5分でわかる真珠湾攻撃!概要と真相、海外の反応などをわかりやすく解説!

更新:2021.11.12

1941年12月8日、日本軍がハワイ真珠湾に停泊中のアメリカ太平洋戦艦を攻撃しました。よく「だまし討ち」とも揶揄されますが、その真相はどのようなものだったのでしょうか。この記事では、真珠湾攻撃の概要と真相、海外の反応などについてわかりやすく解説し、あわせておすすめの関連本もご紹介していきます。

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真珠湾攻撃の概要を紹介。司令長官は山本五十六

 

1941年12月8日未明、ハワイのオアフ島真珠湾に停泊していたアメリカ太平洋戦艦と基地に対して、日本軍が攻撃をしました。

当時は日中戦争の真っただ中。広大な中国大陸での戦いに苦戦していました。日本のアジア進出に納得のできないアメリカは再三撤退を要求していましたが、日本はそれを拒絶しながら戦っていたのです。

そんな日本に対してアメリカがおこなった制裁が「石油の禁輸」です。全体の8割もの石油をアメリカから輸入していた日本にとって、この制裁は大きなダメージでした。

軍の原動力の減少にもつながりましたが、これまでの多額の投資を考えると、いまさら引くことはできません。日本はその後の撤退要求にも拒絶を続けました。

中国大陸から引くことはできない、しかしアメリカを本気で怒らせるといつ戦争を仕掛けてくるかわからない……そこで日本が考えたのは、アメリカが戦意を無くすほどの猛攻をして講和に持ち込む「短期決戦作戦」です。

当時の連合艦隊司令長官である山本五十六は、この作戦を成功させるためには、まずアメリカの戦術の要である「空母」の撃墜が必要だと考えます。そして、その空母が待機していた場所こそ、ハワイの真珠湾でした。

 

真珠湾攻撃は宣戦布告をしていた?奇襲の真相。

実は山本は、真珠湾をどう攻撃するか作戦を考える一方で、アメリカとの開戦を回避する方法も考えていました。どうにか日中戦争を認めさせ、石油の禁輸を解除してもらう道を模索していたのです。

しかし11月27日、アメリカから交渉の打ち切りのとも思える「ハル・ノート」という交渉文書が提示されます。そこには中華民国からの撤退だけでなく、ドイツ・イタリアとの「三国同盟」からの脱退など、アメリカの主張が書かれていました。

この要求を受け入れることは不可能だと感じた日本は、交渉決裂とし、開戦を覚悟したのです。

また真珠湾攻撃についてよく言われるのが、日本が本来しなくてはならない宣戦布告をおこなわず、「だまし討ち」をしたということです。しかし昭和天皇は、首相の東条英機に対して、攻撃をする前には絶対に宣戦布告をするよう忠告していました。

東条から駐米大使に予定どおり電報が届けられましたが、実際にハル国務長官に手渡されたのは現地時間の14時20分ころ。真珠湾攻撃から1時間ほど経った後だったのです。

遅延が生じた理由は諸説あります。

1:大使館員の怠慢
 

開戦前日に送られた電報の解読は、秘密保持のためタイピストの使用が禁じられ、字の修正や削除などをする際ははじめから書き直す必要があり、清書にとても時間がかかる状況でした。

そんななか、長文のため分割されていた902号の電報の14部が大使館に届かないという事態が起こります。最終的に15時間以上遅れて到着し、しかも長文で誤字脱字が多かったため、清書に時間がかかってアメリカ政府に手交する時間が大幅に遅れてしまいました。

2:陸軍参謀本部の作戦
 

遅れて到着した902号14部には、開戦直前にも関わらず「大至急」ではなく「至急」と記してあったという説があります。陸軍参謀本部が真珠湾攻撃を成功させるために、文書を意図的に遅らせたのではないかと推測されているのです。

3:その他

アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領は、すでに奇襲作戦に対する解読を知っていたという説もあります。それなのに日本の攻撃を許したのは、日本側に暗号が解読されていることを知らせないため、アメリカ国民の感情を戦争へと奮い立たすため、ドイツとの開戦理由が欲しかったためだといわれています。
 

真珠湾攻撃に対する海外の反応は?

 

国際的なルールとして開戦前の宣戦布告が規定されていましたが、「最後通牒」までは紳士的におこなうことはあっても、当時これを守っている国はほとんどありませんでした。

インドのパール判事や、アメリカのグルー駐日大使などは、「日本がハル・ノートを受け取った時点で戦争のボタンは押された」と述べています。

ちなみに日本軍は真珠湾攻撃よりも先に、マレー侵攻をしてイギリス軍に攻撃していました。こちらには宣戦布告をしていませんが、このことに対してイギリスが非難したことはありません。攻撃を仕掛けてくることを双方とも承知していたからです。

 

真珠湾攻撃に至るまでのドキュメンタリー

著者
森 史朗
出版日
2006-12-01

開戦に至るまでの経緯や、外交、暗号、日米相互の思惑などを詳細に記してある一冊。濃密なドキュメンタリーです。

日本人がアメリカとどのように戦い、どのような選択がミスだったのかということを、膨大な取材と史料から語っています。読み進めていくと、当事者ひとりひとりの心理面も推測することができるので、当時の状況をより深く考えることができるでしょう。

日本はなぜアメリカと戦争をしたのか

著者
半藤 一利
出版日
2003-12-01

多くの史料をもとに、真珠湾攻撃にいたるまでの日米外交官の交渉、戦争反対派の人々の努力、開戦を推し進める軍部などさまざまな人の奮闘を時系列で描いています。

「なぜ日本は大国アメリカと無謀な戦争をしたのか」という疑問を解消する大きなヒントになるかもしれません。開戦までのプロセスを知るに十分な一冊です。
 

真珠湾攻撃で「トラトラトラ」を送った男

著者
淵田 美津雄
出版日
2010-11-12

「トラ・トラ・トラ」という言葉を知っているでしょうか。真珠湾攻撃が成功したことを伝える電報の、暗号略号です。攻撃隊総指揮官の淵田美津雄が打電しました。

本書は、そんな彼の人生をとおして見る戦争の記録です。

内気だった少年時代、ひとりの人間としての戦争に対する葛藤、大将としての立場、戦後のキリスト教への目覚め……数々のエピソードが臨場感あふれる筆致で詳細に記されています。

真珠湾攻撃を指揮し、太平洋争を戦い抜いた男の人生に触れてみてください。
 

戦争自体が非人道的行為であることは間違いありません。しかし過去の出来事を振り返り、未来に活かすことはできるはずです。まずは事実をしっかりと知るためにも、ぜひご紹介した3冊を読んでみてください。

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