【第12回】女たちよ、つべこべ言わずに顎を引け

クラス写真で生まれた「B組のみんなとその教室に取り憑いた女の地縛霊」

クラス写真で生まれた「B組のみんなとその教室に取り憑いた女の地縛霊」

先日台湾旅行に行った。親しい大学の友人6人(全員女)で、1泊3日のハードスケジュール旅行だった。夜市に行き、マッサージに行き、九份(台北の山奥にある千と千尋風の建物がある場所)に行き、ルーロー飯も小籠包も豆花も芋園も淡水名物の巨大カステラも胡椒餅も家庭的な台湾料理も全て食べ尽くし、王道台湾をほぼ制覇したにも関わらず、ほとんど写真を撮ることができなかった。いや、撮ることが出来なかったのではない。撮らなかった。

昔から写真が苦手である。発端はもちろん外見へのコンプレックスだ。思春期に一番「お前は他と比べてブスだぞ」と容赦なく教えてくれるのはいつも写真だった。クラス写真、体育祭、文化祭、廊下に張り出された写真に自分を見つけるのはいつも苦痛でならない。

当時は化粧を知らなかったため、好きな男子に「お前顔どこだ?」と笑われる程度に顔が薄く、極度のインドアのため肌が青白く、とても可愛いとは言えなかった。しかも、背が高いことを気にしてひどい猫背で、髪はボサボサのロング。

これだけだとそこまで悪くは聞こえないかもしれないが、この条件が揃うと、写真には気味の悪い幽霊のように写ってしまうのだ。クラス写真なんかだと身長のせいで後ろの方に立つものだから、「B組のみんなとその教室に取り憑いた女の地縛霊」という感じの写真ができあがる。

正直鏡で見る自分をそこまでブスだと思うことは少ない。動画も、キャラクターが何かをカバーしてくれるのか、顔自体のディテールがそこまで気にならない。こんな顔じゃダメだ、生きていけない! と思わせてくるのはいつだって写真だ。全然平気な気持ちで撮られたのに、あとで写真を見て「嘘でしょ?」となることが多すぎるのだ。え、思ってたより輪郭が10センチくらい大きくない?え、そんなに脚、太かった?そんなことばかり。そんな写真を見ては、「写真写りが悪いだけかな?」と自分をごまかしていたのだが、とうとう「あ、ちげーわ、私もともとこのくらいなんだわ」と気がづいた。心が打ちのめされた。そして写真を敬遠するようになったのだ。

そんなこんなで写真を苦手になると、事態は悪化する。美しく写らないことに対してコンプレックスが生まれると、写真に写らなくなり、ますます写真の撮られ方がわからなくなるのだ。そして写真はよりブスに、コンプレックスはより強くなり、「写真に可愛く写りたい」という欲を持っていること自体が浅ましく思えてくる。完璧な負のスパイラルにぐるぐると落ちていく。

コンプレックスを克服するために、一歩進み出す勇気を

コンプレックスを克服するために、一歩進み出す勇気を

そんなコンプレックスだらけのくせに、多少表に出る仕事についたものだから、写真を撮られるようになってしまった。それもペイントをしたモデルさんと横に並んで写真を撮ったりしなければならないのだ。そんなのもう、ブスと美人の比較写真でしかないじゃないか?

私のコンプレックスはいよいよ限界で、モデルさんと写真を撮る時、変な顔やポーズをしないことには自我を保てなくなっていた。思い込みかもしれないが、変なポーズをとると顔面の比較が緩和されるのだ。実際酷い写真が撮れても、「そもそも可愛く写ろうとしていない」という言い訳になる。

そんなこんなで、自意識をごまかすために写真を撮られるときは変なポーズばかりしていた。そんな時に転機がくる。

モデルさんの一人が私のコンプレックスを見抜いたのだ。

「ちょーさん、それじゃだめだよ」

カメラの前でマカンコウサッポウのポーズを決めていた私に突然のダメ出し。美しいその女の子は私の横に並び、足を軽くクロスさせて、背筋を伸ばした。体をカメラに向けて斜めになるよう角度をつけ、顎を引く。思っていた「顎を引く」の倍は引いていた。そしてすこしだけ頭頂部を横に傾けた。

「ほら」

促されてたどたどしくそのポーズを真似る。笑って〜と声がかかり、シャッターが切られた。画面をのぞかせてもらうと、今まで私が鏡で見てきた通りの、いやそれよりすこし可愛くなってスタイルも良くなった私がいた。まさか。そんな。顎を思いっきり引けば、解決するようなことだったの?

そう、たしかに、自然体でどう撮っても美しい人も稀にいる。でも全角度シャッターチャンスの猛者になるには、疫病を食い止めるくらいの徳を前世で積んでいないと無理だ。大体の人は、美しく映るコツを長い研究の末に見出してるだけなのだ。ブスな写真が残るのが怖くてサボり続けていたら、いつまでもブスな思い出しか残らない。そしてそれは全て紛れもなく自分の怠慢と言い訳のせいだったのだ。

写真は思い出だ。過去を明確に記録できるものは今現在写真と映像のみ、それ以外は記憶の中であやふやになくなっていく。本当に楽しい時に写真を撮る余裕はないなんて言うけれど、確かにそんな側面もあるけれど、写真に残せばまた何年か経った後に、鮮明にその瞬間を思い出せる、人に共有できるのだ。それって素晴らしいことじゃないか。好きな人たちを、思い出を、そこにいる自分を、自撮りでも他撮りでも、恥じたり戸惑ったりすることなくしっかり残していきたい。

そんなことを心掛け始めたものの、今でもうまく写真にうつれているとは言えない。取材で撮られた自分の写真を見なければいけない時は未だに相当苦痛だ。気恥ずかしさもまだまだあるし、何より研究不足で全然うまくいかない。それでも少しずつ、許せる写真が増えている気がする。

例えば髪を切った日には、友人に自ら「髪切ったの!撮って!」と言えるようになった。友人も「いいねいいね、イケてるよ〜!」と笑って撮ってくれる。自分の見た目が「触れてはいけないコンプレックス」から「どうでもいいただの見た目」になっていく。些細な変化だけど、それを自分に許せるだけで本当に生き易い。このためならいくらだって顎くらい引いてやる。

私たちを引き込む写真の世界に思いを馳せて

著者
出版日
2013-07-02

タイトル通りの一冊。看板に偽り無しで、中には植物から昆虫、クラゲなど、多種多様な透明な生物が紹介されています。

人間の顔の些細な美醜なんてどうでもいいと思えるくらい、世界の生き物達は美しい。美人にならなくていいから青い透けた、触手のたくさん生えた体になりたい。結局一番美しいのは人工物ではなくて自然の作り出したものなんだろうなあ。写真の質も高く、文章から著者の生き物達への愛も伝わってくる。何時間でも読んでいられる素敵な本です。

著者
ジョン チョンコ
出版日
2012-06-06

なんと、サンドイッチの断面をスキャンしたレシピ本です。アメリカの本が翻訳されたもので、アメリカを中心に、いろいろな地方サンドイッチをレシピとともに大きな断面スキャン写真で紹介しています。

この断面写真の感じがいいんです。宣材のように美しいわけではないんですが、材料が事細かに見えて、味を想像して思わず唾液が出てしまう。食べたくなってしまう。そしたらありがたいことに横にレシピがついている訳です。写真を見るだけでも十分楽しい、損のない一冊です。

この記事が含まれる特集

  • チョーヒカル

    ボディペイントアーティスト「チョーヒカル」によるコラム。および本の紹介。体や物にリアルなペイントをする作品で注目され、日本国内だけでなく海外でも話題になったチョーヒカルの綴る文章をお楽しみください。

  • twitter
  • facebook
  • line
  • hatena
もっと見る もっと見る