ある韓国料理店でロケをした。ロケスケジュールを見た時から何だか見覚えがある名前だなと思っていたら、以前にも違う番組で行ったことのある店だった。
すっかり忘れていたが、外カリッ!中トロッ!の、具がたっぷり入ったボリュームのあるチヂミがとても美味しい店で、そういえば他でチヂミを見るたびに、記憶の端っこにうっすらと登場する店ではあった。
ロケで美味しいものに出会える確率は高いが、その味に再会できる確率はかなり低い。場所を覚えていなかったり、覚えていたとしても車でしか行けないようなところだったり、誘う友達がいなかったりと、理由は様々だが、一番は取材をしたからと言って、何かサービスされるのが恥ずかしいのだ。
サービスされたくないわけではない。単純にうれしい。でも「何か期待してきやがったな」と思われるのは恥ずかしい。しかし、そもそもすっかり忘れられていることもある。それはそれで、ただ美味しいものを食べて普通に帰るだけなので特に問題はないのだが、微妙に覚えられていることもあって、これがまた恥ずかしい。
取材をしたことがある店に食事に行っていると、「あれ、この人何か見たことあるな」という視線を送られる。その視線に気がついてしまった時が葛藤のはじまりだ。「以前は◯◯のロケでお世話になりました!あの時はどうもっ!」と、爽やかに挨拶すれば印象も良さそうなものだが、自らアピールすることによって、サービスされたがってる人に見えないだろうかと不安になる。
しかし、無視するわけにもいかない。いい女風の素敵な笑みを浮かべながら「以前はお世話になりました」という絶妙なニュアンスを含んだ「ごちそうさま」が言えるほど器用でもない。
勇気をだして声をかけたのに、多分向こうは全く覚えておらず、思いっきり「誰ですか?」という顔をされた経験もある。これはもう走って逃げたいくらい恥ずかしい。なので、余程のことがない限り「行かない」という選択になる。
話はそれてしまったが、その韓国料理店のチヂミは、初めてチヂミを美味しいと思ったほどのレベルで、初恋のチヂミに関してはどんなリスクを負ってでも食べたいと思っていた。店の名前が思い出せないときにインターネットで調べたこともあった。
にも関わらず、本当にすっかり忘れていた。日々、いろんなロケをしているからなぁ……と、その時のロケのことを思い返してみると、訪れたのは約10年前のことだった。
じゅ、じゅ、じゅじゅ……じゅうねん! 70歳の人から言えば、10年なんてそれほど昔のことでもないだろうが、私にとっての10年は人生の約三分の一。今の仕事を始めてから10年以上経過しているのは理解していたが、久方ぶりに同じ店で取材をするということに、良く言えば感慨深いような……正直に言えば何か少しショックだった。
10年も経っていたなんて。それほど遠い店でもないのに、いつかまた来たいと思いながら10年経っていた。それも、どこかの時点でガラッと生活リズムが変わったわけでもないのに、ただ10年という時間が流れただけのような気がする。想像する「未来の10年」は途方もないくらい長い時間に感じるが、過ごしてきた「過去の10年」はあまりにもあっけなかった。
何より、10年前と何も変わってない自分が悲しかった。あの時と同じように仕事をして、同じようなことを恥ずかしく思い、同じような毎日を過ごしている。もちろん、顔は老けてきているし、着る服も変わっている。
でも外見だけが入れ替わっているだけで、中身というか、気持ちが全然ついてきていない。22歳の自分と32歳の自分に、10年分の成長なんてこれっぽっちも見受けられない。
気持ちの面で言うと、私は未だに自分の職業を言えないでいる。何かの入会の際に記入する用紙の職業欄のどこにマルをつければいいのかわからないし、ふいに出会った人に職業を聞かれたら、もごもごと「派遣の仕事をしています」と答えてしまう。
「マスコミ関係の仕事をしています」と言ったことも何度かあるが、だいたい詳しく聞かれて困るので、派遣と言うようにしている。ギリギリ嘘じゃないし。「タレントです」なんて恥ずかしくて言えない。
自覚を持って仕事をしていないと言われそうだが、まさにそうなのだ。自覚がない。19歳になろうとしているとき、アルバイトのような感覚でタレント事務所に入った。ぼんやりとよくわからない夢を抱いてはいたが、その不確かな夢を持ったまま、ただ目の前にある仕事を続けてきた。
先が見えないと何度も仕事をやめようとした。そのうちの何回かは事務所にも相談した。その度に「続けていれば何かが見える」と言われ、かしげた首をむりやり縦に振り、適当に納得して続けてきた。
何となく過ごした、10年。いや、10年以上。振り返った時間があまりにも長くて、その上に空っぽで、チヂミどころの騒ぎではなくなった。このまま今の仕事を続けていいものなのか。久しぶりに悩んだ。ひとつひとつの仕事で悩むことはあっても、仕事そのもののことで悩むのは久々に味わう感覚だった。
ただ、その「久しぶり」という感覚が少し嬉しくもあった。日々の仕事に悩むのが精一杯で、大きく振り返っている暇がなかったのだ。これを成長だと言えるほど能天気には考えられないが、ある人の言葉を思い出した。
仕事が上手くできないとジメジメ悩む私に「悩まんようになったら成長は止まるんやで」と教えてくれた人がいた。「だから悩め」と言ってくれた。それから「悩む」という行為が随分楽になったことを思い出した。
できないから、やるのだ。やるしかなかったのだ。10年間、何もできなかったから今も続けているのだ。「できた」と思ってしまえば、飽きてやめてしまっていたかもしれない。堂々と職業を言えるようになっていたら、今とは違う生活になっていたのかもしれない。それが、今より豊かな生活だったとしても、過去に戻ってやり直すことはできない。
未来の10年はまだ何も見えていない。見えないから、超こわいし、超不安。でも、10年ぶりに同じ店でまた仕事ができたことで、まだ何もできない自分を振り返ることができてよかった。振り返ったところで、特に何もなかったけれど、何もないなと気づく時間は必要だと思う。
チヂミよ、ありがとう。まだまだやり残していることがありそうです。
10年ぶりに食べるチヂミの味は…と書きたかったが、なんとそのロケで食べたものは「タコの踊り食い」だった。今度こそ10年以内に、初恋のチヂミに会いに行こうと決めた。案外あっという間だから、急がなくちゃ。
- 著者
- 西 加奈子
- 出版日
- 2009-12-09
ここで西さんの本ばっかり紹介しているような気がしますが、それほどに好きなのです。迷った時、悩んだとき、西さんの本にどれだけ笑わされたか。
どうしようもない主人公ふたりを、俯瞰して眺めながら、「自分はまだマシだ」とか「関係ない世界の話だ」とか考えながら読んでいたら、いつのまにかそれが自分のことのように思えてきます。
まるっと自分と重ね合わせられるわけじゃないけど、なぜか共感してしまうのです。どこまでも人間らしい作品。
- 著者
- 道尾 秀介
- 出版日
- 2016-11-17
場末の釣り場で、釣った魚をポイントと交換し、そのポイントで得た商品で生活をしている男を中心に、冴えない日々を送る六人の男女の物語。
物語の展開に少しもどかしさを感じたりもしますが、浮世離れしているはずの登場人物がとても生き生きとしています。釣り名人の生活が不健康そのものなのですが、なんとなく羨ましかったり。
どんな生き方をしていても、その中で幸せを感じられたら、その幸せの種類なんて何でもええんやろうなぁとこれを読んで思いました。
小塚舞子の徒然読書
毎月更新!小塚舞子が日々の思うこととおすすめの本を紹介していきます。