大宝律令とは、中国の律令をお手本にして701年に完成した、日本で初めて刑法と行政法と民法が揃った本格的な律令です。その中身はどんなものだったのでしょうか。この記事では制定した人、理由、具体的な内容を解説したうえで、おすすめな関連本を紹介していきます。
701年に制定された大宝律令は、刑法といえる「律」6巻と行政法や民法といえる「令」11巻の全17巻から成り立っている法律です。律は唐の律令を参考にしており、令は日本の実情に合わせた内容になっています。
完成したのは文武(もんむ)天皇の時代ですが、発端は天武(てんむ)天皇でした。681年に天武天皇が律令制定を命ずる詔を発令し、701年に律と令がそろって初めての国家基本法が成立したのです。
681年に天武天皇から発令された詔によって、まず編纂されたのは、飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)です。持統(じとう)天皇の時代である689年に施行されました。この令ではまだ律はなく、また唐の律令を手本にしすぎたため日本にあまり合っていませんでした。
したがって、その不備を補うため、そのまま律令の編纂は継続されます。そして天武天皇時代の701年に日本の実情に合った念願の大宝律令が完成するのです。
では、なぜ大宝律令が成立したのでしょうか。
それは、中央集権国家の成立が必要だったから。「乙巳の変」や「壬申の乱」といった内乱がたび重なり、国を立て直すためにはちょっとしたことでは揺るがないような、権力をひとつにまとめた「律令国家」に成長することが、当時の天皇にとって取り組むべき課題でした。
また百済という外交国が滅亡し、唐・新羅が攻めてくる可能性が高くなったため、対抗するための国力が必要となり、そのためにも唐を見習って天皇を中心とした国家の体制を急速につくる必要があったのです。
大宝律令という本格的な法律を作ることは、律令国家体制の国の基礎作りでした。
編纂の中心人物は、刑部親王(おさかべのみこ)と藤原不比等(ふじわらのふひと)の2人です。平城京遷都以前に完成された法律ですが、757年に養老律令が施行されるまで約50年間も中央集権国家の基礎として使用されていました。
リーダーの刑部親王は、天武天皇の第9皇子。681年に川島皇子(かわしまのみこ)とともに『帝紀』の編纂もしています。
藤原不比等は、中臣鎌足の次男であり、藤原氏の祖として地位を高めた人物です。31歳ごろ判事に任命されるという遅咲きでしたが、持統天皇の信任を得た後はめきめきと出世していきました。当時約40歳だった不比等はサブリーダー的存在として、大宝律令の制定に取り掛かります。
また不比等の娘が文武天皇との間に、後の聖武(しょうむ)天皇となる男児を産んだことで、天皇家の母方の親戚としても権力を握っていきました。その後も養老律令を制定したり、平城京遷都を中心となっておこなったりと、律令体制の確立に努めた人物です。
この2人が編纂した大宝律令によって、日本は天皇を中心とする中央集権国家へと変化していきます。
今回は「律」に定められた主要な刑罰と、「令」に定められた統治機構、税金の種類について説明していきます。
「律」
このほか、いくら有位者だとしても許されない重い刑罰が「八逆」として定められていました。
「令」
中央政府の組織:行政面では二官八省の官僚の体制がつくられ、その下にも細かな部署を設置し、地方政治と合わせて樹形図的な構造を築きました。
二官
太政官(八省の総括役と国政を司る最高官庁)
神祇官(太政官とともに最高官庁であり、神祇や祭事を担当)
八省
中務省(勅書の作成や官人の名帳、諸国の戸籍担当)
式部省(婚姻・喪葬・氏姓・文官の人事などを担当)
大蔵省(朝廷の財政・物価の安定の担当)
民部省(戸籍・租税の管理・国家の会計事務の担当)
宮内省(天皇や皇族を中心とした事務担当)
兵部省(武官の人事・軍事全般担当)
刑部省(裁判・刑罰執行の担当)
この8つの役所の下には、さらに職・寮・司などの小さい役所が置かれました。そして定められた形式以外のものは受理しない、正しい手続きを重視するなど、官僚体制をベースとした中央集権国家体制ができあがっていきます。
そのほか、ほかの省の仕事ぶりをチェックしたり、風俗を取り締まったりするための五衛府が設けられました。
地方行政の組織:国郡里制という単位を定め、それぞれを統治しました。
郡司と里長は地方豪族から選ばれていましたが、国司は中央政府から選ばれていました。そのため、地方が自由な政治を展開できることはなく、地方政治においても中央政府が強い力を握る構造は保たれていました。
また地方は、大和国・山背国・河内国・摂津国に分けた「機内」と東海道・東山道・北陸道・山陰道・山陽道・南海道・西海道の「七道」に分けました。
人民に対する税金の内訳
貴族以外の人民に対しても細かい規則が定められています。とくに税金は国家安定のための大事な収入源です。そのため、まず良民と賤民に分けて戸籍を登録し、身分を掌握することを徹底しました。
そのほか、「義倉」、「贄」、「雑徭」なども国民に課した税金として定められていました。
時代が移ると、国は混乱し、社会はより複雑になっていきます。古代社会から平安時代に変わる際も例外ではありません。
本書は、そんな平安京遷都から摂関政治手前までを、天皇制や対外交などテーマごとに分けて説明しています。
- 著者
- 坂上 康俊
- 出版日
- 2009-01-08
9世紀は、律令体制の試行錯誤をしたり、唐とのつながりを断つなかで遣唐使の存在が薄くなったりと、日本の独自の色を作りはじめた時代。
本書はそんな複雑な当時を学ぶのに適した充実の内容で、律令国家の文化的・社会的背景をよく知りたい方にはまさにうってつけの一冊です。
7世紀のなかばから日本で形成されはじめた律令体制ですが、その形成は単なる中国の猿真似ではありませんでした。はたして、どのように日本の法的骨格として天皇制と融合していったのでしょうか。
- 著者
- 大津 透
- 出版日
- 2013-03-01
そんな疑問に丁寧に答えてくれるのが本書です。手ごろなページ数のため、律令制の概観を素早く把握したいときに便利でしょう。
一方で参考文献も充実しているので、律令制の実態などを知る入門書としてもおすすめです。
漫画であれば、歴史に苦手意識がある人もきっと楽しく気軽な気持ちで日本史に触れることができます。
- 著者
- あおき てつお
- 出版日
- 2016-10-28
「学習まんが日本の歴史」シリーズは、2016年に18年ぶりに全面改訂され、表紙イラストを『NARUTO』の岸本斉史や『東京喰種』の石田スイなどの人気漫画家が手掛けています。
本書は『ジョジョの奇妙な冒険』の荒木飛呂彦による聖徳太子が描かれています。中身はしっかりと児童向けの歴史漫画。いわゆる児童向けだと偏見を持たずに、1度読んでみると想像以上にハマってしまうかもしれません。
「乙巳の変」や「白村江の戦い」、「壬申の乱」などを超え、天皇中心の中央集権国家の体制を確立するための総仕上げとして大宝律令が制定されました。この法律は単なる決まりごとではなく、バラバラだった日本が天皇を中心に統一するときの国家の礎になったルールでした。おすすめした3冊を読めば、日本が先進国へと成長していく地盤となった大宝律令について、さらに深く知ることができるでしょう。