書き出しが完璧な小説【ハナエ】

イントロの数秒で鳥肌が総立ちになるように、運ばれてきた料理の見た目と香りに味蕾が刺激されるように、書き出しを読んだだけで脳が痺れてしまうような小説がある。

書き出し、というものはおそらくどんな場合においても難しい。わたしであれば歌詞の一行目、歌い出しの詞に何週間も頭を抱えたことが多々ある。小説を書いてみようと試みたときも、納得のいく一行目を書くことがついぞできなかった。この文章を読んでくださっている皆さんの中にも、読書感想文や小論文、Twitterをはじめて一番最初のツイート、ブログの一行目に悩んだことがある方は多いだろう。

だからこそ、最初のゴングが鳴った瞬間に一撃必殺を狙いに行っている小説は素晴らしい。今回は、個人的に書き出しが完璧だと思う2冊をご紹介する。

好き好き大好き超愛してる。

著者
舞城 王太郎
出版日
2008-06-13
愛は祈りだ。僕は祈る。僕の好きな人たちに皆そろって幸せになってほしい。それぞれの願いを叶えてほしい。暖かい場所で、あるいは涼しい場所で、とにかく心地よい場所で、それぞれの好きな人たちに囲まれて楽しく暮らしてほしい。

2004年に芥川賞候補となり評価が真っ二つに割れ、石原慎太郎に「タイトルを見ただけでうんざりした」とまで言わしめた舞城王太郎氏の代表作。愛にまつわる数作品を束ねた短編集だ。連作短編と呼べなくもないが、あまりにも唐突に物語が切り替わるためこの作品を読んだ多くの人は混乱するだろう。しかしそんな読者の手を無理やり掴み、物語は猛スピードで駆け抜ける。疾走感のある小説だ。

害虫ASMAに体を侵食される女子大生とその恋人を描いた「智依子」。柿緒という恋人が死んだ後の自分と恋人の弟をめぐる、小説と現実の境界線についての問答「柿緒」。夢の修理屋の物語である「佐々木妙子」。ろっ骨を融合させ神と戦うことを運命付けられたアダムとイヴを描く「ニオモ」。全編を通して愛すること、生きること、物語を紡ぐことについて記されてある。

ちなみにこの作品は、当時大ヒットした小説『世界の中心で愛を叫ぶ』のアンチ小説と評されている。アンチもある種の愛であることは言うまでもない。

わたしは十代の時にこの作品を読んで、“愛は祈りだ。僕は祈る。”と言い切る書き出しは一瞬で好きになったが、その意味には長らく同意できずにいた。言葉としては好きだが、その真意を理解できなかった。 “愛は行動なのよ。言葉だけではだめなの。”と言ったオードリー・ヘップバーンや、“愛する気持ちがあっても相手に何もしなければ、愛がないのと変わらないのでしょうか。”と言ったマザー・テレサ、“愛は行動によって具現化される価値観である。”と言ったスティーブン・R・コヴィン同様、祈るだけでは愛とは呼べないと考えていたし、そう信じて疑わなかった。

しかし自分自身年齢と経験を重ねるに連れ、少しずつその言葉の意味がわかってきた気がしている。祈りとしての愛は、愛の成れの果ての姿なのではないだろうか。

もう祈ることしかできなくなった愛が、きっとこの世界には数多く存在する。それを皮膚で実感した時、この『好き好き大好き超愛してる。』という陳腐にもほどがあるタイトル、そして“愛は祈りだ。僕は祈る。”という書き出しの切なさに膝から崩れ落ちそうになった。

アビシニアン

著者
古川 日出男
出版日
十億年が過ぎて、私は東横線に乗り込んだ。

中学の卒業式と同時に名前も戸籍も捨てた少女は、中野区の公園でかつて保健所に連れて行かれた愛猫のアビシニアンと再会し、2年弱をともにする。アビシニアンの死とともに文盲になった彼女は、ウェイトレスとして働くダイニングバーでシナリオを書く青年と出逢う。2人は互いに惹かれあい、青年は文字の読めない彼女のために物語を書き始める。

古川日出男流ボーイ・ミーツ・ガール。静謐な恋愛小説だ。

何から十億年が過ぎたのか。何のために東横線に乗り込むのか。この小説は始めることから始まる小説ではなく、捨て去ることから始まる小説だ。読者に一切媚びることなく、不必要に丁寧な説明もなく、淡々と流れる文章が心地よい。

書き出しも最高だが、この小説の最後には、世界を滅ぼす呪文が書かれている。さてその世界を滅ぼす呪文とは一体何なのか。それを書いてしまっては野暮だと言うもの(これだから本のレビューというものは難しい)。ぜひこの作品を読んで確かめていただきたい。

前述した舞城王太郎氏の『好き好き大好き超愛してる。』が祈りとしての愛を描いた作品なら、古川日出男氏の『アビシニアン』は呪いとしての愛を描いた小説だ。

さて、ゲスの極み乙女。の川谷絵音さんが小説を書いたとしたらその作品はどんな書き出しではじまるのだろう。仮にゲスの極み乙女。の楽曲のタイトルや歌詞をそのまま書き出しにしても相当面白い。
“ロマンスがありあまる。”
“両成敗が止まらない。”
“戦ってしまうよ。”
そんな一行からはじまる小説。超読みたい。

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