古バビロニア王国のハンムラビ王が発布した、ハンムラビ法典。「目には目を、歯には歯を」というフレーズで有名ですが、なぜ復讐法と呼ばれるのでしょうか。今回、ハンムラビ法典に関するおすすめの4冊を紹介しながら、法典の概要や背景をお伝えします。
紀元前1700年頃、古バビロニア王国の6代目の王であるハンムラビが成文化した法典が、ハンムラビ法典です。ローマ法典とナポレオン法典と並んで、世界の3大法典の1つです。
ハンムラビ法典の特徴は2つ。
一見厳しそうですが、古バビロニア王国にとっては合理的ルールともいえるものでした。当時、古バビロニア王国の支配者はアムル人で、シュメール人やアッカド人やそのほかの様々な民族を支配していました。多くの民族が入り混じって生活していたため、争いが起きたときの対処法や、どこで手打ちにするかなどについての合理的ルールが生まれたことは1つの社会の発展といえるでしょう。
もっとも、ハンムラビ法典は100%平等な同害復讐を定めた法典でもありません。身分によって刑罰が変わるという支配者に寄せた法律という一面もありました。
「もし奴隷が自由人の頬を殴ったときは、かれの耳を切り取る」(ハンムラビ法典 第205条より)
「他者に危害を加えた場合は同じことをされる」という同害復讐が原則であるハンムラビ法典ですが、身分差別は厳しいものでした。奴隷が自由人やそれ以上の身分の者に対して危害を加えた場合、それ以上の罰を受けるのです。一方で、身分の高い者が奴隷に危害を加えた場合の罰は罰金など、軽いものでした。
紀元前1792年に古バビロニア王国の6代目の王に就任したのが、アフロ=アジア語族、セム系のアムル人であり、ハンムラビ王です。彼はハンムラビ法典を編成させた王として、バビロニアの伝説的な王とされています。
ハンムラビが王に即位時、古バビロニア王国は北のアッシリアと南のラルサに挟まれており、立場が厳しい状況でした。そこで、彼はアッシリアと同盟を組んでラルサと戦い、イシンやウルク、ウルなどの主要都市を奪うことに成功したのでした。その後、アッシリアを見切り、あらたにマリと同盟関係を結んだ古バビロニア王国はアッシリアなどの連合軍と戦い、見事勝利します。そして、マリも併合し、アッシリアを征服したことにより、メソポタミアの再統一を果たしました。
ハンムラビ王は外交力が高く、軍事戦略も比類ないもので、官僚と軍隊の整備、灌漑用水路の発案と建設、商業の保護などにも力を入れました。ハンムラビ王はメソポタミア文明の最盛期でもあり、王朝の全盛期の王なのです。
メソポタミアとは「2つの川の間」という意味で、チグリス川とユーフラテス川の間にある平野です。その間で生まれた、シュメール人による最古の文明やバビロニア文明などの諸文明の総称をメソポタミア文明といいます。ちなみに世界四大文明とはメソポタミア文明のほか、エジプト文明、インダス文明、黄河(中国)文明です。
メソポタミア文明の特徴
現在でも世界中で使われている60進法は、メソポタミア文明で生まれたものです。円周分割から作られ、角度や時間の単位にも用いられていました。そして、天文学も発達していたことがわかっており、月の満ち欠けを基にして年月を計算する太陰暦を成立させました。1週間という単位が考えられたのもこの文明期であるといわれています。シュメール人は月の満ち欠けを観察することで、時間を知ったのです。季節や時期を知ることは農耕の発達にもつながりました。
また、メソポタミア文明では文字も生まれました。くさび形文字です。世界最古の文字といわれ、シュメール人が川辺の粘土で作った粘土版にくさび形文字を残していたために発見されました。このことは、当時の人々が円滑な情報伝達や交換を行っていたことを表しています。
ハンムラビ法典にある「目には目を、歯には歯を」の本来の意味は「ほかの者の目を奪った者には目を奪う罰のみ」、「ほかの者の歯を折った者には歯を折る罰のみ」というものです。つまり、過剰な復讐合戦を禁じる決まりでした。「やられたら倍返しだ」という意味では断じてなく、「やられた以上のことはやり返してはいけない」という抑制の意味が込められた言葉なのです。
しかし、世間では、ハンムラビ法典は復讐法である、なんて呼ばれたりもします。なぜ、このようなイメージがあるのでしょうか。原因は2つあります。
第1の原因は旧約聖書の記述にあります。
「目には目を、歯には歯をといえることあるを聞けり。されど、汝らに告ぐ。悪しき者に手向かうな。人もし右の頬をうたば左を向けよ。」(旧約新書 マタイ伝5章38~40節参照)
訳:あなたがたも聞いているとおり、「目には目を、歯には歯を」と命じられている。しかし、わたしは言っておく。悪人には手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。(「マタイによる福音書5」)
この部分をキリスト教徒は、「復讐を肯定」するユダヤ教とは違い、キリスト教は「復讐を否定」する宗教なのだ、と世界に布教していきました。これにより、「罪を許す」キリスト教は愛の宗教である一方で、「許さない」ハンムラビ法典は復讐法と価値づけられてしまいました。
第2に、この言葉が現代では「やられたら、倍返しの勢いで復讐する」という意味で使われているということです。この現代の間違った認識こそ、「やり返すことを認める」ハンムラビ法典は復讐法なのだというイメージを現在まで印象づけた原因といえるでしょう。
ハンムラビ法典はメソポタミア文明の象徴であり、この法典を知ることは当時の社会や宗教、経済状況や事実を知ることにつながります。その貴重な情報源といえるハンムラビ法典の資料に特化している一冊で、原本から完全に翻訳されたのが本書。当時の裁判の様子や刑罰に関する取り決めなど、ハンムラビ法典を隅から隅まで触れることができます。
- 著者
- 出版日
- 2000-01-01
また、ハンムラビ法典以前の、ウル・ナンム法典、リピト・イシュタル法典、エシュヌンナ法典の3法典についても解説されています。教科書だけでは知ることができない、ウル王朝時代など古代オリエント社会や体制についても深く学ぶことができますよ。
古代オリエント史のなかでもとくに有名なハンムラビ王。強豪国に囲まれた小国にすぎなかった古バビロニア王国の全メソポタミア統一、多くの都市国家の再編成、治水や灌漑水路や神殿の建設などは、軍事的才能や政治的才能に恵まれていたハンムラビ王によって行われたものです。
- 著者
- 中田 一郎
- 出版日
- 2014-03-01
また彼の功績として忘れてはならないのがハンムラビ法典です。過度な復讐を認めない、人々が平和に暮らせるルールを定めました。この法典は、古代オリエントのなかでも頂点に君臨するほどの法であり、その後の文明の発達、社会の発展に大いに影響をおよぼしました。
本書では、メソポタミア統一の功績のみならず、人々の生活を豊かな世界にしたいと望む王としての姿を、研究資料を用いて紹介しています。リーダーとして求められる強さとは何なのか、時代を超えて考察してみるのはいかがでしょうか。
古代メソポタミアを専門とする歴史学者によって書かれた、バビロニアを知りたいけど何を読もうかなと悩む方々におすすめの入門書です。
- 著者
- ジャン ボッテロ
- 出版日
- 1996-11-01
シュメール人の登場から滅亡までを当時の人々の生活や箱舟伝説の原型の話などにもスポットライトを当てながら書かれています。説明も重要な事柄に絞っており、時代背景がわかりやすいように工夫されているのも入門書としてぴったりです。
また、本書には出土品や浮彫り、像、またカラー版の遺跡物の写真が載っているため、目でも楽しみながらバビロニアについて想像を膨らますことができます。
貨幣の歴史だけではなく、物々交換から貨幣論、宗教とお金の関係、貨幣経済の意味など、貨幣そのものの意味を文化的・社会的背景を映しながら書かれた、まさに「お金の起源と人類史を絡めた」一冊です。貝から銅、銀、金、そしてビットコインへという貨幣の流れがつかめる内容になっています。
- 著者
- ["カビール セガール", "Kabir Sehgal"]
- 出版日
- 2016-04-22
お金に関する雑学も豊富に書かれているので、得する情報も盛りだくさんです。また、お金に関する価値観についても本書では触れています。価値観やお金に関する規則というものは、異なる宗教信者同士や富裕層と貧困層など立場や時代、主義により変化していきます。この本を読めば、自分のお金に対する捉え方はどの立場に近いのか、あらためて確認することができるでしょう。
ハンムラビ法典をもっとよく知りたい人におすすめする本を、4冊紹介しました。この4冊を読めば、古バビロニア王国の立場、ハンムラビ王のトップとしての素質、復讐法と呼ばれるハンムラビ法典の本当の意味、バビロニアの豊かな文明などについて、教科書ではカバーしきれない様々な情報で出会えるでしょう。