私は、りんごの皮剥きができない。 りんごは好きだけれど、包丁で皮剥きすることからは逃げ続けてきた。
子どもの頃、母に何度か練習をさせられたことはあるけれど、まず包丁がおっかないし、手はびしゃびしゃになるし、剥きすぎた表面はポリゴンのようにギタギタだし、剥くのに時間がかかりすぎて食べる前からちょっとりんごが変色してくるしで、りんご1個を食べるまでには半泣きのへとへとになっていた。
頑張って剥いたりんごはさぞ美味しかろうと思うかもしれないが、りんごだった。
そこで私はりんごの皮剥き付きの人生を早々に諦め、すべての野菜と果物をピーラーで剥く人生を選んだ。
とはいえ私だって、りんごの皮剥きができない私に少しだけ後ろめたさがあるのだ。「りんごくらい剥けないの?」って、こんな話題になることもあんまり無いから面と向かって人に言われたことはない。
けれど、私が私に向かって「いいかげん、りんごの皮剥きくらいできるようになれよ」と囁く。
でも、頭の中でささやく私と右手に包丁、左手にりんごを持つ私は完璧に同期されてはいない。「怪我をしたら明日の仕事に差し障るかもしれないからいいです」と、包丁をピーラーに持ち替えて、目の前のりんごの赤い皮を一直線に剥いてゆく。
私は「実はできないこと」がまだいくつかある。すべて子どものときに生活のなかで身につけそうだったけれど、面倒くさがって身につけなかったものだ。
たとえば折り鶴。あれも折れない。5歳かそこらのときに何かの拍子であれを提出しなくちゃいけなかったので、母に折り鶴の折り方を習ったけれど、あまりにつまんないし自分で折った鶴が不細工すぎたのにがっかりして以来、折り紙は折っていない。
折り鶴を見ると、あまりに折れなくて最終的に怒りながら泣いたこととか、母が折っているのを隣で見てひと工程ずつ真似するのにすべての折り目が少しづつずれていくことへの絶望を思い出さずにいられない。
この間、仕事で墨田区の区役所へ行ったら4,5メートルはあろうかという高い壁一面に、折り鶴で作られた巨大レリーフがあって、なんだかげんなりするとともに感動した。
学校の中では何かと鶴を折らされがちだったけれど、私が折り紙をめちゃくちゃ嫌いなように、折り紙を折るのがめちゃくちゃ好きな子がクラスに必ずいてくれたので、自分の分も折ってくれるようお願いして折ってもらった。
そういえば弟は子どもの頃から何かと折り紙が好きで、折り紙の本を見ながらよく分からない複雑な作品を丁寧に折っていた。
たしか引っ越す前の家にあるテレビ台の、右側の引き出し一番下の段には弟の折ったいろんな動物が色とりどりに詰まっていた気がする。
いや、これは全然うそかもしれない、折り紙の話ってついこうやってそれっぽくきれいな思い出を語りたくなっちゃうけれど、私の場合はうそかもしれない。
あと、トランプ遊びもできない。わざわざルールを覚えてまで遊ぶことに興味が持てなかった。
だったら私はひたすらにお絵かきがしたかったので、友達がトランプを始めると自由帳を開いて延々絵を描いた。
今は、わかれば楽しいのかもしれないね。とは思うけれど「七並べ」や「大富豪」などのルールはわからないままに死んでいく気がしてならない。
- 著者
- 今村 夏子
- 出版日
- 2014-06-10
主人公のあみ子も、きっと、折り紙やトランプやりんごの皮剥きができないと思う。毎日学校へ行くことができない、宿題をちゃんとやってこられない、友達とうまく話せずに、どんどん学校で浮いていくあみ子を見ているとどうしたって自分の子ども時代を思い出してしまう。
できないことをできないままで、子どもから大人になった人や今そうなりつつある人にぜひ読んでほしい一冊です。
撮影:石山蓮華
電線読書
趣味は電線、配線の写真を撮ること。そんな女優・石山蓮華が、徒然と考えることを綴るコラムです。石山蓮華は、日本テレビ「ZIP!」にレポーターとして出演中。主な出演作は、映画「思い出のマーニー」、舞台「遠野物語-奇ッ怪 其ノ参-」「転校生」、ラジオ「能町みね子のTOO MUCH LOVER」テレビ「ナカイの窓」など。