とにかく犬を愛している、なのでしばらくご清聴ください【小塚舞子】

とにかく犬を愛している、なのでしばらくご清聴ください【小塚舞子】

更新:2021.12.6

犬が好きだ。動物全般(鳥以外)が好きなのだが、特に犬を愛している。とても愛しているので犬を犬と呼びたくない。会社の犬だとか、犬死だとか、ネガティブな使い方をされがちなのが嫌だ。しかし彼らが犬という名前をつけられ、分類されているので仕方ない。

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愛犬チョコの恋をきっかけに私は彼女の信頼を得た

これまで2匹の犬と暮らした。1匹目はチョコ。ウエストハイランドホワイトテリアと何かの混合種で、これも言いたくないけれど、一般的に言えば雑種。柴犬より一回りほど大きくて、白くフサフサした長い毛にピンと立った耳、温厚でお利口さんだった。

なかなか子供のできなかった両親が知り合いから譲り受けた犬で、私が産まれる前から小塚家の一人娘として可愛がられていた。当時はマンション住まいだったのだが、室内で一緒に生活をしていたところに私が産まれ、ベランダで暮らすハメになる。

私が物心ついた頃には一軒家に引っ越していたのでマンション時代の記憶はないが、チョコの方はいきなり天下を奪われたことを恨んでいたらしく、私は嫌われていた。母親が言えば喜んで応じる「お手」や「おかわり」も、私がすれば無視。

子供の言うことなんて聞きたくないというのはどこの犬でもそうなのかもしれないが、チョコに認めてもらえなかったことを寂しく感じていたのを覚えている。しかし、根はとても優しい子。母親と三人で散歩に出かけた時など、自分が一番前を歩くタイプだった(つまり、大してしつけができてなかった)のにも関わらず、歩くのが遅い私の姿をよく振り返って確認してくれていた。

その度に母は「舞子、ちゃんとついてきてるかー?」と、チョコの気持ちを代弁した。まぁ本人は全然ちがうものを見るために振り返っていたのかもしれないけど。ダッと走っては、立ち止まって振り返るチョコの姿が今でも脳裏に焼き付いている。チョコも私も、散歩が好きだった。

小学生になってしばらくしてから、チョコとのささやかな雪解けの機会が与えられた。その材料となったのは、パンだ。食の細かった私は給食のパンが食べきれず、いつも家に持ち帰っていた。しかしそれを家に帰ってから食べていると、今度は晩御飯が食べられなくなる。

パンはいつもチョコのおやつになった。学校から帰ってパンをあげていると、徐々に「パンの人」として認識されていき、一人で散歩ができるようになったことも手伝って、最底辺だった私の地位が少しだけあがった。

それでもまだチョコが私のことを家族として認めてくれている確証は得られなかったが、一緒に生活している人として覚えてくれているんだと自信がついた出来事があった。

我が家の庭で暮らしていたチョコが、恋をした。当時はまだ野良犬が家の周りを歩いているという光景もそれほど珍しくはなく、家の近所をウロついていた秋田犬っぽい男の子が、たまに庭に入り込んではチョコと遊んでいた。

今考えると、別にいいだろうとも思えるのだが、母は自分の家の庭で知らない犬が駆け回っている姿に驚いて、彼を見つけては追い出していた。その頃から、チョコが脱走を覚えてしまった。

庭には簡易的な柵を立てていたのだが、それをくぐって逃げていたらしい。気が付くと庭にいない。遠出をする度胸はなかったようで、近所をぶらぶら歩いている所をすぐに発見され、あっけなく強制送還されていた。しかしある夜、いくら探してもチョコの姿が見つからなかった。

庭にいないことに気が付き、家族三人で手分けして、大声で名前を呼びながらチョコを探した。両親はそれぞれちょっと遠くまでチョコを探しに行っていたが、私は家の周辺を担当した。

しばらくすると、坂の上にチョコと秋田犬の彼の姿を見つけた。漫画みたいな話だが、夜のデートを楽しんでいたようだ。その時の二匹のシルエットが未だに忘れられない。私は嬉しくなって思わず「チョコ!」と大声で叫んだ。

チョコがビクッとしてこちらに気がつき、固まっている。しかし私が走り出すと、逃げて行ってしまいそうだ。そうなれば、とても追いつけるような距離ではない。名前を呼んではみたものの、そのあとどうすればいいのかわからず、私も固まっていた。

ほんの数秒だったとは思うが、そのままの距離を保ちながら、お互いがただ見つめ合うという時間が続いた。しかし次の瞬間、チョコが秋田犬の彼をほったらかして全速力でこちらに駆け降りてきた。感動の再会のように、尻尾を振りながら。臆病な子だったので、逃げ出してはみたものの、心細かったのかもしれない。

チョコは何だか安心しているように見えた。無事、チョコを連れて家に帰り、それ以降は脱走することはなくなった。私は一番にチョコを見つけたことよりも、名前を呼んだだけで走って近づいてきてくれたことが嬉しかった。パンの人、少しだけ昇格。

チョコは14歳まで生きて、ゆっくりと死んだ。晩年はたいへんに頑固なおばあさんと言った風情になっていて、気に入らない食事が出てくると皿の上に土を盛ったり、家の中にシレッと上り込んでみたり、今まで我慢していたことを存分に発散させていた。

幼少期に、他の兄弟犬からいじめられていたらしく、だから絶対に誰かを噛むというようなことはなかった。ビールの配達にやってくる酒屋のおじさんだけは気に食わなかったようで、その時だけはワンワン吠えていたが、本来は優しく賢い犬だった。死ぬ前に見せた少しばかりの抵抗が、彼女の我慢強さや優しさを裏付けてくれているように思えた。

第二の愛犬モモ、そのわがままに付き合わさせられる私たち

2匹目はマルチーズのモモ。私が高校生の頃に家族の一員となった。モモは愛玩犬らしい振る舞いが得意で、すぐに家族の中心になった。ペットショップから連れ帰ってきた直後は、水を飲むにも遠慮がちにしょんぼりしていたのだが、自分がいかにこの家で愛されているかを察知するのが早かった。

チョコの分まで愛そうと、家族全員で思いっきり可愛がり、思いっきり甘やかした結果、とてもワガママに育ってしまった。しかしそのワガママさがまた愛おしかった。家族の序列を常に自分が一番上になるようにつけていたと思う。

帰りが遅く、酔っぱらえば尻尾を引っ張ってきたりする父は当然いつでも最下位。ごはんを用意してくれる母と、適度に遊んでくれる私はどんぐりの背比べ。モモは気に入らないことがあると、自分の思い通りになるまで主張を続けた。

家の中の階段を登ることができなかったため、モモが階段を利用しての移動を希望すれば、家族が抱いてやらなければならなかった。

例えば、両親は出かけてしまったが、私は二階にある自室で眠り込んでいたとする。家の中に誰かがいるのに、ひとりで過ごすことなど寂しくて耐えられないモモは、両親が玄関の扉を閉めた瞬間に階段の下に立ち、私が降りてくるまで吠え続ける。

私がどれだけ深い眠りについていようが、執念深く、とにかく起きるまで吠える。私が眠い目をこすりながら、一階までモモを迎えにいき、自室に連れてくると、落ち着いて私の横で眠るのだ。せっかく寝ているところを起こされるのは面倒だったが、可愛くてたまらなかった。

しかし、モモは小型犬としては若すぎる10歳で死んでしまった。私たち家族は、全く覚悟ができていなかった。正直に言って、今でも辛いし、寂しいし、会いたい。もっと遊んであげれば良かったとか、もっとどこかに連れて行ってあげたかったとか、美味しいもの食べさせてあげたかったとか、後悔だらけだ。

度々夢にも出てくる。夢に出てきたことを母親に話すと、「夢でもいいから会いたい」と羨ましがる。モモは10年間、うちで暮らしていたことをどう感じているのだろう。楽しかったと言ってくれるだろうか。モモが生きていたとしても、そんなことは聞けないが、どうしても気になってしまう。

私は、だから犬が好きなのだ。文句を言わないから好き、と言うと語弊があるが、結局のところは紙一重なのかもしれない。言葉を持たない分、全身全霊で接してくれる。不平不満を態度で表すことはあっても、きっとその半分以上が伝わってないんじゃないかと思う。

それなのに、無条件に愛されることを願い、愛してくれる。悪いことをすれば、申し訳なさそうな顔をするし、怒ればしょげる。でも少し時間が経つと、そばに寄り添い、尻尾を振って、まっすぐにこちらを見ている。

モモはワガママだったが、私が泣いていると、黙って、ただ心配そうな顔をしていた。家族が笑っていると、自分も嬉しそうにして一緒に吠えた。

生き物と生き物の究極のコミュニケーションは、言葉を持たない方が、より濃密なものになるような気がしてしまう。これだけ言葉であれこれ書いていたら、何の説得力もないけれど。

喜ぶことをしてあげたい。それは両親にも、好きな人にも、友達にも思うことだけれど、チョコやモモに何かしてあげたいと言う気持ちが一番正直だったように感じる。実際にはそれはただのエゴかもしれないし、嬉しいのかもわからないが、「自分って性格わるいな」と、すぐに落ち込む私が、唯一いつでも心から優しく振る舞える存在だった。

そして勝手ながら、そのエゴが「癒し」になっていた。もちろん、姿かたちや行動も愛らしくて好きだ。でも、エゴをエゴとも感じさせない、真っ直ぐな存在に惹かれてしまうのだ。

犬好き必見、彼らの愛くるしさを感じられる2冊

著者
村上 たかし
出版日
2009-07-07

小学生の女の子に拾われ、家族の一員となった犬、ハッピー。女の子の成長や、家族の変化をハッピーの目線で描かれています。人間よりも速く歳を取る犬ですが、人間の成長や気持ちの変わりようのスピードの方が、遥かに速いのではないかと思います。犬の愛情深さを教えてくれる一冊です。

著者
姫野 カオルコ
出版日
2017-12-06

直木賞を受賞した『昭和の犬』は読んでないのに、なぜかこっちを手にとってしまいました。作者が近所で犬見や猫見を繰り返す私小説。読みながら何度、「わかるわぁ〜」と(心の中で)呟いたことでしょう。犬猫に対する愛情もさることながら、それに接する人間の心情は犬好きの方なら必ず頷くはずです。

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