5分でわかる日中戦争!勝敗、目的、流れなどをわかりやすく解説!

更新:2018.2.7

日本が第二次世界大戦に本格的に参加したのは、欧米列強が占領していた中国に手を出してからでした。現代の日中間の政治問題にも繋がるこの歴史問題は国同士の見解が異なり、結論が出ていません。今回はその日中戦争について見ていきましょう。

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日中戦争とは。勝敗や目的を簡単に説明

日中戦争にはいつからいつまでという時期区分に関していくつもの解釈がありますが、日本関東軍の目的は蒋介石(しょうかいせき)の国民党軍を倒して大陸進出を図ることだったのは確かでしょう。

1931年に日本関東軍が満州事変を起こし、国際連盟から脱退。そして万里の長城を境に中国での領地を拡大し、満州国の建国を果たします。

一方、中国では共産党と国民党の内戦が続いていましたが、各地で相次ぐ反日的な暴動や運動を見かね、国民党側の張学良(ちょうがくりょう)の提案で西安にいた蒋介石が毛沢東との国共合作に同意し、中国は抗日路線へと進んでいくのです。

日清戦争以来、日本は欧米列強にならって中国大陸への野心を露骨に抱いていましたが、1937年の盧溝橋事件(ろこうきょうじけん)を境に日本関東軍と中国国民党軍は全面戦争へと突入。現在、日本では一般的にこの時から日中戦争が始まったというように理解されています。

日本は北京・天津を制圧し続いて南京も制圧、後に国民党のナンバー2である汪兆銘(おうちょうめい)を首相とした蒋介石と同じ国民党を名目とする傀儡政権を南京に樹立しました。以後、日本は南京を拠点に中国各地へ進出、その勢力はアジアの中でも抜きん出た存在になります。

しかしこれを警戒したアメリカやイギリスは日本を強く批判し経済制裁を加えます。こうして日本は日独伊三国同盟を根拠にアメリカやイギリスなどの連合国との決裂・抗戦を決定し、日中戦争と同時に太平洋戦争が始まるのです。

アメリカは蒋介石率いる国民党軍を支援し、日本は成都や洛陽などの重要拠点を徐々に奪還されてしまいます。そして日本がポツダム宣言を受諾した1945年8月15日からおよそ1ヶ月後の9月9日、南京にて連合国主催の講話調停に同意。こうして明治以来の日本の軍事進出の野心はついに完全に潰え第二次世界大戦は終わりました。

日中戦争の流れ

大日本帝国は日清・日露戦争で獲得した朝鮮半島を足がかりに、現地駐留の関東軍の中で大陸進出を計画していました。そこで関東軍の一部を主導に1931年に満州事変を起こし、清朝最後の皇帝・溥儀(ふぎ)を傀儡として満州国を建国。これは関東軍の独走であり、政府は正確にこの事件を把握していなかったと言われていますが、真相は定かではありません。

大日本帝国と中国国民党は、元々中華民国の孫文が日本と良好な関係を築いていたことから、当初はその後継者を自負する国民党の蒋介石も孫文の遺言を遵守して日本の支援を受け、南京にて政権を樹立し毛沢東率いる共産党と戦っていました。

満州事変の後も蒋介石は日本との関係を大事にしていました。しかし蒋介石側の国民革命軍のリーダー・張学良は父・張作霖(ちょうさくりん)を関東軍に爆殺されたことから日本をよく思っておらず、当時西安に逃げていた蒋介石を説き伏せます。こうして蒋介石は突如方針転換し、共産党と手を結んで日本に対抗することが決まったのです(第二次国共合作)。

ここに至るまでに日本と中国の間ではそれぞれの国民が殺される事件・暴動が頻発しており、特に日本軍部が中国に対して態度を硬化させてしまったのです。

1936年の盧溝橋事件は、こうした状況下で発生しました。日本軍の演習中に中国軍が発砲したことから小競り合いが始まったと言われていますが、真偽は定かではありません。

盧溝橋事件自体は数日で停戦協定が結ばれて終わりますが、これを口実に日本軍部が満州の維持のためにも華北の資源を狙って進出しようとしていたのです。当時、ソ連にアメリカ、イギリスといった列強が内部の混乱や欧米諸国内での紛争によって、アジアに手を出す余裕がなかったこともそれを助長しました。

そしてついに日本軍は華北で総挙兵。この時点ではまだ蒋介石も日本と和平する道を模索していましたが、同時期に上海の日本租界にて居留民が中国側の襲撃によって殺害される事件が発生します。これに対して日本軍は上海に派兵を決定、これを警戒した中国はアメリカ・イギリスが提案した停戦協定を拒否して日本基地やフランス租界に爆撃を実行、日本としても黙っていられない状況になりました。

こうして日本と中国は長年の同盟を切り、全面戦争へと突き進んでいくのです。

日本軍はまず北支と称していた河北、山西地域を制圧。一方で上海方面の海軍・空軍も徐々に戦線を押し上げ、ついに1937年11月に上海地域を完全に手中に収め、蒋介石は期待していたソ連の支援が延長されたことを受け、南京を放棄し成都に亡命します。

かくして国民党政権の首都・南京を手に入れた日本軍はそこに維新政府を樹立。まもなく、日本国内では国家総動員法が施行され国民全員が戦争のために生活を制限されてしまいます。

その後、河北軍は江蘇省の徐州を、南京軍は湖北省の漢口を攻め、ついに蒋介石のいる成都にまで戦線を伸ばします。成都に程近い重慶では日本軍によって爆撃が行われ、外国人含む4000人近い犠牲者が出ました。それからまもなく重慶から逃れていた国民党No.2の汪兆銘が南京に帰還、日本維新政府はこれを受け入れて彼を傀儡に新たな国民党政権を打ち立てました。

そして太平洋戦争へ

日本はこの時期に日独伊三国同盟を締結、アジアでの覇権を狙うために次の段階へと進もうとしていました。アメリカ、イギリスはこの日本の傍若無人とも取れる態度に対して快く思わず、両国は蒋介石の国民党政権を支援し日本に対して停戦を要求しますが、日本はこれを受け入れません。

特にイギリスはミャンマーからの中国支援に大きく貢献しており(援蒋ルート)、日本にとっては重慶攻略の大きな障害となっていました。そこで日本はアメリカに中国攻略を支援するように交渉を始めます。しかしこの時にアメリカがあげた条件を日本は南京政府解散、満州国解散、中国からの無条件撤退。日本はこれまでの努力と犠牲を否定されたと解釈したためこれを反故にし、仏領インドシナへと進駐を開始します。

とうとう連合国にまで戦争を仕掛けた日本に対し、英米両国は資金援助を凍結。アメリカはさらに日本に対して貿易に大きく制限をかけました。そして米国務長官ハルの作成した妥協案(ハル・ノート)が日本に提示されます。日本にとってはこれが中国侵略を図る上で極めて不都合な内容であったためにアメリカからの最後通告であると判断、日本は連合国との全面戦争に踏み切り太平洋戦争へと突き進んでいくのです。

一方で中国、そして東南アジアでの戦争も継続していました。結果として日本はポツダム宣言受諾の1ヶ月後に停戦協定を結ぶまで中国との戦争をやめることはできず、逆に日中戦争の終結によって大日本帝国は終わりを告げることとなったのです。
 

日中戦争必須の知識を詰め込んだ、専門書

満州事変から日中戦争にかけて、日本は軍部の独走や政党政治の崩壊によって徐々に国際社会から孤立していきます。そして拡大しすぎた戦線を収めきることができなくなり、ついに太平洋戦争の敗戦を迎えます。

本書はそうした基本的な知識を俯瞰したうえで専門的な視点から戦争の動向を説明し、そして危機の30年代と呼ばれる日本史の中の暗黒の時代について精密な研究を行っていることが特徴です。

日中戦争を研究するうえでは欠かせない一冊でしょう。
 

著者
加藤 陽子
出版日
2007-06-20

概説・入門という側面を強く持った岩波文庫のシリーズの名に恥じず、本書も著者の主観を極力排除した非常に客観的な記述が特徴です。一般的に、当時の日本が軍事派と経済派に分かれており軍部の独走が戦争の原因だという認識がありますが、実際は内閣としても戦争を通じて国益に回そうとしていたことがわかり、戦争は当時の不況に対する一貫した政治問題の一つであったことがわかります。

本書は満州事変に関してリットン調査団の資料に多くページを割いており、そこから連合国側が満州国を必ずしも日本の悪行で片付けようとしなかったこと、英米が日本に対して最後通告を突きつけたのは、日中戦争終盤で権益を犯したからであり、それまではどうにか良好な関係を築こうとしていたことなど、見落としがちな点についても書いています。

客観性が強い反面、著者独自の観点に乏しい印象を受けますが、史実に忠実な一冊として幾度も読み返す価値は非常に高いでしょう。
 

日本と中国を独特の観点から対比して見つけた、日本の失敗

著者は日中戦争を日本軍部が失敗への道を歩んだ原点であると定義づけ、非常に重視しています。

軍部がどうして独走に走ってしまったのか、その答えは実は日本の民族性にあったのかもしれません。似ているようでまるで異なる日本と中国の日中戦争について、著者は日本の戦争に対する意識面から問題提起します。
 

著者
小林 英夫
出版日
2007-07-19

本書は著者の独特な観点からの切り込みが特徴で、東京裁判の記述を多く利用していることからわかるように、結論から言うと著者は明確に当時の日本を否定しています。

偏った考えであることは否めませんが、当時の日本がそうまで追い込まれなければならなかった原因、そして日本が欧米諸国と外交で渡り合っていく上で何が欠けているのか、その失敗への道は日中戦争の時点ですでに開かれているという著者の主張は決して無視できないはずです。

本書は負の側面に目を向ける研究の大切さを教えてくれる一冊に位置づけられるでしょう。
 

陸軍、現代人が知りたい部分に焦点をあてたシリーズ作

日中戦争の直接的な原因となった陸軍の暴走というのは間違いないでしょう。ではその一人一人全員が戦争賛成で突き進んでいたのかというとそうではなく、むしろ正面衝突にまで持っていこうとしたのは少数派でした。

しかし最終的に国益を最も損なう全面戦争を選んだのは事実、ではその淵源はどこにあるのか。本書は史料を忠実に読み解いていきながら軍内部の対立構造について解き明かした非常に意欲的な一冊です。
 

著者
川田 稔
出版日
2014-11-19

陸軍は皆一致団結、戦争へ向かってまっしぐらという説は、戦後の反戦ムードの中で築かれた一面的なものといっていいでしょう。しかし常に第一線に居続け敵をよく知っている軍人が戦争を最善の選択だと盲信していたというのはどこまで信じていいものなのでしょうか。

著者が注目したのは、満州事変の立役者である石原莞爾と、武藤章や東条英機といった統制派の軍内部の政治構造です。その上開戦に至った武藤の判断が政権奪取のためにひねり出された策略であり、当時の政権には大局的に物事を判断できる人間が一人もいなかったと主張しています。

蒋介石の戦力をみくびって長期戦に持ち込んでしまった責任も、目先の利益にばかり走っていたことからきていたものでしょう。戦地からは見えてこない政権内部や軍の内輪揉めといった歪んだ構造について知るには、本書は最適な一冊です。
 

我々日本人は、アジアの一員としてもっと中国との関係について深く知るべきでしょう。

日中戦争は過去のものかもしれませんが、中国との緊迫した関係は今でも続いています。現在も続く高度な政治問題、そしてそこから導き出される我々一般人の生活の変化にどのように対処していくのか。それを学んでいくためには日中戦争を論じる以上の書は一読の価値ありです。

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