5分でわかる薩摩藩!藩主や場所、西郷隆盛と島津家などをわかりやすく解説!

更新:2021.11.12

幕末から明治維新にかけてたくさんの偉人を輩出した薩摩藩。藩人口の4割が武士だったなか、柔軟に時代を読み、独自の体制を築きあげました。この記事では、藩の概要や歴史、西郷隆盛など有名な偉人を詳しく解説するとともに、おすすめの関連本を紹介していきます。

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薩摩藩の概要を簡単に紹介!藩主は島津家

 

現在の鹿児島県全域と宮崎県の南部、沖縄県の大部分にあたる土地を領有していた薩摩藩。藩主は島津家で、最高石高は90万石あり、その規模は大名のなかで最大の加賀藩に次ぐ大規模なものでした。

島津家は、鎌倉時代のはじめに薩摩・大隅・日向の3国の守護を命じられたときからこれらの地域を治めている長い歴史をもつ戦国大名。室町時代、戦国時代には九州最強を誇っていました。1600年に起きた「関ヶ原の戦い」では、西軍につきながらも領地を減らされなかった唯一の大名でもあるのです。

この時、井伊直政を通じて島津義弘の三男である家久が当主に任ぜられ、「薩摩藩」として正式に成立したとされています。

また、西洋式の軍備や藩営工場の設立、思想の切り替えの早さなど、彼ら独自の柔軟性も特徴です。特に武士道を第一にして弱いものいじめを禁止し、私欲を慎むことなどを盛り込んだ「郷中教育」は、薩摩藩独自の伝統的なもので、現在も気風として残っています。

輩出された偉人として有名なのが、西郷隆盛や島津斉彬(しまづなりあきら)でしょう。このほか明治維新で活躍し近代日本の礎を築いた大久保利通や、江戸城の無血開城に尽力した天璋院篤姫、日露戦争で連合艦隊司令官長官として活躍した東郷平八郎などがいます。

幕末から明治にかけて数々の偉人を生み、第一次世界大戦までの政治体制だった「藩閥政治」の中心権力として、日本を牛耳っていました。

 

薩摩藩の歴史

 

鎌倉時代に薩摩・大隅・日向の守護を命じられた島津家が統治をはじめた薩摩藩。有力な分家から養子を受けることで、代々家督を継続し、維持されました。

1600年の「関ヶ原の戦い」を乗り越え、1609年には琉球を征服し、大藩となります。

彼らが長い間武力を維持できた大きな理由のひとつに、独自の統治システムである「外城制」というものがあげられます。領土をいくつか「外城」に分け、武士たちに治安維持にあたらせました。1615年に江戸幕府が「一城一国令」を発布した際も、鹿児島城と外城との支配体制を保っています。

島津斉彬は1851年に11代藩主に就任。日本初の西洋型帆船や、ガラス、火薬など複数の分やで洋式の工場を建設し、産業の発展に貢献しました。

1863年に「薩英戦争」が勃発。イギリス敗戦したものの、その後は討幕派が主導を握り、薩長同盟を結んで明治維新の主格として奔走します。

1871年の廃藩置県をもって、鹿児島県となりました。

 

薩英戦争とは。薩摩藩とイギリスが接近するきっかけ。

 

1863年に勃発した薩英戦争のきっかけは、その前年に起こった「生麦事件」です。12代藩主・島津茂久の父・久光が大名行列をおこなっている際、イギリス商人のリチャードソンら4人が乱入し、彼らを「無礼討ち」と称して死傷させました。

この事件にイギリスが激怒、犯人の差出しと賠償金を求めます。しかし当時の常識として、大名行列中は、庶民は顔を伏せるというものがあり、薩摩藩は「責任なし」という見解を示したのです。

これを受けてイギリスが薩摩船を拿捕、対して薩摩藩も砲撃したことで開戦となりました。

結果はイギリスの勝利でしたが、両者とも甚大な被害を受け、痛み分け。ただこの戦いを通じて双方に相手方を評価する機運が生まれ、友好関係を深めていくきっかけとなりました。

 

幕末に活躍した西郷隆盛と島津斉彬

 

西郷隆盛

1828年に西郷吉兵衛の長男として生まれ、盟友の大久保利通とともに厳しい教育を受けて育った隆盛。1844年には「郡方書役助」という役職に就き、1854年には島津斉彬の参勤交代にお供します。

このころ「御庭方役」という他藩の情報収集や動向を探る職に就いたことが、本格的な政治活動の始まりでした。

1858年に斉彬が急死した後は、新藩主となった久光との対立もあり、奄美大島や沖永良部島に流されます。その後1864年に帰還。1866年には薩長同盟を結び、王政復古の大号令を指導するなど倒幕運動の中心として活躍しました。

1868年に「戊辰戦争」が勃発。勝海舟と会談し江戸城を無血開城させたことは、彼の有名な功績のひとつです。

明治政府成立後は、「岩倉使節団」の欧米歴訪の際に「留守政府」を任されるなど中心人物として活躍。しかし征韓論に敗れ再び薩摩に帰りました。

その後は私学校の設立に尽力したものの、1877年に生じた「西南戦争」で政府軍より銃撃を受け、49歳で亡くなります。

島津斉彬

10代藩主・島津斉興(なりおき)の長男で、11代藩主となった斉彬。1809年に江戸の薩摩藩邸で生まれ、医学、物理、蘭学などを学びながら育ちました。

1851年に藩主となり、西郷隆盛や大久保利通を登用して育てた名君です。産業や富国強兵策による軍備の強化を進め、軍備近代化に努め、反射炉や地雷、火薬などの制作も他藩より先駆けて実験に乗り出しました。

1856年には養女である天璋院篤姫を、13代将軍の徳川家定の正室に嫁がせ、幕府への発言力を高めます。しかし1858年に体調が悪化、急死してしまいました。

藩主として力をふるったのは7年ほどですが、人材育成や西洋技術の取り入れなど、藩の発展になくてはならない人物でした。

 

薩摩藩と長州藩の「藩閥政治」とは

1871年に廃藩置県が実施されたことで、これまでの知事藩は廃止され、代わりに県令が派遣される中央集権体制ができあがりました。この時派遣されたのはほとんどが薩摩藩か長州藩出身の者で、中央だけでなく地方の要職も薩長色に染められていったのです。
 

このような排他的な政治体制を「藩閥政治」といいます。

2つの藩がここまで権力を独占できたのは、ひとえに尊王攘夷運動から倒幕への転換をリードしたからにほかなりません。

やがて征韓論で明治政府が分裂し、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允などが亡くなったことから、薩摩藩の勢いは衰えはじめます。伊藤博文、山縣有朋などに代表されるように、指導者は長州藩が独占するようになりました。

薩摩藩と西郷隆盛を知るならこの一冊

著者
林 真理子
出版日
2017-11-01

 

2018年NHK大河ドラマの原作となった歴史小説。西郷隆盛の青春時代やおおらかな人間性を、女性ならではの視点で描いています。

基本的に内容は史実に忠実ですが、日常の細かいやりとりなども記されているので、楽しく読み進めることができるでしょう。

読者もそこにいるかのような錯覚に陥るほど場の雰囲気をうまく表していて、薩摩藩士として活躍した西郷隆盛の人間像をイメージできる一冊です。

 

明治維新の裏で犠牲となった奄美諸島

著者
大江 修造
出版日
2010-03-09

 

明治維新を実現した原動力としては、幕末藩士たちの結束力などメンタル面が強調されがちですが、本書は経済的な視点から解説をしています。

薩摩藩の財政収入のうちの約半分は、奄美諸島で栽培される黒糖でした。明治維新は、ここで得た財源をもとに成り立っていたと著者は分析しています。

新しい日本へと生まれ変わる改革の裏でどんなことがおこなわれていたのか知ることは、当時のさらなる理解に繋がるでしょう。
 

 

薩摩藩を支えた縁の下の力持ち

著者
佐藤 雅美
出版日
2001-07-01

 

現在のお金に換算して約2500億円もの借金を整理し、財政再建に尽力した家老・調所笑左衛門。

悪人というイメージで扱われることも多いですが、本書では、ひたすら実直に政策を学び、藩の立て直しを図った男として描かれています。一体彼は、どのような方法で莫大な借金を返済し、さらには資金を蓄えたのでしょうか。

薩摩藩を縁の下の力持ちとして支えた人物のことがよくわかる歴史小説です。

 

熱心に西洋文明を取り入れてきた薩摩藩。日本の歴史を語るうえでも欠かせない働きをしています。ぜひこの機会に知ってみてください。

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