参勤交代は、各藩の藩主を交代で江戸に行き来させる制度として知られていますが、この制度の意味とはどんなものだったのでしょうか?この記事では、参勤交代に関連するおすすめの本を3冊紹介しながら、その具体的な内容について迫っていきます。
参勤交代とは、各藩の藩主が1年おきに江戸に来る制度です。ルーツは、鎌倉時代から始まった御家人に幕府が領地を与えたことに対する見参式にあるといわれています。
したがって、参勤交代自体は、もともと外様大名が将軍への忠誠を示すために自発的に行っており、豊臣時代にはすでに存在していました。その儀礼的行為を、3代将軍の徳川家光が1635年の武家諸法度によって法令化して義務付けたのです。ちなみに、江戸に行くことを「参勤」、そして、自分の領土に帰ることを「交代」といいます。
武家諸法度によって定められた参勤交代の内容は以下のことです。
参勤交代の費用は各大名の自腹でしたが、諸大名にとって威厳を保つかっこうタイミングだったため相当な費用をかけていました。例えば、仙台藩の参勤交代は1500人もの大人数で行ったそうです。なかには見栄えのために、「人宿」という現地のエキストラを雇うこともありました。
また、対象となる大名は1642年の改正によって全大名と変更するまで、原則は徳川御三家を含む1万石以上の大名でした。各大名にとって大変だった参勤交代でしたが、一方では橋や街道の交通整備や、さまざまな文化交流、宿場町が発展する大きなきっかけとなりました。
参勤交代の最大の目的は、明確なる主従関係の確立による「忠誠心と奉仕の精神」を示させることです。
江戸時代に入り、世の中は平和になりましたが、一方で平和になったことによるデメリットが生まれした。それは「忠誠心」の確認のタイミングです。家光時代になり合戦が無くなったことにより、各藩主の「将軍に対する忠誠心がどれほどのものなのか」という確認がしづらくなりつつありました。そこで、「将軍に忠誠を示す」シーンをわざわざ作り出すため、参勤交代制度を義務化したのです。
また、参勤交代によって資金を溜められなくなった諸大名は幕府に反旗を翻すことも難しくなりました。1年交代で行われる参勤交代は莫大なる費用と時間がかかるため、諸藩の大きな負担になります。そのため各藩の経済状況を悪化することにもつながり、軍事力が低下してしまったのです。このことは、結果的に幕府への反乱を防ぐことになりました。
しかし、1635年に徳川家光に出された寛永令では
「従者ノ員数近来甚ダ多シ、且ハ国群ノ費、且ハ人民ノ労ナリ。向後ソノ相応ヲ以テコレヲ減少スベシ」(『武家諸法度・寛永令』より)
とあり、参勤交代の大名行列で人数が増えすぎないように、また華やかなものになりすぎないように幕府側から警告を出していました。
このことからも、結果としては諸大名の貯蓄を減らすことにつながった参勤交代ですが、幕府の目的は必ずしも諸大名の財政悪化からの反乱防止であったとはいえないでしょう。
参勤交代の流れ以下のように決められていました。
春(旧暦4月)に自分の領土を出発
↓
江戸に到着。江戸の屋敷で1年間役目を果たす
↓
春になれば江戸を出発して、自国の領土へ帰還
この繰り返しです。
参勤交代でかかる日数は江戸からの距離で変わりました。ひたすら徒歩での往復ですからね。実際、江戸から近い藩だと数日で到着するのに対し、遠方の藩主だと2か月ほどかかっていたといわれています。例えば、下妻藩(茨城県)は江戸にもっとも近い距離にあったため、2泊3日で参上しました。一方で薩摩藩(鹿児島県)は水路と陸路を通って40日ほどかかったといわれています。
映画化もされているエンターテインメント小説なので、名前を聞いたことがある方も多いでしょう。
各大名に1年おきにまわってくる参勤交代。その参勤交代の命が、ある日突然、5日で江戸まで参勤せよと東北の湯長谷藩に下れます。間に合わせるべく知恵を絞りながら、費用も時間も人手も足りない湯長谷藩の参勤交代の奮闘劇が面白おかしく描かれています。
- 著者
- 土橋 章宏
- 出版日
- 2015-04-15
ドタバタ劇で、文章も読みやすくテンポが良いため、一気に読める一冊です。道中のドタバタだけでなく、到着前も到着した後もハラハラする展開に、いつの間にか作品の中に入り込んでしまうでしょう。 はたして、湯長谷藩は無事たどり着けるのでしょうか。
歴史小説の堅苦しさを感じさせない、人情味あふれる小説『超高速!参勤交代』をぜひ一読してみてください。
様々な資料をベースとして、幕府が諸大名を苦しめて財力を削るために命じたとのイメージがある参勤交代を、あらためてあらゆる角度から検証してまとめた一冊です。
- 著者
- 山本 博文
- 出版日
- 1998-03-20
実際に参勤交代時に起きたトラブルや、支出、大名別の負担差など、実証的な資料研究による多くの論文などをもとにして参勤交代の実態について解説しています。本書を読めば、参勤交代が必ずしも幕府が諸大名に仕掛けた、負担だらけの制度というマイナスイメージではないことがわかります。むしろ、時代劇などで抱いていた参勤交代の印象とはまったく違うかもしれません。
参勤交代を多面的に知りたい方におすすめです。
参勤交代と言えば幕府に対する忠誠心と各藩の財政ばかり解説している書物が多いなか、本書は、行列により動く経済や影響など、当時の庶民の生活視点で描かれています。
- 著者
- 安藤 優一郎
- 出版日
- 2010-03-06
大名行列が諸藩の財政を圧迫する一方、橋や街道の交通整備や、さまざまな文化交流、宿場町の発展など経済効果が大きく得られるという裏側がありました。つまり参勤交代での大名の出費は、庶民の収入にとって代わっていたのです。
また、行列をしている当事者には当事者の辛さがあります。例えば、殿様の生活が不便のならないように台所用品や風呂桶、便器など持ち歩きながら歩く家臣の大変や、朝から夕方まで薄い座布団一枚で狭い空間に閉じこもらなければならない殿様の辛さなど。
読めば読むほど、彼らに人間味を感じることでしょう。 本書を読むと、参勤交代について、もっと深く知りたくなってきますよ。
参勤交代は、のちの文久の改革によって1年おきだった参勤は、3年おきにするものと制度が変わります。このことは結果的に、江戸幕府自身の力を弱めることになってしまいました。こうして、徐々に参勤交代は意味のないただの往復となり、そして、幕府滅亡とともに参勤交代の制度も歴史からも消えていったのです。
今回紹介した本を読めば、必ずしも幕府の諸大名へのいじめ制度ではなく、制度自体に意味があったのだと今までとは異なる部分が見えてくるでしょう。