5分で分かる宗教改革!関わった主な人物なども合わせて解説!

更新:2021.11.12

宗教改革とは、16世紀ルターの免罪符批判から始まり、ヨーロッパに拡大したカトリックの批判と革新運動です。ルターはなぜ批判し、改革に着手したのでしょうか。改革の背景や関連人物など、政治・社会・経済に大きな影響をおよぼした宗教改革に迫っていきます。

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宗教改革とは

16世紀前半、当時のローマ教皇はドイツで免罪符の販売を始めました。「金を払えば、あなたが犯した罪が軽減される」と言い出したのです。免罪符販売はどんどんとエスカレートし、単なる資金集め化した免罪符は本来の意味がもはや失われつつありました。

一方で、国民にとっても真の悔い改めをする機会が減ることにもつながっていきました。

この事態を嘆いたマルティン・ルターが、1517年に免罪符販売に対して異議を唱える「95か条の意見書」を公表したのです。「信仰の拠りどころは、神の言葉を記した聖書だけなのだ」と訴えました。

また、ルターは教会を通さずに、神のそのままの言葉を国民に広げるために、聖書をドイツ語に訳して出版します。このルターのローマ教会との対立をきっかけに、聖職者の堕落などに不満を抱いていた信徒たちも立ち上がり、カトリック教会からプロテスタントが脱していきました。この革命は各国に影響されていきます。スイスではツヴァングリが、カルヴァンがフランスで宗教革命をし、その後ツヴァングリ派とカルヴァン派が合流しました。

カトリックから脱した16世紀の宗教界の革命運動を宗教改革と呼びます。  

宗教改革が起こった背景

宗教改革はドイツから始まりました。当時の神聖ローマ帝国は300もの小国という領邦が乱立する分裂状態でした。当時のローマ教皇はメディチ家出身のレオ10世です。彼はカトリックの権威を立て直すためにヨーロッパ全土から資金を搾取しており、ドイツもカトリック教会から搾取されている1つでした。

そのような状況の中で、宗教改革の直接的原因となったのが免罪符の販売です。16世紀初めからサン=ピエトロ大聖堂建設のための莫大なる経費を賄うために、教皇の許可された商人のフッガー家の知恵によって免罪符の販売を行ったのです。

その免罪符を当時のドイツ国民は爆買いしました。なぜなら13世紀にあったモンゴルの脅威やその後に起こったペストの大流行、周辺で起こる減ることのない戦争や紛争などによってヨーロッパの社会不安は避けられず、当時のドイツ国民にとって頼る者は神と教会しかなかったのです。

国民が爆買いするほど、神聖ローマ帝国のお金がローマ教皇庁へと流れる仕組みでした。そんな、当時のドイツは「ローマの牝牛」とよばれるほどだったといわれています。

カトリック教会の腐敗とローマ教皇の尊厳の衰退が、ドイツで起こった宗教改革の背景にあるのです。

マルティン・ルターについて

マルティン・ルターはドイツ中部のザクセン地方で1483年に産まれました。厳しく育てられ、13歳でドイツ各地を巡りながら勉強をし、22歳で聖職者への道を選びます。そして、アウグスティヌス修道会で神学を学び、ヴィッテンベルク大学の教授として神学を教えている最中、ドイツで免罪符の乱用販売が開始されました。

このことを知ったルターは、ローマ教皇が始めた免罪符ビジネスに異議を唱えます。ルターの思想は、信仰においてはどんな立場も関係ないとする「万人祭司」と聖書を救いの拠りどころとする信仰こそが大切だという「福音主義」でした。

したがって、彼は免罪符の乱用は信仰自体を馬鹿にしているとして、1517年に「95か条の意見書」をヴィッテンベルク大学の教会の扉に公表することで教会の腐敗を訴えたのです。この中で、ルターは教会の腐敗を指摘するとともに、「信仰とは何か」ということを人々に問いかけました。

免罪符販売に反対派のルターは1521年にローマ教会から破門宣告され、ヴォルムス帝国会議での処刑宣告を受けながらもヴァルトブルク城に閉じこもり、聖書のドイツ語訳に集中しました。それまでラテン語のため、ドイツでも一部の人間しか読めなかった新約聖書をドイツ語に訳し、印刷することで一般人でも読めるように手配したのです。

また、文字だけでなくイラストを用いた広告で広めるなど、ドイツ国民が教会の言葉を通さずとも神の言葉を直接知れるようにも努めました。

カトリック教会の腐敗にメスを入れたルターの運動は各国にも影響し、スイスやフランスなど様々な国で宗教改革運動が始まっていきました。  

ジャン・カルヴァンについて

1509年、フランス北部のピカルディ地方に生まれたジャン・カルヴァンは聖書の教えに忠実な神学者であり、マルティン・ルターと並んで宗教改革の中心人物です。パリ大学に進学し、神学を修めた後はオルレアン大学へ進み、法律を学びました。

「宗教改革」の発端を作ったルターの著作を読み、ルター派に影響された彼は、カトリック協会から離脱した後、1536年にスイス・ジュネーヴで彼自身も改革に取り掛かります。彼は「神権政治」による厳しいキリスト教に基づく政治改革を目指しました。聖職者の立場を政治にまで拡張しようと考えた点が、ルターの主張した「万人祭司」とは異なる部分です。

彼の求める厳しい規律は市民に受け入れられず、1度はジュネーヴを離れましたが、1541年に再度ジュネーヴに戻り、改革を続けました。結果、1541年から14年ほど、ジュネーヴで市政を握るほどになり、神権政治を実行しました。

彼が唱えた「予防説」とは、救済は神によって事前に定められているため、自分の役割は神から授かったものとして誠実に努めるべきだとする考え方です。勤労を奨励するこのカルヴァンの考え方は、近代ヨーロッパの資本主義の発展を促しました。また、カルヴァンは科学研究や芸術の重要性も主張し、ジュネーヴはカルヴァンの支配下で大きく繁栄していったのです。    

「宗教」を理解するためのヒントが得られる

プロテスタンティズムといってもナショナリズムや保守主義、リベラリズムと多種多様です。しかし、その多様性を許容することもプロテスタンティズムの1つなのかもしれません。本書では、ドイツ社会思想史の中でのプロテスタンティズムが語られ、ひとくくりにされがちなプロテスタンティズムの流れをつかむ視点を与えてくれます。

著者
深井 智朗
出版日
2017-03-21

ルターの免罪符に対する批判は、神学上の問題にとどまらず、社会的、政治的な問題にまで飛躍し、様々な国へ影響をおよぼしました。

当時のドイツ国民は何に恐怖し、なぜあれほど免罪符は必要とされ、宗教革命がどんな背景を辿って行われたのか、そんな疑問を説くカギが本書には隠されています 。アメリカやドイツの国民性にも言及していますが、内容は固くなりすぎず、説明もわかりやすく丁寧に書かれているため、宗教の分野が得意でない人でも簡単に読めますよ。

宗教改革に翻弄された一般市民のエピソード

ドイツでの宗教改革に翻弄された当時の人々の動きに焦点をあてた、よくある宗教改革について書かれた本とは少し違った感覚で読める一冊です。

著者
永田 諒一
出版日
2004-03-21

カトリックとプロテスタントが仲違いをした結果、暦の問題やキリスト教徒カップルなのに宗派が異なる問題など、当時の生々しい生活ぶりが描かれているため、生きている歴史に触れ合うことができるでしょう。ただし、本書はあらかじめ宗教改革の流れやキリスト教の流れを把握していた方が面白く読めますので、上記で紹介した『プロテスタンティズム - 宗教改革から現代政治まで』を読んでから読むことをおすすめします。

改革に貢献した偉大なる多彩な関係者たち

ドイツの宗教改革はマルティン・ルターが異議を唱えなければ成り立ちませんでした。しかし、このような功績は個人の力では到底作り出せず、多数の支持者と後援者が傍らにいたという事実を忘れてはいけません。

著者
マルティン・H. ユング
出版日
2017-08-10

例えば、ルターにはカタリナ・フォン・ボラという妻がいました。彼女はルターの革命の裏で、「女主人」といわれるほど必死に家事と育児、そして農作業をし、ルターを支え続けました。ルターの宗教改革の裏には多くの支援者の働きがあったのです。

本書は、有名無名は関係なく、政治家や芸術家、女性やユダヤ人に至るまでと宗教改革史に影響をおよぼした人々について書かれています。宗教改革を表の部分だけでなく、ルソーをバックアップした人々に着目している珍しい一冊です。

欧米社会を理解するためにはキリスト教への理解は欠かせません。宗教改革は当時の世俗化し、堕落したカトリックの立ち直りを手助けしたともいわれています。その後、各国に拡大していき、近代のヨーロッパの礎を築きました。宗教界以外にもさまざまな影響を与えた宗教改革について、今回紹介した3冊を読んでさらに深く読み解いてみるのはいかがでしょうか。

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