政治家の汚職事件として類を見ない、日本全土を巻き込んだ「ロッキード事件」。不審死やアメリカの陰謀説なども飛び交いましたが、その真相はどのようなものだったのでしょうか。この記事では、事件の概要と主要人物、真相やその後をわかりやすく解説し、あわせておすすめの関連本もご紹介していきます。
アメリカの有名な航空メーカー「ロッキード社」の航空機受注をめぐり、およそ30億円もの工作資金が日本政財界にばらまかれた戦後最大の汚職事件です。
1976年に明るみになり、当時衆議院議員だった田中角栄元首相を含め複数の政治家が逮捕されるという、前代未聞の事態となりました。
田中角栄
ロッキード事件の中心人物としてまず名前があがるのが、田中角栄です。1918年に新潟県で生まれ、高等小学校を卒業後は土木派遣所に勤めます。その後「田中土建工業」を設立、1946年の衆議院議員選挙に立候補しました。この時は落選しましたが、翌1947年に当選。
1972年には自民党総裁となり、内閣総理大臣に就任しました。
その後は数々の議員立法を制定し、「日本列島改造論」を掲げ、高速道路を整備するなど改革を勧めます。
しかし1976年にロッキード事件が発覚。1972年におこなわれたアメリカのニクソン大統領との会談で、ロッキード社の航空機3機種を導入することに同意する報酬として、5億円を受け取っていたのではないかと疑われました。
児玉誉士夫(こだまよしお)
そしてもうひとり知っておきたいのが、児玉誉士夫という人物です。彼は、政治家だけでなくCIA・GHQ・暴力団などへのパイプを持っていたとされ「政界の黒幕」と呼ばれていました。
当時賄賂として用意された30億円のうち、彼が「コンサルタント料」として受け取ったのは21億円にものぼるといわれています。また実は1958年ころから、 ロッキード社から戦闘機購入の依頼をされていたそうです。
窮地に追い込まれることになったのは、アメリカ議会上院でおこなわれた公聴会でのことでした。ロッキード社が、児玉や商社の「丸紅」を通じて当時首相だった田中に5億円を渡していたこと、児玉自身にも多額の賄賂を渡していたことが告発されたのです。
事態が明るみになると、児玉は脱税と外為法違反で在宅起訴。その後は1度公判に出廷し、それ以降は病気と称して自宅から出ることはありませんでした。およそ8年ほど引きこもっており、その間も数々の大物が彼の家に出入りしていたといわれています。
判決が出る前の1984年に、72歳で亡くなりました。
戦後最大のフィクサーといわれる児玉は、文字通り多くの謎を墓場にもっていったといえるでしょう。
なぜロッキード社は、多額の献金をしてまで日本に航空機を売りたかったのでしょうか。
まず当時のアメリカ政府は、民間企業との繋がりを強めていました。ニクソン政権時には、「ベトナム戦争」の需要もあって官民一体となって成長していきます。
そして、民間の兵器の輸出を促進させるために、多額の賄賂が使われていました。
しかしベトナム戦争が終焉に向かいだすと、兵器需要は下落。政権と強く結びついていたロッキード社も経営難に陥っていたのです。
さらなる輸出の拡大が必要になったアメリカは、その売り込み先のひとつとして日本を選び、一連の事件が起こりました。
この不正取引が発覚するのは、1976年2月にアメリカ議会上院でおこなわれたロッキード社副社長に対する公聴会でのことです。門外不出のはずの極秘資料が、小包となって届けられました。
「誤って配達されてきた」とのことですが、超重要書類が入ったものが公聴会の場所に送られてくるのは不自然に思えます。ここで、アメリカの陰謀説が浮上してくるのです。
当時、田中角栄は、日中国交正常化をして独自に中国と協定を結び、独自の外交でエネルギーの調達ルートを確保しようとしていました。この行為が、アメリカの逆鱗に触れたのではないかとされています。
真実はいまだ解明されていませんが、田中はアメリカという虎の尾を踏んでしまったのかもしれません。
事件後に起訴された主な人物は、田中角栄と児玉誉士夫をはじめ、元運輸大臣の橋本登美三郎、丸紅の檜山廣会長、全日空の若狭得治社長など16人です。
また、事件を担当していた日本経済新聞の記者が急死、田中の運転手を務めていた者と児玉の通訳をしていた者が相次いで不審死を遂げるなど、関係者の怪死が相次ぎます。
中心人物だった田中自身は、一審で懲役4年の有罪判決が下りましたが、上告審の最中の1993年に死亡したため公訴棄却となりました。今も多くの謎を残したままです。
- 著者
- 木村 喜助
- 出版日
著者は、田中角栄と彼の秘書官の弁護人を務めていた人物。読む前はともすれば言い訳が書き連ねてあるのではと想像するかもしれませんが、実際に読んでみると、事件に振り回された田中の姿が浮かび上がってきます。
アメリカにしか証拠とされるものが無く、当時の日本がいかに不透明なものに振り回されていたかを知ることができるでしょう。
- 著者
- 平野 貞夫
- 出版日
- 2006-07-25
戦後の政治家のなかで、田中角栄ほど評価が分かれる人物もいないでしょう。地方を潤して日中国交正常化を果たした一方で、金権政治の象徴としても名高い人物です。
本書は、衆院議長秘書だった著者が当時書き残していた大量のメモをもとにして書かれています。事件に左右される国会の様子を臨場感を持って知ることができるでしょう。
- 著者
- 早野 透
- 出版日
- 2012-10-24
著者は、朝日新聞社で田中角栄の番記者をしていた人物。1対1で過ごした時間も多いらしく、田中の人となりが伝わってきます。
「日本列島改造論」を掲げ、義理人情に厚く、官僚のコントロール術にも長けていた彼は、政治家として天才的な才能を持っていました。良くも悪くも日本のリーダーだったのです。田中の人間味を感じられる一冊でです。
まだまだ疑惑の残るロッキード事件。田中角栄が悪い、とひと言で片付けられるものではないのかもしれません。