5分で分かる大日本帝国憲法!特徴や日本国憲法との違いも説明

更新:2021.11.12

明治維新後に明治政府が出した、大日本帝国憲法と言えば、悪い印象が先行してしまう方が多いでしょう。しかし、その内容はあまり知られていません。なぜ、明治政府はこの憲法を作ったのでしょうか。大日本帝国憲法の特徴や背景を、わかりやすく説明します。

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大日本帝国憲法とは?

日本の各地で打ちこわしが多発し、松平定信が寛政の改革に着手し出した18世紀の終わりごろ、世界ではアメリカやヨーロッパ諸国が次々に憲法を制定していきました。そして憲法の制定が「近代国家の証」となっていった19世紀頃、日本では1886年の王政復古の大号令によって天皇を頂点とした明治政府が誕生します。

新しい国作りを目指す明治政府にとっての最大の悩みは、江戸時代に欧米諸国と結んだ不平等条約でした。
 

このままでは日本が欧米の植民地にされる危険性があったからです。不平等条約を解消するために、一刻も早く「日本は一人前の法治国家である」と世界に認めてもらう必要がありました。

1889年に公布された大日本帝国憲法は、東アジア初の近代的憲法であり、1947年の日本国憲法施行まで約56年間一度も改正されませんでした。

大日本帝国憲法の特徴は、主に2つです。

1つは、この憲法の基本的な考え方が事実上「立憲君主制」だったことが挙げられます。権力者のトップは君主(天皇)であり、軍隊の統帥権や統治権、立法権などの天皇大権が与えられていたのです。

また、もう1つの特徴は「議会制」を定めた点です。当時の国会である帝国議会は衆議院と貴族院の二院制を定め、これまでの封建社会での政治から大きく前進しました。

大日本帝国憲法の制定は、旧武士層の階級の変化や人民の権利に対する配慮など、徳川時代の幕藩体制をストップさせて天皇中心の中央主権国家を作る基礎となります。同時に、「日本は独立した文明国である」と世界へのアピールするという狙いがありました。

大日本帝国憲法から目指した日本のかたち

世界へアピールできる憲法を作るためにも、まずは世界の憲法を知る必要がありました。そのため、伊藤博文は憲法の調査のため欧州に渡りました。そして、ベルリン大学の憲法学者グナイストたちからさまざまな学問を学び、プロイセン王国(現在のドイツ&ポーランド西部)の憲法を参考にして作り始めます。

なぜ、大日本帝国憲法を作るときに、日本はドイツの憲法を参考にしたのでしょうか。

明治維新後、日本は今までの幕藩体制を否定して、天皇中心とした君主制に基づいた政治を行うほうがより近代国家へ近づくと考えていました。

そんな当時の日本が模範した国は、君主制である国のなかでも、イギリスではなく、プロイセンでした。

その当時のイギリスは、国王にもはや実権はなく、また、成文憲法もなく、慣習法をもとにした政治体制で複雑でした。

一方で、小さな国ながら欧米諸国と肩を並べるほど成長していたプロイセンは、君主制をもとに立派な帝国憲法典を持ち、明解な憲法理論もありました。プロイセン国王を頂点とするプロイセンの政体は、まさに日本が理想とする政治制度に近かったのです。

そして、作られたのが立憲主義の精神に基づいた大日本帝国憲法です。

立憲主義とは、法に従って権力は実行されるべきだという考え方を言い、その精神に基づく憲法では、人権保障と権力の分立(三権分立)の2点を必ず規定しなくてはなりません。これは、君主や政府などの権力に対して歯止めをかけるためです。

立憲主義を謳う大日本帝国憲法にも、「臣民権利義務」と「帝国議会と行政府と司法」の2点がちゃんと規定されています。その一方で、第4条には「天皇は、統治権の総攬者」であるとも定められています。

そもそも日本が目指した国のかたちは、君主制に基づいた近代国家です。

したがって、実際は天皇が立法、行政、司法のすべての権限を持っており、三権分立は日本国憲法の規定と比べるとカタチだけであったということがうかがえます。
 

そのため、大日本帝国憲法は外見的立憲主義の憲法と言われています。

大日本帝国憲法と日本国憲法との4つの違い

 

近代日本で初めての憲法である大日本帝国憲法は、当時のプロイセン(ドイツ)の憲法をベースに自発的に制定され、1889年の2月11日に公布されました。一方で日本国憲法は第二次世界大戦にて敗戦し、その結果GHQの指導に基づいて制定されました。

この2つの憲法には大きく4つの違いがあります。

① 憲法の種類

大日本帝国憲法は天皇によって制定された「欽定憲法」であるのに対し、日本国憲法は国民が主体となって制定した「民定憲法」に区分されます。

② 主権

大日本帝国憲法は天皇主権でした。したがって、憲法の改正も天皇の発議により議会が議決するという決まりでした。

対して、日本国憲法は国民主権です。憲法の改正は国会の発議により国民投票によるものと定められています。

③ 国民の権利義務の保証

大日本帝国憲法では、臣民(国民)には兵役の義務と納税の義務がなされ、人権は天皇の恩恵であり、法律の範囲内においてのみ保証されるものとされていました。

一方で、日本国憲法では、国民の義務として勤労と納税、教育を受けさせる義務が定められています。兵役の義務はありません。また、基本的人権は「いかなる国家権力によっても侵されない永久の権利(日本国憲法第13条より抜粋)」であるとして公共の福祉に反しない限り、最大限に尊重されるべき権利であるとされています。 

④ 天皇の地位

大日本帝国憲法では、天皇は神聖不可侵な存在であり、「国の元首にして、統治権を総攬する(大日本帝国憲法第4条より)」と定められていました。このことは、立法など国政を行う権限すべてを天皇が持っており、議会にはからずとも行使できるということを表します。

また、軍隊の統率権も天皇の権利でした。そして、天皇の地位の根拠は万世一系の皇統にあるとされ、臣民(国民)は天皇に絶対服従する必要がある地位だと定められていました。

一方で、日本国憲法での天皇は日本国および日本国民全体の象徴にとどまり、政治上の実権は持っておらず、行える行為は法律などの公布や国会の召集などの国事行為のみです。軍隊の統率権も天皇は持たず、加えて日本国憲法の前文と第9条によって平和宣言をしました。

また、天皇の地位の根拠は、主権者である日本国民の総意に基づくものであるとされています。

 

憲法制定の立役者、伊藤博文について

大日本帝国憲法の作成に大きく貢献したのが、のちに初代内閣総理大臣になる伊藤博文です。彼は1841年に周防国(山口県)で林十蔵の長男として生まれた、百姓出身の政治家です。

1871年、岩倉使節団として欧米先進国へ視察に行った伊藤博文は、アメリカやヨーロッパの国の発展を目の当たりにし、憲法の必要性を実感します。日本国内でも、板垣退助の自由民権運動や大隈重信の意見書などさまざまな政治運動が行われていました。

帰国後、憲法制定の責任者に任命された伊藤博文は、1882年に明治天皇に命じられて、憲法の調査のために再度ヨーロッパへ渡ります。

1年少しかけて、プロイセンやイギリス、オーストリアなどを調査し、そのなかでも伊藤博文が気になったのがプロイセンでした。そしてウィーン大学の憲法学者シュタイン、ベルリン大学の公法学者グナイストやアルバート・モッセたちからプロイセン式の憲法理論や軍事学、統計学などさまざまな学問を学びました。

1885年に初代内閣総理大臣に就任した伊藤博文は、1888年には憲法草案についての意見の場として枢密院を設置しました。このとき、枢密院の初代議長となるために伊藤博文は内閣総理大臣を辞任しています。

そして、井上毅(いのうえ こわし)、伊東巳代治(いとう みよじ)、金子堅太郎(かねこ けんたろう)、ドイツの法学者らの助言を参考にしつつ、4年という年月をかけて大日本帝国憲法を制定させました。

こうして、1889年2月11日に黒田内閣の下で大日本帝国憲法が発布されたのです。

大日本帝国憲法は本当に悪の権化か考える

戦後、大日本帝国憲法は軍国主義の象徴とされ、国民が知ることすらタブー視されてきました。日本では教育上触れてはならない、考えてもいけない、というほど悪者扱いをされてきたのです。学校でも詳しく教えてもらえなかったという人は多いでしょう。

それゆえ、大日本帝国憲法への理解も乏しく、大日本帝国憲法と日本国憲法の双方の制定までに交わされてきた議論内容、双方の解釈トラブルなどを比較検討する機会はあまりありません。

著者
倉山 満
出版日
2014-05-01

しかし、この著書は、そんな世間のタブー視はおかまいなしに、戦後の日本教育が作り上げた「大日本帝国憲法=悪」というイメージに真正面からぶつかっています。そして、そもそも憲法とは何なのかという基本的な点を伝えてくれます。

憲法や日本の国際的立場、そして「日本が一番大切にすべきものは何なのか?」と日本のお国柄をあらためて考える入口になる一冊です。

日本を守るために奮闘した男達の歴史小説

大日本帝国憲法がどのような流れのもと成立したのかを、歴史的背景と先人たちの覚悟とともにつづられている一冊です。

幕末・明治時代、維新の英雄や閣僚など日本を西洋列強の脅威から守りたい人々が皆求めたものは、「世界に認められる文明国・日本」でした。

著者
倉山 満
出版日
2015-05-02

当時の人々がどのような危機感を持って、どんな日本にしたくて憲法を作ろうとしたのかなど、読んでいるうちに先人たちの熱き志を肌で感じるでしょう。また、大日本帝国憲法と比較するうちに、日本国憲法への疑問も浮き上がってくるはずです。

帝国憲法を知るうえで、なくてはならない日本の近現代史が学べます。

スキマ時間に憲法の教養を磨こう

どちらの憲法も知りたいけれど、いまさら難しい本を読むのは気が引けるという方におすすめの一冊です。

著者
出版日
2015-04-29

原文だと読みにくい2つの憲法の全条文に対してわかりやすい口語訳が原文とともに載っており、読みやすさ抜群です。さらには各条文のポイント解説があるため理解しやすく、また条文ごとの問題点も書かれています。

また、ポケットサイズのため持ち運びにも便利であり、スキマ時間で教養を磨きたい人にも最適です。

教科書ではあまり触れられることがない大日本帝国憲法。たかが憲法ですが、そのなかには当時の人々の奮闘や覚悟などさまざまな歴史的背景が詰まっています。

「先人たちが守ろうとしたものは何だったのか」

大日本帝国憲法を知ることは、先人たちの声を知ること、そして「日本」をもっと深く知ることにつながることでしょう。

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