5分でわかる享保の改革!背景や具体的な政策をわかりやすく解説!

更新:2021.11.12

江戸時代の三大改革のひとつといわれ、8代将軍・徳川吉宗が財政難に陥っていた幕府を再建するためにおこなったのが「享保の改革」です。この記事では、当時の時代背景や、具体的な政策の内容、さらにおすすめの関連本をあわせてご紹介します。

ブックカルテ リンク

享保の改革とは?簡単に説明

 

「暴れん坊将軍」の異名を持つ、8代将軍・徳川吉宗(とくがわよしむね)。彼は紀州藩出身の将軍で、本家筋ではありません。しかし、7代将軍の家継が幼くして亡くなったため、1716年に後を継いでいます。

将軍職に就いた彼がするべきことは、財政難に陥っている幕府の立て直しです。そのためにおこなった一連の改革を「享保の改革」といいます。後を継いだ1716年が享保元年だったため、この名称がつきました。

まず吉宗が始めたのは、将軍自らが政治を取りまとめる家康時代の政治に戻すこと。そして、幕府の財政を立て直すために自ら倹約生活をし、農民や町民の意見を聞く機会を設けるための目安箱を設置します。

また新田開発を推進し、大名からも米を徴収するように決めて財政を安定させていきました。

「財政難からの脱却」と「幕府の体制の立て直し」を求めていったのです。

 

なぜ享保の改革が必要だった?その背景と理由

 

当時の江戸幕府は、深刻な財政難に陥っていました。

その大きな要因のひとつに、貨幣による市場経済の拡大に伴い米の価格が下落していたにも関わらず、適切な対処をしなかったことにあります。

江戸幕府の税金は原則として米の現物納付です。武士は納められた米をお金に換えて生活していました。しかし米の価値は、収穫量によって左右されます。多く収穫されれば価値がさがり、少ない年にはあがるのです。

そして当時は、生産性を高める農具の発達、農業知識の蓄積、新田開発などにより、米が大量に収穫できるようになっていました。つまり、米の価値はさがる一方。幕府の収入が減少していったのです。

反対に、武士以外の人々の収入は増えていきました。基本的には米以外の課税をしていなかったため、農業技術が進歩して米以外のもの収穫が増えれば、その分生活は豊かになっていきます。

このような状態のときに、吉宗が就任したのでした。

 

享保の改革の具体的な政策は?目安箱や公事方御定書など

 

人事

まず吉宗がおこなったのは、家柄に縛られずに優秀な人材を登用するということ。これにより、それまで政策担当を務めていた新井白石(あらいはくせき)や間部詮房(まなべあきふさ)らが解任されます。

そして大抜擢されたのが、大岡忠相(おおおかただすけ)。旗本のなかで大出世をし、大名にまで上り詰めた人物です。大岡は、都市政策南町奉行として諍いが絶えなかった「町火消し」の組織化、農政改革、基金対策などに貢献しました。

足高の制(たしだかのせい)

当時の江戸幕府は、ある程度高い身分で、なおかつ一定基準を超えた石高が無い限り、高い役職に就くことは不可能でした。その制度を変えたのが足高の制です。

低い身分でも能力がある者には米を支給して石高を上げ、役職に就いている間は相応の身分にさせることで優秀な人物を見つけようとしたのです。

定免法(じょうめんほう)

これまでは収穫量によって左右される「検見法」で徴収していた年貢高。吉宗は、豊作・凶作に関わらず税率を一定にする「定免法」に切り替え、幕府の税収を安定させました。

上米の制

幕府の米収入を増やすための直接的な政策です。大名から1万石につき100石の米を幕府に献上させるようにしました。献上米を納めた藩は参勤交代での江戸滞在の期間が半年に短縮されます。

倹約令

幕府の財政状況を少しでも良くするために、吉宗自身も率先して倹約をして無駄な出費を抑えるように心がけました。木綿を愛用し、食事は1日2回で一汁一菜を徹底する生活ぶりだったそうです。

また、贅沢の象徴ともいわれる「大奥」も改革します。4000人ほどいた大奥勤めを、働き口が見つけやすい美人を優先して解雇し、1300人にまで減らしたのです。

公事方御定書(くじかたおさだめがき)

刑事裁判の公平性と迅速化を図るため、これまでの判例をまとめた物が「公事方御定書」です。どんな罪が死罪になり、どんな罪が島流しになるなど、それぞれの罪に対する刑罰をあらかじめ定めました。これが裁判の基準となり、江戸幕府の基本法典となります。

対象は幕府の直轄地のみでしたが、写本が各地の大名たちに広がり、全国的な刑法の規定として拡大してきました。

目安箱

農民や商人など身分の低い人の意見を幕府に届ける機会を作ろうと設置されたものです。ルールは、実名で投稿すること。これによって庶民と幕府の距離が近くなり、さまざまな提案がなされました。

町火消し組合の創設や、小石川養生所設置も目安箱がきっかけだったといわれています。

 

漫画で読む享保の改革

著者
石ノ森 章太郎
出版日

世間では暴れん坊将軍のイメージが強い徳川吉宗ですが、本書では多面的に描かれており、彼のもつさまざまな顔に触れることができます。

漫画ですが、原案には歴史学者が携わり、史実に基づいた知識が得られるでしょう。

とてもわかりやすいので、これから歴史を勉強する方にもおすすめです。
 

吉宗の稀代なリーダーシップ力を読み解く

著者
大石 学
出版日
2012-12-01

幕府の財政悪化、政治の停滞、災害の多発など、吉宗が将軍に就任したときの幕府は厳しい状態でした。そんな状況を打破しようと断行したのが享保の改革です。 

吉宗は独自の目線とリーダーシップ力で、徳川全将軍のなかで2番目に長い29年間も幕府を統率してきました。

彼が考えた日本の将来とは、どんなものだったのでしょうか。江戸幕府の中興の祖とも名高い吉宗の解説書です。

大岡忠相から見る享保の改革

著者
童門 冬二
出版日
2015-10-20

TVドラマでもお馴染みの大岡忠相。吉宗のもとで都市政策南町奉行として農政改革や飢饉対策、町火消しの組合の組織化などに取り組み、享保の改革に貢献をしました。

旗本出身から大名にまで上り詰めるという大出世をした彼の知られざるエピソードが、当時の世情とともに詳しく記されています。

吉宗とは一味違った目線から享保の改革を知りたい方におすすめの一冊です。
 

稀代の名君と呼ばれた徳川吉宗の改革。財政難の幕府を支えた救世主だったともいえるでしょう。固定概念にとらわれず、自由な発想を用いて妥協せずに実行した彼は、名君だといえるのではないでしょうか。

  • twitter
  • facebook
  • line
  • hatena
もっと見る もっと見る