。しかし、前近代と近代の狭間にいて前進できずにいた両国と近代化をひた進んでいった日本の対比は非常に濃厚で、近年中国史学会でも非常にホットな話題である「中国と日本の近代化の差は何だったのか」というテーマの淵源を考えるにはもってこいの一冊です。

小説でありながら歴史を俯瞰した陳舜臣のダイナミックさと読みの深さは本作でも健在で、我々一般人が学ぶ日本史はいかに薄いものであるかを思い知らされます。

大賞を受賞、書評でも大絶賛の最新版近代中国研究

アヘン戦争をきっかけに、中国は2000年以上に渡って守ってきた宗主国の立場を切り崩されていきます。それは中国の王朝支配が遂に終わりを告げる瞬間だったのです。

アジア・太平洋賞特別賞、樫山純三賞を受賞した2017年度最高の近代中国史研究、王朝政治から近代国家に向かう中で変動を続ける中国の対外観念と、現代に直接繋がる国の領土問題の淵源について知ることが出来る珠玉の専門書です。

著者
岡本 隆司
出版日
2017-01-06

広大な領土を有した中国から国が次々と離脱していく50年にもおよぶ長い崩壊の中で、台湾・琉球に続き朝貢ー宗主国という牙城の最後の砦であった朝鮮を切り取られた日清戦争=日本の攻撃はまさに「トドメの一撃」でした。

日露戦争はその規模の大きさから通称第0次世界大戦と言われますが、中国という非常に長い歴史と権威の象徴である国が崩壊する日清戦争は、アジアの歴史の中ではそれに匹敵する大きな事件でした。

本書は中国史という枠組みから日清戦争ほか現代に繋がる近代中国の姿を洗い出した一冊です。

清朝と朝鮮、宗主国と冊封国のメカニズムと概念

中国が長い間取り続けてきた宗主国ー朝貢国という華夷思想は、20世紀に至るまで存続し続けてきました。なかでも朝鮮は最後までその立場に居続けた東アジアのなかでも非常に稀有な国です。

本書は、これまで当たり前・常識としてそれほど振り返られなかった清朝滅亡までの清・朝鮮の二国の宗主国ー朝貢国という関係についてさらに1歩深入りし、当時の東アジアの長い歴史と伝統の中に潜んでいた矛盾を浮き彫りにします。

著者
岡本 隆司
出版日
2004-10-20

著者の岡本隆司は、近代中国史の研究において近年非常に知られている人物で本書と上掲の2冊は国際秩序という大きなテーマに挑んだ珠玉の専門書です。難解であるため簡単には読みこなせませんが、世界史という立ち位置で中国・朝鮮・日本という三国の関係は、欧米も注意を怠らなかった非常に重要な問題であることを認識させられます。

日清戦争の鍵となった朝鮮について、三国それぞれがまったく異なる見解を持ちいつ戦争が勃発してもおかしくない状態だったことは、案外それほど注目されていない事実でしょう。

著者はロシア語や英語といった海外の文献にもあたり、膨大な史料の中から大きな歴史のうねりを解き明かしていきます。日清戦争の世界史における位置づけはこの一冊で全て見通せるといっても過言ではありません。

いかがでしたでしょうか?欧米がアジアに進出する中で、日本・中国・朝鮮はそれぞれが国の維持を求めて競り合いを続けていました。日本の拡大政策と清の封建維持が衝突し、結果として日本はさらに軍事政策を押し進め中国、朝鮮は王朝政治の終わりへと進んでいくのです。

こうして見ると、アジアのなかでも中国式の国際秩序から早くに脱出した非常に特殊な国であることが見えてきますね。欧米が日本を認めていくようになる日清戦争前後の国際情勢は、現在も研究が非常に豊富で厚い分野です。現代の国際問題を理解するにはこの時代を理解する必要があるのです。

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