読書を楽しみながら日本各地を旅行した気分にさせてくれる旅情ミステリーの第一人者といえば、内田康夫です。教科書には載っていない地理や歴史の知識も深まり、ミステリーも堪能できる、そんな内田作品を5つご紹介します。
内田康夫は、1934年11月15日、東京生まれの作家で、戦時中は実家が戦災に遭ったため、父親の故郷である長野や秋田を転々として暮らしました。
東洋大学文学部を中退後、アニメの制作スタッフやコピーライターとして働き、CM制作会社社長も経験。1980年に自費出版で出した『死者の木霊』で小説家デビューしました。
テレビドラマで有名な「浅見光彦」シリーズをはじめ、数々の著作があります。2007年には著作累計部数1億冊を突破!翌年、日本ミステリー文学大賞を受賞しています。
代表作である「浅見光彦」シリーズでは、名門一家の次男坊、実家住みで母親に頭が上がらないフリーのルポライター浅見光彦が各地で類い稀なる推理力を発揮して事件の真相を追求します。お手伝いのいる実家で母親・兄の家族と共に暮らしているという設定のこの作品は、まるでサザエさんのごとく主人公の光彦はじめ作中人物はずっと同じ年齢のままで年を取らなかったのですが、115作目の『遺譜』で初めて光彦が34歳の誕生日を迎えます。
また、この作品では、凜とした母親、しっかり者のお手伝い、多くを語らずここぞというときに遠くから援助してくれる兄、事件のあった地元の警察の刑事など、登場人物との関係性や登場するタイミングなどがある程度予測できるところは、水戸黄門のようでもあります。
何作か読んでいくと、登場人物への親しみを感じていることに気づき、古くからの友人に会っているような安心感を覚えるのです。それでいて、個々の事件は、それぞれの地域性やその土地の歴史、社会問題などがからんで1作ごとに違った味わいがあり、飽きることなく読み進むことができます。
内田康夫は、書く前に細かい構想はなく、書いているうちにストーリーができていくという書き方で多くの作品を生み出しているといいます。作家になるために生まれてきたような人なのかもしれません。
彼の作品を読んでいて、あらゆる作品に共通してあふれているのは、戦争への後悔だと感じます。昭和9年生まれの自分が、戦争体験を次世代へ伝えることのできる最後の世代なのだという使命感のような思いが、数々の作品から伝わってくるのです。
昭和20年5月。22歳の海軍航空隊所属の飛行機乗り・武者滋は、厚木上空で戦闘機“月光”からB29を撃墜しようとして被弾し意識を失います。そして目覚めたのは平成21年の病院のベッドの上でした。
どうやらタイムスリップしてしまった武者に、内閣情報調査室の岩見や防衛大を卒業して間もない小山内などは好意的に接してくれますが、政治家が靖国神社を参拝することが難しい外交問題に発展するという現実が、武者には信じられません。
テレビ、車、立体交差する道路、街を歩く人達のファッション……体調が安定した武者の目に映るのは、驚きの光景ばかりです。本当なら83歳のはずでも、身体も心も22歳の彼は、なんとかこの現代で生きていく覚悟を決めたものの、次第に矛盾を感じていきます。
- 著者
- 内田 康夫
- 出版日
- 2011-08-12
勝つと信じて自分達が命を賭けて守ろうとした日本。戦友達と「死んだら靖国で会おう!」を合い言葉にお互いを激励し合ってきた自分達。ところが今の日本は、敗戦したにも関わらず目を見張る経済成長を遂げています。
物質的に満たされ何の不自由もないように見えるのに、ネットの自殺サイトなるものに集まってくる若者達。自分や戦友達が固い信念のもとでやってきたことは、無駄だったのか?この国に尽くしたことになっているのだろうか?現代社会に触れれば触れるほど、やるせない気持ちに襲われる武者でした。
そしてある時訪ねた家で、武者は、自分がモデルとして描かれている絵を見ることになります。それは、飛行機乗りになる前の淡い恋の相手・有美子が描いたものでした。有美子はまだ生きているのでしょうか?
切ないストーリーですが、武者を通して、読者も、“真の豊かさ”について深く考えさせられるのです。
中学の英語教師をしている梅原彩は、教員として勤めるのも3校目となり、情熱を持って毎日を過ごしていましたが、ある日学校を訪れた刑事から、前任校で彩の前に英語を担当していた澤先生の死を知らされます。果たして自殺なのか他殺なのか?彩は、自分が疑われているように感じ、不愉快でたまりません。
モンスター・ペアレントや採用における不正など、さまざまな問題を内包している現代の教育現場の実態がわかりやすく描かれています。
- 著者
- 内田 康夫
- 出版日
- 2013-05-23
彩の教え子の知り合いを通じて、事件解明に乗り出したのが浅見光彦です。マイペースでひょうひょうとした浅見ですが、普段の食卓で中学生の甥っ子から聞かされるモンスター・ペアレントの様子や自分達の頃とは違う中学生の言動を知り、内心で穏やかざるものを感じていました。
調べているうちに第2の事件が起こります。彩が顧問をしている陸上部員の父親が謎の死を遂げたのです。その父親は、陸上部のやり方について口をはさんできたり彩を脅したりと常軌を逸した行動で彩を悩ませていたところでした。
浅見が注目したのは、中学校の向かいに建つしょうしゃな、鎧窓のある家でした。この家の住人は、ふたつの事件に関係しているのでしょうか?
子どもを思う親の思いにじーんとしながらも、真の教育が行われることを祈りたくなる作品です。
淡路島にある小さなテレビ局で働いている松雪真弓は、ある日取材の途中で高速道路の下に横たわる死体を発見します。
一方、この時代には珍しく携帯電話を持っていなかった浅見光彦でしたが、とうとう手に入れた携帯を持って意気揚々と秋葉原を歩いていました。そこで、ふらふらと歩いていた見ず知らずの女性が突然接近してきて、「モスケ」という謎の言葉を遺して浅見の腕の中で絶命するというかつてない災難に遭遇するのです。持っていた免許証から、兵庫県淡路市に実家のある女性だと判明します。
いつもルポを書いている『旅と歴史』なる雑誌の取材で偶然淡路島に行くことになった浅見の現地案内人を務めてくれたのは、同雑誌の藤田編集長の甥でした。浅見は、なりゆきで、松雪真弓が死体を見つけた事件にも関わっていきます。図らずも浅見が死を看取った女性と淡路島で亡くなった男性には、複数の共通点が見られました。
- 著者
- 内田 康夫
- 出版日
- 2012-11-09
日本の始まりであると言われる淡路島は、歴史があるだけに地元の人でなければわからない古くからのしきたりや、言い伝えが数多く残っています。そんな歴史に触れながら、“太陽の道”を信じる新興宗教と出会うのです。
東の端にある伊勢の斎宮跡から西の端にある淡路島の伊勢久留麻神社、この2つの“伊勢”の間には、古代遺跡や神社が多く点在します。これを“太陽の道”と呼び、この道の上に存在する歴史的な神社仏閣はそれぞれに太陽の祭祀に深く関わっています。そして今回知った新興宗教の“陽修会”には、厳格な戒律がありました。教祖である新宮もまた、人間らしい悩みに苦しんでいるのでした。
亡くなったふたりは宗教上のタブーを冒してしまったのでしょうか?
上下2巻ありますが、風景描写が素晴らしく、まるで淡路島を巡っているように楽しんで読めます。歴史と俗世間の問題をうまくからめて書いてあるので興味深く読むことができ、読み終えた後には淡路島に旅行したくなります。
インテリア会社社長・瀬戸一弘の遺体が湖で見つかります。死因は窒息死。最愛の祖父の死に深い悲しみに暮れる雨宮正恵のもとに、亡くなった祖父から手紙と謎の壺が届きます。
祖父の手紙には結婚前の祖父のことと、孫娘の正恵への愛が書かれ、最後に「来た道に還ることはできても 来た道は二度と還らない」という言葉で締めくくられていました。その手紙からは、自らの死を予感していることが感じ取れました。正恵は、祖父の最後の旅の足跡を追うことを決心します。
- 著者
- 内田 康夫
- 出版日
- 2011-06-09
ルポライターの仕事で来ていた浅見も正恵に同行することになります。正恵の祖父の旅をたどっていくうちに50年も前に山の中で起こった事件との因縁を感じる浅見。
このシリーズでは、浅見が事件を追う間に、必ず若くて魅力的な女性と知り合い、女性のほうから思いを寄せられるのですが、いい雰囲気になってもそれ以上の関係には発展しないというお約束のような展開があります。今回も、美しい正恵から好意を寄せられますが、何もないまま、爽やかに終わります。
人生では、いくつもの甘い罠が仕掛けられますが、自分の幸せだけに目がくらんでしまうと、最後まで悔やまなければならない厳しさや、社会的に成功することイコール幸せではないことなどを考えさせられます。
浅見光彦最後の事件。これまでシリーズで登場してきた各地の若い女性や浅見の家族、浅見が書いている雑誌の編集長、軽井沢のセンセが出席する壮大な誕生パーティが催され、浅見は34歳になります。はじめ、いくらなんでもひとりのルポライターの浅見にこんな盛大なパーティは不似合いなのでは?と思いますが、話が進むにつれ、これもひとつの伏線だったことに気づきます。
軽井沢のセンセとは、浅見光彦シリーズに度々登場する、他でもない作者の内田康夫本人です。作中、センセは無神経で噂好きな俗人として描かれ、あわよくば浅見の事件簿の題材にならないかとプライバシーを嗅ぎまわって迷惑がられているという設定なのが面白いです。今回もパーティに遅れてきたのにごちそうを食べ尽くし、編集者に尻をたたかれながら退場する様子には思わずにやりとしてしまいます。内田康夫独特の遊び心ですね。
- 著者
- 内田 康夫
- 出版日
- 2014-08-01
浅見はドイツ出身の女性バイオリニストであるアリシア・ラインバッハの来日の際のボディーガードを依頼されます。いつもは浅見のお節介に手厳しい、警察庁刑事局長の兄からの要請もあって気が進まないまま承諾しました。
ドイツの由緒ある名門の家柄出身のアリシアの今回の来日はコンサート以外にもうひとつ、祖母・ニーナから頼まれたことを果たす目的がありました。70年前にヒトラーユーゲント(ナチス党の青少年組織)来日の際にドイツから日本へと友好のしるしに渡された、フルトヴェングラー(ドイツの指揮者・作曲者)の楽譜を、返してもらうことでした。70年前に13歳だった祖母が授与役となり、日本の秩父宮様に渡して、“インベ”という日本人が保管していました。妨害はあったものの何とか無事に楽譜を取り戻すことに一役買った浅見でした。
“インベ”というのは丹波篠山の神社の宮司・忌部のことだとわかり、軽井沢・京都と知人を訪ねながら、忌部に関わる人達の記憶を聞いてきた浅見。アリシアのコンサートツアーに付き添って丹波篠山、神戸と動くうちにふたつの事件が起こります。いずれも忌部に関わりがありそうです。
アリシアとニーナのたっての希望でドイツにまで足をのばした浅見は、ラインバッハ家と日本との絆、そして自分の祖父母も関係していた歴史の1ページに触れることに。なんと14年前にチェコで起こった日本人殺害事件の存在も知ります。
さて、フルトヴェングラーの楽譜に隠されていたのはどんな謎で、96歳でなお、かくしゃくとした老人である忌部が70年間にわたって守り続けてきたのは何だったのでしょう。
第二次世界大戦で共に敗戦国となった日独の歴史がとても興味深く、お金や貴金属よりも尊い物、一見しただけではわからない価値のあるものは、人間の心にあると教えられました。長い歴史の中では、ドイツでのナチスによる退廃芸術の摘発や、日本でも水野忠邦が天保の改革で断行した奢侈禁止令など、時の権力者の一存で芸術までを支配しようという間違いが度々起こっていますが、人間の心までは支配することはできないのだなあと痛感した作品です。
独身を貫いてきた浅見ですが、34歳を機に、結婚へと気持ちが揺らぎます。それもこの作品のひとつの見どころとなっています。
2015年から体調を崩している内田康夫。彼の旅情ミステリーで部屋にいながら日本全国、いや時には海外までの旅を堪能させてもらった読者はみな、彼の回復を祈っていることでしょう。